ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

ある日の自分の顔

2007-12-19 | 私の愛する仲間たち
私の友人が少し前に彼氏と別れた。このことをブログに書くというのは彼女が見てもかまわないという気持ちがあるからだが、怒られるかもしれないことを覚悟に彼女へのメッセージを込めて私の気持ちを知ってもらいたい。
彼女は別れる前、ものすごく自分と葛藤していた。自分のどこが悪いのか連絡が取れない間ものすごく悩んでいた。
そばにいる私からは明らかにおかしい状況だったが、彼女は望みを捨てなかった。
彼は私に、「いい加減な気持ちじゃないから。一緒になろうと思って頑張るから」と彼女とのことを報告してくれた。だから友人の私も馬鹿にされたような気分になった。
彼は2ヶ月も連絡をせず、一方的に別れを告げてしまった。
彼女はどう自分を慰めていいのかわからずに、仕事にならず、思い出しては泣いていた。時には怒ったり、時には落ち込んで、時には反省してそんなことを何日も繰り返した。こんなことになっていることを彼に見せてやりたい。文句の一言でも言ってやりたいくらい許せなかった。
でも私は彼女に彼を恨んで欲しくなかった。自分を取り戻し、もっときれいになって「なんで別れてしまったんだろう」と思われるような女性になってもらいたい。
日が経っても彼女の心の葛藤は続いていた。そんな時大事にしていた愛犬が老衰でなくなった。
「私が何をしたのだろう。こんなはずじゃなかった。」
と 少しずつ自分をいじめる自分を追い払えなくなっていた。
通りすがりのカップルを見て辛い気持ちになったりするようになった。
その彼女が、私には離婚した当時の自分を見ているようだった。
「なぜ私はこんなに辛いんだ」
その事が私自身を自虐した。
ある日自分の顔を見てびっくりした。
「なんて醜い顔なんだ。」
それは私が幼い頃、両親が離婚して母がしていた顔だった。私が大嫌いな顔。友達に「あなたのお母さんって怖いよね。」と言われ落ち込んだ顔。その時の私は同じ顔をしていた。
「この醜い顔は、この醜い感情が作ったものか!」と怖くなった。
私は自分の息子に私と同じ思いをさせるところだった。
それから離婚が与えたしがらみ、辛さや孤独を肥やしにすることを覚えた。
「誰にも私のような思いをして欲しくない。」
その後の私は羨む私ではなくなった。そしてあの怖い顔を見てはいない。
今、私の友人に対して 人のことを見て自分を比べないで欲しい。
私はこの友人を家族のように思っていて、彼女の価値を私は知っている。
それでは足りないかもしれない。
誰も手を引いて連れ出してはくれない。手を引いてくれるのは、元気を取り戻して欲しいと思っているもう一人の自分だ。
私はそのもう一人の彼女に「おいで」と誘っている。
彼との別れをきっかけに、彼女が終わったはずの自分の不幸の数を数え始めて、この先の未来の不幸を増やしたり大きくしないように、耐えられる心と免疫と体力がいるのだろう。
だから私は「おいで。この世の中にはいろんな人がいる。」
と手招きしている。
辛かった私に、私の息子が「こうちゃんがいるからね」と言ってくれたときのように息子と二人で彼女に「嫌なことはもう終わったんだよ」と手招きをしている。
コメント (3)
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