ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

人権の目線

2017-09-10 | 自己啓発日記

今日で一般セミナーは終った。
あとは実技だ。

ちょうど午前中に人権と企業のコミュニティについてお話し会を開かせてもらい、そこである参加者が自殺についてを話してくれた。
死なれたまわりも苦しむのだ。

コミュニティとはたくさん情報を交わし会うことのように思われるけどそれは手段。目的は一人がたった一人でも自分の意見を言える環境や空気になり、多様な人の意見や行動に目を向けあえる関係であること。
それがコミュニティであり、逆に会社が決めたからとか一部の特定のところで決まったことで、縦割りの活動をしているのはコミュニティでもなくコミュニケーション能力があるわけでもなく、言われたことをやらされているという責任をもたない思考で行動しているだけということになる。
そうなると同調の圧力が発生し言われたことだけしておけとなり、意見を言えない。自分を見てもらえていない。と始まりお互いに共同との関係者にはならない。
物覚えがよくなかったり、何度も失敗したり、要領よく楽なことをするようになり仕事の進行が著しく遅くなるなどコミュニケーションの本当の目的がずれることは相当の悪影響を出す。

そこに気がつくように伝えるためにも、私たちは尊厳や人権の角度から見るというトレーニングをする。

自殺の話にもどるが、そこにもコミュニティは強く関係する。
要はたった一人でも私を助けてと言えること。そんな関係、そんな環境であること。
それが本物のコミュニティでそこにいる人には自殺という選択肢が導き出されないはずなんだ。

午前中のお話し会でそんなことをいいながら昼からのセミナーでもほとんど同じ内容だけどそこを地域の自治会などに置き換えての講義を聞いた。

何度も泣きそうになる話があった。
自分の死後、障がいのある息子をみんなに託さなければならないと思い、地域活動を積極的にする90歳の母の話。
自分と重なった。
痛いほどわかる。
そんな見ようとしないと見えない人はすぐ近いところにいるんだと考えて組織を作り、目的を忘れて行事消化をメインにするなと言われた。目的の元に手段は見直されるべきなんだ。

ハッとした。

世界が変わるような話だった。
それは私がその程度の世界にいたせいだ。
本来、普通のことなんだろう。
コメント (2)
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