昨日「造山古墳蘇生会」の研修旅行で、神戸市にある「五色塚古墳」や加古川市にある「行者塚古墳」などを訪ねました。「行者塚古墳」のガイドさんのお話では、加古川にはその外に「人塚古墳」「尼塚古墳」があり、この「人塚古墳」は「播磨稲日大郎媛」のお墓だと説明がありました。
この人は、「大吉備津彦命(五十狭芹彦命)」と共に吉備の国に進軍してきた弟「若日子建吉備津彦命」の姫君で、後に十二代景行天皇の皇后になられ、あの「日本武尊」の母親になられたお方です。仲哀天皇の祖母でもあられるのです。
それがあろうことか、播磨の国(当時大和の勢力の西端に位置している辺境の地)に、それも僅かに60mばかりの円墳に葬られているなんて、随分、不敬な話だと思われませんか。そなんちっぽけな皇后墓があるはずがないと思うのですが、どうでしょうか???昔からこの地の人々が「播磨」という名が付いているだけ、そんな話をでっちあげたではないかと思うのですが、ガイドさんがあまりにも自慢そうにお話されるものですから、その事が強く印象に残りました。
なお、これも予断事ですが、吉備津彦命が大和から吉備の国に派遣され時、先ず、その「道口」として、神々にこれから行われる吉備との戦いの戦勝祈願を行った場所が、現在の加古川の氷丘です。
そんな古墳見学の私の文化の日の一日でした。「遊仙窟」は明日から
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