誰もが知りえないような中国から渡って来たばかりの最新の人間の宝であると言ってもいい「漢字」という文化を縦横無断に使用して書き並べた太安万侶の心意気を常に感じながら、また、宣長先生の助けを頂きながら ここまで読み進めてまいりました。
これを読み進めて行くと、福沢諭吉が横浜で感じ取った英語を読むということだけに重きを置いた明治の頃よりも、もっと深遠なる文化の偉大さを新鮮に受け止めて、他国の文化をいかに我が国の制度の中にはめ込んで、我々の生活の一部とすることを可能にしたかが、この短い一文からさえも読み取ることができます。
この序を読み終えて、そのような思いが今更のように思えてしかたありません。そのようね偉大なる先人い支えられて、紫式部も西行も芭蕉も、更に、諭吉も生まれ出てきたので。そのようなことをつらつら考えていきますと、我が国最初に伝わったのが「漢字」であった幸せをもう少し深く我々は感じるべきではないでしょうか????
なお、始め、私は、この序文は、太安万侶の天武や元明などに対する「ゴマすり」だ、いや「忖度」だと書いたのですが「親の心子知らず」で、大きな誤り間違いでした、大いに反省しています。
これを読み進めて行くと、福沢諭吉が横浜で感じ取った英語を読むということだけに重きを置いた明治の頃よりも、もっと深遠なる文化の偉大さを新鮮に受け止めて、他国の文化をいかに我が国の制度の中にはめ込んで、我々の生活の一部とすることを可能にしたかが、この短い一文からさえも読み取ることができます。
この序を読み終えて、そのような思いが今更のように思えてしかたありません。そのようね偉大なる先人い支えられて、紫式部も西行も芭蕉も、更に、諭吉も生まれ出てきたので。そのようなことをつらつら考えていきますと、我が国最初に伝わったのが「漢字」であった幸せをもう少し深く我々は感じるべきではないでしょうか????
なお、始め、私は、この序文は、太安万侶の天武や元明などに対する「ゴマすり」だ、いや「忖度」だと書いたのですが「親の心子知らず」で、大きな誤り間違いでした、大いに反省しています。
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