更に、太安万侶は言います。
“全以音連者、事趣更長。是以今或一句之中、交用音訓。或一事之内、全以訓録。即辞理叵見、以注明意。況易解更非注”
と。なお、この中に「辞理叵見」とある文中の「叵」の字ですが宣長もわざわざは取り上げ、「難」、即ち、<カタキ>と説明しています。
この意味を簡単に書けば
「音だけで書くと長くなるので、音や訓を交えてて書きました。また、訓だけで書くと、その内容が理解でにくく、注としてその意味を付けたし、その解釈ができるのはそのままにしておきました。」
です。
このご丁寧なる説明を、敢て付け加えている「太安万侶」という人の、人柄のやさしさというか学者としての親切さが、この一文を読んでも、この中から読み取れますよね。
「古事記」は目にしても、あまりこの太安万侶が書いた「古事記序」まで読む人はいないように思うのですが、もっと多くの人が目にしてもいいのはないでしょうか???
というわたしもその例の中の一人ですが・・・・
“全以音連者、事趣更長。是以今或一句之中、交用音訓。或一事之内、全以訓録。即辞理叵見、以注明意。況易解更非注”
と。なお、この中に「辞理叵見」とある文中の「叵」の字ですが宣長もわざわざは取り上げ、「難」、即ち、<カタキ>と説明しています。
この意味を簡単に書けば
「音だけで書くと長くなるので、音や訓を交えてて書きました。また、訓だけで書くと、その内容が理解でにくく、注としてその意味を付けたし、その解釈ができるのはそのままにしておきました。」
です。
このご丁寧なる説明を、敢て付け加えている「太安万侶」という人の、人柄のやさしさというか学者としての親切さが、この一文を読んでも、この中から読み取れますよね。
「古事記」は目にしても、あまりこの太安万侶が書いた「古事記序」まで読む人はいないように思うのですが、もっと多くの人が目にしてもいいのはないでしょうか???
というわたしもその例の中の一人ですが・・・・
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