私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「珍」について

2016-10-17 08:44:11 | 日記

 讃(履中天皇)の死後、珍が天皇になります。この反正天皇について、「古事記」には此の時どのような事象が有ったかは何も書かれておりません。又、日本書紀にも、ただ

              “當是時、風雨順時、五穀成熟、人民富饒、天下太平”

 と。「五穀が豊穣で、人民は富み潤い、天下は至極太平であった」とのみ見書かれております。

 この「珍」について、宋書には、讃の死後、弟の珍が立って、使いを遣わして貢物を献上して

          “自稱使持節、都督倭百濟新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭國王”

 と、書かれております。

  この珍が、日本や朝鮮(百済・新羅・任那など)の六国の軍事を司る使持節(最高の)都督(長官)と名乗るのを承認してほしいと、宋の王様に頼み込んだので、それを許したと書いてあります。440年頃のお話です。つづいて

        “表求除正、詔除安東將軍、倭國王。珍又求除正倭隋等十三人平西、征虜、冠軍、輔國將軍號、詔並聽”

とも。
 「上表して正式な爵位を求めてきたので、詔を以て「安東将軍、倭国王」に叙した。その上、珍は、また、倭隋ら十三人に平西、征虜、冠軍、輔国将軍号の正式な爵位を除するように求めたので、詔を以て、すべて、聞き届けた」と。
 

 

 

  


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