ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

LUCAS DEBARGUE

2018-02-05 16:49:16 | 雑誌CLASSICAより

 
LUCAS DEBARGUE(LD)を知ったのは2016年のクラシカトップテンに選ばれた時。CDを聴く以前にインタヴュー記事が面白く、男っ気のあるピアニストに興味を持った。イケメンじゃないしファッショナブルじゃないし、言い草など噛みつくようなとこがある。

ああ言えばこう言う小生意気な返答や音楽への考え方が新鮮だった。が、だからといってLDが批判するアカデミックスパルタ教育批判が正しいとは思わない。ベートーベンもモーツアルトもスパルタ教育を受けたではないか。また多くの名演奏家達はアカデミックな教育を受けている。ではクラシック界の異端児と呼ばれるLD語録から以下タメ口訳。

「異例とは何なんだい?僕を通常コースから外れた道を歩んだ奴というけど、どういうことなんだい?正常なコースって何なのさ、3歳からピアノの前に座って少年になったらショパンの練習曲を毎日10時間弾くことかい。ばかばかしい。グレングールドをイメージしてるのかい?ちっちゃな猿達は幼い時からピアノを弾き、蝶ネクタイを結んでコンクールに選ばれる。そんなコース僕は逃げ出したいね」

LDがピアノを学んだのは11才から、クラシックにのめりこみ中毒になる。それが15才でやめてリセでとったコースは文学、とくにロシア文学に夢中になる。ジャズバンドの伴奏したり、スーパーでアルバイトしたり、ありふれた一般の高校生生活をおくるが、育った町のお祭りによばれ、その演奏に興奮した友達が本格的にピアノを学ぶことをすすめる。コンセルバトワールに合格し入学したもののアカデミックな先生方から相手にされない暗い日々を送る。

「絶対競争社会の世界、嫉妬が渦巻き、ピアニスト同士でのスパイ行為がはびこり、全てが僕にとって耐えがたかった。それに勉強メソッドも自分を納得させるものじゃなかった。僕はたった一つのリサイタルプログラムを演奏することすらかなわなかったんだ」

これからどう生きてゆこうかと悩む中、奇跡的な出会いをする。彼に類まれなる才能を感じたRENA先生が彼を拾い上げ自分のクラスで教えることにした。たった2回目のレッスンの後、先生はチャイコフスキー国際コンクールに向けて特訓に入る。自称アナーキーなLDが唯一素直になれた先生でもあった。

24才にしてチャイコフスキーコンクール第4位入賞。4位ながら観衆を熱狂させ、全部門から唯一人批評家賞を受賞。世界トップの指揮者Valery Gergievが恒例としてコンクール最優勝者に約束されたクロージングコンサート演奏に招待する。一等賞に輝いた人可哀そう、何のための一等賞なの。

まるで宇宙人が降りてきたかのようだと評されるLD。現在超売れっ子。

LUCAS DEBARGUE現象は何を語ってるんだろう。大阪高校生のバブリーダンスと共通するもの、パッションが醸し出す生命力。これが聴衆や観衆を魅了したと思うが、裏返せば、今のアートシーンにこういった芸術へかける真摯な情熱が欠けているということかも。いや、きっとどこかに隠れてるだけ。Hさんが良く言うように、「世の中には全く無名でも有名人より素晴らしい演奏するピアノ弾きはたくさんいると思うわ」

デビュー当時魅了されたランランも最近はライヴ放送観て聴いてもつまらない。完璧なテクニックだが感動がないと評されるようになった。追っかけしてるアレクサンドルタローもラフマニノフからCD買わなくなった。聴いていて真面目で努力家なのは敬意を払うがつまらなくなった。様々なアーチストを揃えた最新CD「バルバラ」(売り上げトップを記録)も本物のバルバラを聴いたあとでは色褪せる。それともコンサートもCDも溢れすぎて、ついてゆけない私から感動する力がなくなったのかもとふと思う。

センセーショナルなデビューを飾ったLDもこれからどうなるかわからない。批評家たちの批評読むと、どう批評してよいかわからなくて戸惑ってる。「哲学するピアニスト」と評してる人もいる。CDを3枚買ってここんとこ毎日聴いてる。1枚目はこれ、LUCAS DEBARGUEの初レコーデイング。感想はまた別な日に。








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