昨日、新人のマリーズが聞いた「 Sさん あんたに挨拶するの 笑顔で話しかけるの」と。Sさんとは私を老人扱いしネチネチ絡み付いたお局さん。「 Sさんは私をシカトしPETIT NEGRE ( 小人黒人 差別用語で彼女の場合はとろいのでおつむが足りないという意味か)みたいに扱うのよ 」。マリーズは仕事が遅いが日に日にテキパキ働くようになってる。Sさんは新人いじめが生き甲斐かもしれないと思うほど手厳しく彼女のせいでもう何人辞めたんだ。ここんとこ仕事30分前に職場に着き組合規約を少しづつ読んでおり第6章にモラハラについての説明があった、人種差別、年齢差別、性差別、同性愛差別、未婚差別やイジメ等々について職場の雰囲気を悪化させるほど繰り返されるモラハラ対応が書かれてあった。マリーズに 私に対する年齢差別が繰り返されれば証人もたくさんいるのでボスに訴えようと思っていた矢先に彼女と組むシフトから外されたと言うと ラッキーね自分はシフトの関係で彼女と働かざるを得ないと嘆いた。お局Sさんは仕事できるんです。目が4つも5つもあるんじゃないかと思うほど隅々まで気がつき息苦しいんです。ボスじゃないのにボスみたいに振る舞うし。ボスが私にちらっと頭が痛いと漏らしたことありました。でもねSさんは暗い目をしていて不幸なんだなと思うのよ。お母さんとの二人暮らしで彼女が養ってます。マリーズと同じ50歳です。
日本で介護職に就き認知症の母親と暮らしておられるびょうさんという50代の女性のブログを毎日訪問してるのですが愚痴ることなく淡々と尚且つ人生を楽しんでる姿に色々教わること多いです。あれこれ不平不満の多い人はどんなに恵まれたっていつも何か不平不満のタネを探すと思ってる。似たような状況にあるSさん、4日勤務で正社員のうえコロナプライムが付き月20万の収入があります。住まいは低所得者向けアパート(収入の20パーセントを家賃として払うシステムで10万円お給料だったら2万円、彼女の場合は光熱水料費込みで月4万円)2LDKです。日本と比較ならないほど恵まれてます。私はSさんとよっぽどの事がない限り組む事ないですがマリーズにとって今が辛いとき、辛いことはいつまでも続かないからめげないで一緒に働く時はお互いにカヴァーしあって楽しく働こうと言いました。
話は変わりますが、俳人夏井いつきさんに魅かれたのは里帰り中プレバトを観てから。それでもう3年前になるのかな夫と松山市を訪問しました。道後温泉のすぐそばに宿を取り伊月庵も見ました。懐かしく松山での思い出を振り返ると些細なことが目に浮かぶんですね。思い出すままに:
駅から市電に乗り道後温泉に行く車内で上司と部下らしい二人のサラリーマンを目にしました。部下の方が降りると車内にいる上司に深々とお辞儀し電車が発車するまで見送ってるんですね。直立不動の姿勢といい上下着けたらそのまま江戸のお侍さんに見間違えたかもと思える光景でした。と同時に、私はもう日本で暮らせないと一瞬思いました。上下関係の希薄なケベック、良きにつけ悪しきにつけ横社会。上司であろうと先生であろうと言いたいことを言ってる。高級官僚に恐れをなし敬う風潮なんてからきしありません。
道後温泉通りに並ぶお店に明るくモダンな内装が白で統一された地元若手職人の作品を売ってるお店があり中に何と古本が二束三文で綺麗にデイスプレーされ売ってあったのです。あまりの安さにあれこれ買い込みました。私、田舎もんだしダサいのでかっこいいお店って気が引けるんですね。でも、洋服でも食器でも何でもウオールマートやいわゆる安いと思われてる大型店より敷居が高く見えるお店で品質の良いものがもっと安く手に入るということもありと、この年齢になって気がつきました。また衣類や食器という生活用品と古本を売るという組み合わせがとても新鮮に映りました。
松山市のアーケード街、天井が高く道も広々としており雨が降ってもなんのその、いろんなアーケード街を見ましたが開放感たっぷりで印象に残ってます。
津和野や萩でもそうだけれど再開発の遅れた城下町に感じるのは江戸から明治、大正、昭和があちこちに今も息づいておりタイムスリップしたかのような懐かしさ。平成(私は平成の日本を全く知らない)と令和の残り香はどんなものになるのだろう。
レジダンスを辞めないのは日本旅行そしてコロナでチャラになった東ヨーロッパ旅行への夢があるから。それに根がおちゃらけてるので最近は怒鳴られてもおどけて言い返してます。マリーズ、めげるなよ。
日本で介護職に就き認知症の母親と暮らしておられるびょうさんという50代の女性のブログを毎日訪問してるのですが愚痴ることなく淡々と尚且つ人生を楽しんでる姿に色々教わること多いです。あれこれ不平不満の多い人はどんなに恵まれたっていつも何か不平不満のタネを探すと思ってる。似たような状況にあるSさん、4日勤務で正社員のうえコロナプライムが付き月20万の収入があります。住まいは低所得者向けアパート(収入の20パーセントを家賃として払うシステムで10万円お給料だったら2万円、彼女の場合は光熱水料費込みで月4万円)2LDKです。日本と比較ならないほど恵まれてます。私はSさんとよっぽどの事がない限り組む事ないですがマリーズにとって今が辛いとき、辛いことはいつまでも続かないからめげないで一緒に働く時はお互いにカヴァーしあって楽しく働こうと言いました。
話は変わりますが、俳人夏井いつきさんに魅かれたのは里帰り中プレバトを観てから。それでもう3年前になるのかな夫と松山市を訪問しました。道後温泉のすぐそばに宿を取り伊月庵も見ました。懐かしく松山での思い出を振り返ると些細なことが目に浮かぶんですね。思い出すままに:
駅から市電に乗り道後温泉に行く車内で上司と部下らしい二人のサラリーマンを目にしました。部下の方が降りると車内にいる上司に深々とお辞儀し電車が発車するまで見送ってるんですね。直立不動の姿勢といい上下着けたらそのまま江戸のお侍さんに見間違えたかもと思える光景でした。と同時に、私はもう日本で暮らせないと一瞬思いました。上下関係の希薄なケベック、良きにつけ悪しきにつけ横社会。上司であろうと先生であろうと言いたいことを言ってる。高級官僚に恐れをなし敬う風潮なんてからきしありません。
道後温泉通りに並ぶお店に明るくモダンな内装が白で統一された地元若手職人の作品を売ってるお店があり中に何と古本が二束三文で綺麗にデイスプレーされ売ってあったのです。あまりの安さにあれこれ買い込みました。私、田舎もんだしダサいのでかっこいいお店って気が引けるんですね。でも、洋服でも食器でも何でもウオールマートやいわゆる安いと思われてる大型店より敷居が高く見えるお店で品質の良いものがもっと安く手に入るということもありと、この年齢になって気がつきました。また衣類や食器という生活用品と古本を売るという組み合わせがとても新鮮に映りました。
松山市のアーケード街、天井が高く道も広々としており雨が降ってもなんのその、いろんなアーケード街を見ましたが開放感たっぷりで印象に残ってます。
津和野や萩でもそうだけれど再開発の遅れた城下町に感じるのは江戸から明治、大正、昭和があちこちに今も息づいておりタイムスリップしたかのような懐かしさ。平成(私は平成の日本を全く知らない)と令和の残り香はどんなものになるのだろう。
レジダンスを辞めないのは日本旅行そしてコロナでチャラになった東ヨーロッパ旅行への夢があるから。それに根がおちゃらけてるので最近は怒鳴られてもおどけて言い返してます。マリーズ、めげるなよ。
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