KIRAKUjin~ Let's enjoy "Photo" together ~

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☆光と影の魔術師☆

「「m4/3礼賛!」

2024-01-15 05:26:00 | デジ一眼+純正レンズ
m/4/3とはマイクロフォーサーズのこと。
デジタルカメラのセンサーやマウントを含めての規格の総称であり、賛同する企業との共通規格でもある。

レンズ交換式デジタル一眼のセンサーとして考えると、1インチセンサー(Nikon1シリーズ)が終了した現在では、マイクロフォーサーズ(m4/3)は小型のセンサーの代表格となる。

急ぎ足で歴史に触れると。
従来のフィルム一眼レフがデジタル化され、さらにミラーレス機になる段階で、初期のデジタル一眼レフでフルサイズを作るには最低100万円はした。よってその頃のフラッグシップ機はNikonですらAPSだった。
フルサイズとは35mmフィルムサイズで、APSもほぼそのままフィルム時代の規格の踏襲である。

マイクロフォーサーズの原型のフォーサーズ規格は、当時の説明だとデジタルカメラのセンサーとしての特性にこだわり、最小限でボケなど写真の表がが可能なサイズとして考え抜かれたものであった。

フルサイズが主流になったのは一向に構わないし、私も目的によっては使う。
センサーサイズは撮影の目的や好みで最適な度合いは変わる。しかしフルサイズと比較してマイクロフォーサーズでは足りないとか、使えないとかネットなどで散見する見解は、たとえ一部のプロの意見であっても、それはあなたの使い方の範囲内だよ、と言いたい。

語りだすと止まらなくなる性分なので、また続きは次回以降に。

マイクロフォーサーズの作例をと書いておいたので、前回アップした機材での一枚。
撮影が主目的ではない移動中のもの。レンズは14mm単焦点であり、この上なく薄くて小さくて、レンズキャップみたいな印象だが、写りは秀逸だ。
私はあまり好まない考え方だが、これをフルサイズ換算28mmと呼ぶ。画角的には写る範囲がわかるのだが、この表現がマイクロフォーサーズはボケにくいなどの誤解を招くのだ。

長くなってきたので、それはまた別の機会に。



注1: この写真内のネームは画像処理によるものです。
注2: この写真は落書きを推奨および賛同するものではありません。




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「カメラを使う目的」

2024-01-13 14:00:00 | デジ一眼+純正レンズ
前回お話しした、普段持ち歩けるカメラ。

例えばスマホで撮ってたけど、何気ない普段の身の回りのことを、もっと雰囲気出したいとか、カメラのことをもっと知りたいとか。それとも、なんとなく使い始めてみたいとか。
結局、きっかけなんてなんでもいいと思う。

自分で育てた庭のお花を撮りたいとか、自然の中に出かけるのが好きだからとか、鳥を撮りたいとか。
何か具体的な撮影目的が少しでもあれば、お勧めの機材は絞り込みやすくなる。目的と予算により、私もカメラ屋さんの店員のようなご提案をすることになるかも知れない(笑)。

でももっともっと弱い動機だとしても、カメラを意識したのなら、それだけであなたは新しい世界の扉を開け始めたのかも知れないし、それでいいのだと思う。

普段持ち歩くということも人によりけりだが、通勤やお散歩でもいいし、ちょっとしたお出かけでもいいし、街歩きでも、公園でも、外に出ることが目的でいっこうに構わない。
さあ、明日はは○○の撮影のために出かけるぞって前日から準備するんじゃなくて、何か気になるものがあれば、スマホじゃなくてカメラで撮る。
そしてもしカメラでの撮影があなたに合えば、もっと自分の理想に近づけて撮りたいという欲求が出てくる。

シャッタースピードや絞り、ISO感度、ホワイトバランスなどの設定の意味。
画角、構図、焦点距離、被写界深度、色調、コントラストなどなど、実際挙げたらキリがないけれど。
でもそんなこも知らなくても、いまのカメラは写真はシャッター押せば綺麗に写るのがあたりまえ。
ても押せば一見綺麗に写ってしまうから、その先が大変で難しくもあり、もちろんそれが楽しくて仕方ないのだけれど。

写真はとても奥深く、生涯かけても到達できない果てしない世界。そういう意味では明らかに芸術なのだ。
でも絵画などと違うのは、現在のカメラは押せば写るということ。
ある明治生まれの昔の写真家が、100年後はもっと簡単に写真が撮れるのようになるだろう、でも写真の芸術的な意味は変わらないだろうと述べた。

とにかくカメラを持ち出して、どんな時でも、心惹かれる対象に出会えたら、シャッターを押してみる。そしてもっと自分の理想に近づけたいと思えば、今ならネットでいくらでも調べられるし教えてももらえる。体系的に知りたければ写真教室に入ったり仲間を増やすものいいだろう。

ただ本当はひとりで心落ち着けて、感性のままにひとりで撮るのが、いいのかも知れない。

カメラを持つと、きっと自分の感性が変わってくる。普段の風景も光や影や、季節の移ろいに鋭敏になった自分に気づく時がやってくる。

だから、もしあなたが幸いにして、そう感じることができるようにするためには、カメラは普段のカバンに入るものがいいと私は思う。

今日の写真は、スマホと私のカメラとの大きさ比較。スマホより厚みはあるけど、縦横は小さいので冬服のポケットにすっぽり入る。

次回からは、このカメラでの作例をアップしてみたい。




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「普段持ち歩けるカメラ」

2024-01-12 05:49:00 | デジ一眼+純正レンズ

「普段持ち歩けるカメラ」

よく言われてきた言葉がある。
"写真はカメラが無いと写せない」"

いつかヒトの視覚情報を映像化が実用化されれば、カメラやレンズは要らなくなるかも知れないが、未来はさておき、現在は必要だし、またそれが大きな楽しみでもある。
そもそもフィルムの時代は、一般的にはカメラを毎日持ち歩くことはまず無くて、旅行やイベントなどで持っていく物だった。
携帯を経由してスマホの時代である令和ひと桁である現在、スマホの普及によりカメラとビデオ機能を持つツールを常時持ち歩くようになった。
それゆえに、そもそも撮影するはずの無かった場所での撮影はトラブルを起こすこともあるわけだが、それはまた別の機会に。

スマホの撮影スタイルは、カメラを起動して液晶の一部のボタンを押すだけ。色々な設定は可能だが、それを駆使するのは少数派だろう。撮影ツールとしてのカメラ機能は万人のものとなり、SNSの普及により共有もたやすく、自分が撮影した写真をアップロードした瞬間に、世界中で閲覧も可能だ。
こんな場所で感動しましたとか、美味しいスィーツを食べましたとか、少し前の時代なら知り得なかった情報まで、世の中を駆け巡る。

それによりカメラそのものも影響を受け、平成の時代に出現し普及を極めたコンデジはもはや、カメラ量販店での主役の座ではない。
そしてデジタル一眼レフはいよいよ、ほとんどのメーカーがミラーレス化とフルサイズ化を進行させて代表的な機種となっている。
現在のミラーレス一眼は、静止画も動画も各社が競い合って機能強化させており、気軽に買える価格では無くなってきた。カメラだけでもミドル機で30万円近くから、フラッグシップ機に近くなると50-80万円など。レンズもいいレンズだなと思えば20-30万円を超えたり、とても気軽に買えるものでは無い。例えば本格的に鳥を撮る場合など、カメラとレンズを合わせて100万円を簡単に超えるのが標準セットだと聞くと驚くが、スペックを考えれば納得できてしまうのが凄い。

フルサイズセンサーと、それを発揮するための高性能なレンズ。その組み合わせはまた、カメラとレンズを大きく重い物にする傾向を作り出したと言える。
歴史は繰り返すというが、似た現象は1970年代にもあった。レンジファインダーから一眼レフへ主役の座が移ることで、カメラは大きく重たくなった。
そこで当時はOLYMPUSのOMシリーズから始まりPENTAXのMシリーズなど、小型軽量化の大きな潮流が生じた。その頃のカメラに触れてみるとわかるだろうが、現在の一般的なミドルレンズミラーレス機よりも小型なのに驚くだろう。

フルサイズミラーレス機でもSIGMA fpのように、基本形としては内蔵ファインダーも機械式手ぶれ補正も機械式シャッターも無くすことで超小型化を成し遂げた卓越したカメラもあるが、ある程度の知識がないと使いにくいかも知れない。

ではカメラが無いと写せないとして、スマホではない選択肢と仮定したとして、一般的な撮影や、よほど特殊な目的で撮影するのでなければ、フルサイズ機は必ずしも毎回の撮影に必要なのだろうか。

こういう話題は目的により個人差があり、紋切り型で述べると炎上しかねないのは重々承知のうえだし、私自身のようにフルサイズ機の黎明期から各社扱ってきて現在も使用している者でも普段持ち歩いているのはマイクロフォーサーズで十分だし、それで普通の写真展の出品作品も撮れる。

長くなってきたので、この続きやマイクロフォーサーズについてはまた別の機会に。




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ヨットハーバー朝景

2024-01-08 18:48:00 | デジ一眼+純正レンズ

色々あり、数年ぶりの投稿だ。

KIRAKUjinという名は写真ネームとして、一番古くから使っている。
久しぶりということで、自分であるのにやや、実感に乏しい。

しかしせっかくなので、これからは無理せずにアップしたい時に少し書いてみようと思っている。





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モノクローム礼賛 “ACROS” FUJIFILM フィルムシミュレーション

2020-05-17 19:29:25 | デジ一眼+純正レンズ
以前も、いや何度も、同じようなことを綴ってきたかもしれない。
いや、きっとそうに違いない。

カメラといえばフィルムが当たり前で、デジタルなど微塵も感じさせなかった頃。
モノクロで撮影し、暗室で現像することが、楽しくて仕方なかったものだ。
今もデジタル世代で生まれた方たちが、古い機械式カメラを提げていらっしゃるのを見る。
レコードやカセットテープで曲を聴くように、アナログの面白さを認識して頂けるのは、嬉しいことだ。

モノクロフィルムで、特に好みだったのは、コダックのTRI-Xだった。
トーンの出方や、適度な粒状感が心地良かった。
デジタルの時代になってもう、久しい。
フィルムが主流ではなくなり、写真の主体はデジタルになり、さらに普段の撮影の主役はスマートフォンになった。
一般的なデジカメですら、かなりシェアを下げている。

しかしそんな時代でも、往年の写真家たちの作品に触れていると、モノクロームの魅力は何ら変わらない。
いやむしろ、モノクロフィルム時代の方が、魅力的に見えることも少なくないのだ。
もし彼らや彼女らがいま、デジタルでモノクロームを撮るとしたら、どのように撮るのだろうか。

おそらくACROSが、大きな選択肢のひとつになることは、間違いない。

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遠き "airport"

2020-05-06 20:06:03 | デジ一眼+純正レンズ
ブログのことが気にならなかった訳ではない
毎日気にしていたと問われたら それも嘘になるが

気になって綴ってみても ここ数年はまた 年単位の時が流れていた
写真を撮らなかった訳ではない むしろその逆である
しかし何かに追われれば追われるほど 他のツールへ流れていった
昨日から使ってみたタブレットが ノートパソコンより使い勝手が良いのもあるだろう
しかし今になって再度 ブログの緩さを 懐かしく感じたのかも知れない

最初の投稿に 海が見えない場所で育った私は 海に憧れている
そんな風に綴った と記憶している
自分で紐とけば良いのだか それも億劫だと言える緩さが また良いのかも

時節柄 巨大なアウトレットモールは ゴーストタウンと化し
発着の多かった海上の巨大な国際空港の光もどこか 寂しげだ
写真は光と影 それに少しの心象がエッセンスとして加わるのだとすれば

またこの場所にいずれ立ち 違った心象で撮りたいと願う


本日もお読みいただき ありがとうございました
また近いうちに お会いしましょう
by KIRAKUjin
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光を追いかけて

2020-05-05 20:35:10 | デジ一眼+純正レンズ
久しぶりの投稿になる。
10年以上前にブログを始めた頃は、毎日ノートパソコンを開け、フィルムからデジタルへの変遷を綴った。
楽しくて夢中になったものだが、ネット環境はブログ以外にも、さまざまな写真関連のサイトが増えていった。
各種SNSは、現在まさに、時代の寵児と言えようか。

最近のネットへの投稿は最新情報が多く、趣味や世の中の事など非常に多岐にわたり、私も恩恵を十二分に受けている。
ただ少し、慌し過ぎるのではないだろうか。
世の中のスピードは早く、また予想だにしなかった事態に、世界中が巻き込まれることもある事を知った。

久しぶりの投稿になる。
この場所だけはそんな、世の趨勢から乖離して、のんびりとしたものにしたい。
かつてのようなノートパソコンではなく、今回からタブレットにしてみた。
ますます、気楽なものにできるだろうか。


(写真について)
例によって、カメラ一台に単焦点レンズ一本である。
写真を撮るための外出ではなく、仕事の延長線のようなもの。
よく知る河口の堤防の夕暮れに、何とか間に合った光である。
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標準レンズは 50mm??

2019-02-12 22:21:00 | デジ一眼+純正レンズ

"すでに何度か述べたかも知れません いまは最初に一眼レフを購入するとき 標準レンズとしては それは単焦点レンズではなく いわゆる標準ズームなのだと思います

よほど理由がない限り 最初から単焦点レンズを選ぶことは まずないのでしょう しかしまだズームレンズが一般的はなかった遥か昔 とくに1970年代の後半は 一眼レフのカタログには 50mm f1.4 が装置されていたものでした

35mmフィルムカメラ全盛期 スナップカメラの頂点はライカであり それを選ぶカメラマンのタイプによって 選ぶ標準レンズには好みがあり 50mm35mm 二つの大きな選択肢だったようです

ゆえにM型ライカの元祖は 究極のレンジファインダーを持つM3であり 50mm枠がメインてあり その後35mm枠も採用したM2が追加されたのです

例えば決定的瞬間という撮影用語の代表格(諸説異論はありますが)である アンリ・カルティエ・ブレッソンは ズミクロン 50mmが代名詞のように語られています

ところで ズミクロンと言えば通常 f2を意味します 現在通常 似たスペックのレンズとしては f1.8になるのでしょうか

もし私が最初に一眼レフを選んだ頃に戻って カメラとレンズを選ぶとしたら シルバーのオリンパスOM-1かブラックのニコンFM そしてレンズは 50mm f1.8かもしれません

当時最も普及していた 50mm f1.4よりも若干暗いとはいえ ズミクロンより明るいわけですし f1.4よりf1.8 廉価で薄型で 傾向性に優れていました

今回私が使用したレンズはニコンの Ai Af Nikkor 50mm f1.8Dです

1980年に発売されたニコンEM 当時ブロ仕様とされていたニコンが初めて発売した リトルニコンの代名詞を持つ超小型の一眼レフ

それに合わせて設計された 50mm f1.8 シリーズEはいわゆるパンケーキタイプでしたが 当時NIKKORの銘すら与えられない廉価版でした

このレンズは時代を経て何世代もの変遷を遂げました そしてその基本設計はそのままに 今回の Ai Af Nikkor 50mm f1.8Dに受け継がれており 平成最後も2019年でも 新品で入手することができます しかもニコンで最も廉価なレンズとして

現在の最新設計の優秀な50mmレンズたちとは ちょっと写りは昔風ですし 私のZ7に純正アダプターを介して装着できますが AFは使用できません 最も AFは私にとって必須ではないので この小型軽量のレンズはとても頼りになる相棒です

f1.8開放での神戸旧居留地の撮影ですが 空気感のある しっとりとしたモノクロームを表現できていると思えるのですが いかがなものでしょうか"

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2017年の秋は奈良へ・・・

2017-09-17 21:51:41 | デジ一眼+純正レンズ
 昨年の秋は足の骨折で、ほとんど撮影ができなかった。
 そのせいもあろうが、今年の秋はとくに、じっくりと写真に向き合いたいと願っている。
 できれば毎日撮りたいが、なかなか、そうは時間が許さないのだが(笑)。

 もう何年も秋は京都に魅せられて、秋を追いかけてきた。偶然に近い状況でふと、立ち寄った南禅寺の境内。見たこともない紅葉に驚き、私の中で何かが弾けた。秋だけでなく様々な季節、様々な場所を訪ねた。それぞれに素晴らしく思い入れも深く、もちろんこれからもずっと、追い求めて撮影していくだろう。

 京都の華やかさ、荘厳さ、まさに見事な錦秋の秋・・・
 しかし今年はもう少し、仄かな秋を感じたい。緩やかに、気持ちよい風を感じて、追い立てられることなく、のんびりと感じたい。

 久しぶりのブログアップである。そんな気持ちの写真を、まずはアップしたい。
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光悦寺と光悦垣 ~本阿弥光悦~

2016-06-05 23:09:37 | デジ一眼+純正レンズ

 本阿弥光悦の名前を知ったのは、吉川英治氏の「宮本武蔵」を学生時代に読んでから。
 それから幾星霜が過ぎ、京都に魅せられた私は偶然に光悦寺の存在を知り、その名前に惹かれ、ある日訪れた。
 そしてそこは、星の数ほどある京都のお寺の中でも、私の筆頭のお気に入りになり、各季節に数えきれない程、訪れることになるのだ。

 千本通を北に車で走り、千本ゑんま堂からさらに北上、佛教大学を越えた辺りから、さらに坂が急になっていく。
 『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な土地であったという。鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地である。

 本阿弥光悦は、「寛永の三筆」の一人に位置づけられる書家として、また、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わった。
 現代でいうならば、マルチアーティストであり、芸術のプロデューサーでもあったのだろう。徳川家康に与えられたこの地に、芸術村を創ることになる。

 光悦が没したのちに、この地は寺となり、現在の日蓮宗・光悦寺になっていったとのことである。

 京都の有名寺院と言えば、清水寺や金閣寺や龍安寺など。大きな建物・広大な敷地・禅の枯山水など。あちこちで記念写真を撮り、土産物を買い求める。
 いかにも一般的に喜ばれる、「京都らしさ」を楽しめる場所が多い。

 光悦寺は縦に細長い敷地で(それはそれで京都らしいともいえるが)、間口が狭くて入口がわかりにくい。
 しかしまず魅せられるのがその入口から。もみじのトンネルに包まれるように、石畳の細い道を進んでいく。
 大徳寺の高桐院にも同じように直線的な入口からの参道があるが、私は光悦寺の方が、遥かに好みだ。
 私のここでの撮影回数・枚数は、枚挙に暇がない。どれほど魅せられてシャッターを切ったかわからない。

 ここから小さいが良い佇まいの鐘楼を越え、いつも丁寧な応対の入口を通ると、右手に本堂があり光悦翁の座像がある。
 ここから右に池を臨みながら木立の中を歩く、季節により、蛙の鳴き声が楽しめる。
 直線を抜けると正面に、光悦垣が見え始める。

 光悦垣とは光悦翁の考案で、菱目に編んだ垣と、矢来風に菱に組んだ組子の天端を割竹で巻き、玉縁としている。
 一般的なものは垣が平面的で、天端の片端が円弧を描いて終わっていますが、光悦寺のものはスケールが違う。
 垣自体が非常に大きくて長く、入口から見て、天端は目の高さ位から、徐々に低くなっていくのだ。
 さらに根本的に異なるのは、湾曲を描いているということ。
 つまり、湾曲を描きながら、徐々に低くなって行く・・・ このバランスが絶妙なのである。
 どこまでも続くような錯覚を覚える程に、実際より遥かに長く長く感じられるのだ。

 これを設計した光悦翁は、独特の宇宙観すら、持っていたのだと推察する。当時はもちろん、写真とういメディアは無い。
 しかしどこからともなく、この空間を写真で表現してみなさいと、問われているような気がしてならない。
 ゆえに訪れる度に、さまざまな試行錯誤と写真表現を行うわけだが、これが楽しくて仕方ないのだ。

 茶室をいくつも過ぎて、奥まで到着し、せせらぎを聴きながら腰かける。そして鷹峯を間近に臨む。
 決して広くは無いが、私にとっては撮影スポットの宝庫であるし、その場に居るだけで、高揚したり落ち着いたり。
 せっかく訪れても、何もないじゃないかと、すぐに帰ってしまう方も散見する。それはそれで、いいのだと思う。
 でも私にとって光悦寺は、何度訪れようとも決して飽きない、大切な場所なのである。
 


 光悦寺への感謝と思いから、ついつい綴ってしまった。
 ここらで、写真の話をしておかなくては(笑)。
 でも詳しくは、次回にしたいと思う。
 今回の写真は、光悦垣に向かって右脇に、いつも茂って咲く萩のこと。初夏になり、まだ軟らかで可愛い萩が生え始めたのだ。
 その優しい佇まいを、光悦垣とともに撮ってみた。
 機材は前回同様。X-Pro2 + XF 18mm F2である。
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