マクロレンズはもともと描写力に優れたレンズだが、単焦点としてはやや、開放F値が暗いといえる。もちろん、ズームに比べれば十分明るいのだが・・・
よって、手ブレ補正機能が備われば、夜景撮影にも使える。
大阪天満橋の近く、川には船も走っていて、風情がある。
よって、手ブレ補正機能が備われば、夜景撮影にも使える。
大阪天満橋の近く、川には船も走っていて、風情がある。
写真を撮るときに昔から気を遣うのは『ピント』だ。ピンボケ連発、などど呼ばれると下手の代表みたいである。私が一眼レフを始めた頃はもちろんMF(マニュアルフォーカス)の時代であり、コンパクトカメラ(ジャスピンコニカ)などにやっと市販のAFが売り出された頃であった。しかし一眼レフもAF(オートフォーカス)の研究は1970年代後半から進んできており、ニコンもF2の時代に試作品を開発している。もっとも大砲のようなレンズであり、市販はされなかった。本題ではないので多くは語らないが、ミノルタのαシリーズから、本格的なAF時代が始まったのである。そういえばコニカもミノルタも、カメラメーカーとしてはもう、存在しない。寂しい限りである。
とにかく人物にせよなんにせよ、基本はファインダーを覗いて中心部分でピントを合わせて、ピントが合った被写体以外は、ボケるのが普通だ。しかしマクロレンズで花などを撮る場合、コンパクトデジカメでスナップ撮影する時とは段違いにピントに対してはシビアになる。ピントの合う厚さ(被写界深度)は文字通りミリ単位なるから、ピントの合う前後に大きなボケを生じることになる。
被写体より後ろを後ボケ、前を前ボケと呼ぶ。それぞれボケを利用して、色のトーンを楽しんだり、不要な物を隠したり、その他枚挙に暇がないほど、いろいろな活用ができる。マクロの場合合焦させる部分もそうだが、構図を決める際にはあらかじめ、前後で何がボケるのを確認しておく必要がある。
今回は八重桜だが、花の近くのボケは後のソメイヨシノの幹や枝のボケで、画像の上の方の模様は、被写体と同じ八重桜の花を、すこし手で寄せてグラディエーションを作った。
すべて後ろボケのように見えるが、前ボケとの融合なのである。
機材は同じくニッコールVR105mmだ。カメラ側の特性もあるから一概にいえないが、キヤノンの方が線が線描者がしっかりしているようだ。レンズ自体の鮮やかさもはっきりしている。ニコンはどちらかというと、階調表現に優れている。トーンの微妙な動きが繊細だ。優劣をいうのは難しいし、酷だが、VR(手ブレ補正)が4段分で効くし、最新設計ということで、ニコンに軍配が上がる。私をキヤノンからニコンに引き戻すに十分なレンズだ。
とにかく人物にせよなんにせよ、基本はファインダーを覗いて中心部分でピントを合わせて、ピントが合った被写体以外は、ボケるのが普通だ。しかしマクロレンズで花などを撮る場合、コンパクトデジカメでスナップ撮影する時とは段違いにピントに対してはシビアになる。ピントの合う厚さ(被写界深度)は文字通りミリ単位なるから、ピントの合う前後に大きなボケを生じることになる。
被写体より後ろを後ボケ、前を前ボケと呼ぶ。それぞれボケを利用して、色のトーンを楽しんだり、不要な物を隠したり、その他枚挙に暇がないほど、いろいろな活用ができる。マクロの場合合焦させる部分もそうだが、構図を決める際にはあらかじめ、前後で何がボケるのを確認しておく必要がある。
今回は八重桜だが、花の近くのボケは後のソメイヨシノの幹や枝のボケで、画像の上の方の模様は、被写体と同じ八重桜の花を、すこし手で寄せてグラディエーションを作った。
すべて後ろボケのように見えるが、前ボケとの融合なのである。
機材は同じくニッコールVR105mmだ。カメラ側の特性もあるから一概にいえないが、キヤノンの方が線が線描者がしっかりしているようだ。レンズ自体の鮮やかさもはっきりしている。ニコンはどちらかというと、階調表現に優れている。トーンの微妙な動きが繊細だ。優劣をいうのは難しいし、酷だが、VR(手ブレ補正)が4段分で効くし、最新設計ということで、ニコンに軍配が上がる。私をキヤノンからニコンに引き戻すに十分なレンズだ。
マクロは近接撮影のこと、被写体は別に花でなくてもよいのだが、春先は自然に花に目がいってしまう。マクロにどうしても興味がわかなかったのは、私自身が花の種類がよくわからなかったこともある。もちろん桜やツツジなどはわかるが、たとえばネイチャーフォトが趣味の方々なら、野草などもこと細かくご存じなものである。
例えば学生の写真部に在籍していたころ、親友は鉄道写真を専門にしていた。彼はもともと鉄道および鉄道模型が好きで、それが発端でカメラ道に入ったというタイプであった。私などはよくあるくちで、カメラそのものが好きでカメラ道に入った俗物であるからして、せっかく写真部なるものに入部しても、カメラ談議は得意でも、何を撮影したらよいのか、最初はさっぱりわからない状況であった。それでも写真展などがあったので、とりあえず友人に京都に連れていってもらい、金閣など撮影して出展してみたが、面白くもなんともない写真であったことを覚えている。
前述の鉄道好きの友人であるが、関西の有名な鉄道スポットである、山崎周辺や余部鉄橋など、それも始発のJR(当時は国鉄)の普通列車に乗って、今思えば贅沢な場所に連れて行ってもらったのであるが、当時はよくわからなかった。なにせ鉄道写真というのは時刻表を調べたら、あとは列車の到来をひたすら待つのみである。1時間に1本来てくれたらいい方で、来た列車に向けて、バシャバシャ連写するのである。当時の私の所有するカメラは秒間2コマのワインダー付き、しかしどうしても構図として成り立たないのである。タイミングが早いか、遅いか、どちらかで、一コマ撮りしてもタイミングがずれる。どうしても列車の迫力に負けてしまうのであろう。
しかしすぐ隣で撮影している鉄道好きの友人が撮影した写真をあとで見せてもらうと、とても同じ場所で撮ったとは思えないほど上手い、のである。気合いの入れ方が違うんだろう、といえばそれまでだが、橋と列車を撮ればその位置で走っていて絵になる構図になっているし、汽車を撮れば縦長で構図を使い、煙の立ちのぼる雰囲気が絶妙であった。
マクロで花を撮影していて、同じような感覚をつい最近まで感じていた。つまり興味がないのにカメラを向けても、自分で良いと思える写真にならないのである。
しかし今年の春は、とくに桜が待ち遠しかった。冬が長く寒く思えたぶん、春の到来がとてもうれしい。そういう気持ちで、花を撮ってみたいと最近は思っている。
機材は同様で、VR Micro 105mmと、D2Hsである。
例えば学生の写真部に在籍していたころ、親友は鉄道写真を専門にしていた。彼はもともと鉄道および鉄道模型が好きで、それが発端でカメラ道に入ったというタイプであった。私などはよくあるくちで、カメラそのものが好きでカメラ道に入った俗物であるからして、せっかく写真部なるものに入部しても、カメラ談議は得意でも、何を撮影したらよいのか、最初はさっぱりわからない状況であった。それでも写真展などがあったので、とりあえず友人に京都に連れていってもらい、金閣など撮影して出展してみたが、面白くもなんともない写真であったことを覚えている。
前述の鉄道好きの友人であるが、関西の有名な鉄道スポットである、山崎周辺や余部鉄橋など、それも始発のJR(当時は国鉄)の普通列車に乗って、今思えば贅沢な場所に連れて行ってもらったのであるが、当時はよくわからなかった。なにせ鉄道写真というのは時刻表を調べたら、あとは列車の到来をひたすら待つのみである。1時間に1本来てくれたらいい方で、来た列車に向けて、バシャバシャ連写するのである。当時の私の所有するカメラは秒間2コマのワインダー付き、しかしどうしても構図として成り立たないのである。タイミングが早いか、遅いか、どちらかで、一コマ撮りしてもタイミングがずれる。どうしても列車の迫力に負けてしまうのであろう。
しかしすぐ隣で撮影している鉄道好きの友人が撮影した写真をあとで見せてもらうと、とても同じ場所で撮ったとは思えないほど上手い、のである。気合いの入れ方が違うんだろう、といえばそれまでだが、橋と列車を撮ればその位置で走っていて絵になる構図になっているし、汽車を撮れば縦長で構図を使い、煙の立ちのぼる雰囲気が絶妙であった。
マクロで花を撮影していて、同じような感覚をつい最近まで感じていた。つまり興味がないのにカメラを向けても、自分で良いと思える写真にならないのである。
しかし今年の春は、とくに桜が待ち遠しかった。冬が長く寒く思えたぶん、春の到来がとてもうれしい。そういう気持ちで、花を撮ってみたいと最近は思っている。
機材は同様で、VR Micro 105mmと、D2Hsである。
桜のシーズンがいよいよ終わりを告げた。ブログにアップすべき写真も溜まったのであるが、多忙につきまだまだ整理がついていない。2006年度はキヤノン純正のEF100mm Macro USMをKissDNとの組み合わせで使い、その魅力に惹きつけられたが、やはり三脚を使わずに撮影するスタイルでは、手ブレについては限界があり、そうしているうちにニコンから、従来の2倍の手ブレ補正がついたマクロレンズが発売されたと聞き、早速購入してみた。
AF-S VR Micro Nikkor 105mm F2.8Gは、従来と比較して、4段階の手ブレ補正可能である。ニコンのマクロレンズを実際に触ったのは古く、1978年頃である。友人の父親が発掘作業に従事していたので、そのカメラを触らせてもらったのだが、Nikomatに50mm(55mm)マクロがついていた。ちなみにニコンはマクロと呼ばず、マイクロニッコールと呼ぶ。その当時、レンズが小さく、鏡胴が長く伸びるのを不思議な気分でみていた。
ニコンにはズームマクロという領域もあるが、まだまだ基本的にマクロレンズは単焦点であり、50-100mm前後が一般的な焦点距離だ。手持ちで使いやすいのは圧倒的に50mmだが、梅や桜などを一輪だけ拡大するなどという使い方をするには、やはり100mmくらいが必要になる。
1枚目はこの春の名残りのソメイヨシノである。もっともっと書きたい気分だが、明日の仕事に差し支えそうなので、また後日おつきあい願いたい。
AF-S VR Micro Nikkor 105mm F2.8G + nikon D2HS
AF-S VR Micro Nikkor 105mm F2.8Gは、従来と比較して、4段階の手ブレ補正可能である。ニコンのマクロレンズを実際に触ったのは古く、1978年頃である。友人の父親が発掘作業に従事していたので、そのカメラを触らせてもらったのだが、Nikomatに50mm(55mm)マクロがついていた。ちなみにニコンはマクロと呼ばず、マイクロニッコールと呼ぶ。その当時、レンズが小さく、鏡胴が長く伸びるのを不思議な気分でみていた。
ニコンにはズームマクロという領域もあるが、まだまだ基本的にマクロレンズは単焦点であり、50-100mm前後が一般的な焦点距離だ。手持ちで使いやすいのは圧倒的に50mmだが、梅や桜などを一輪だけ拡大するなどという使い方をするには、やはり100mmくらいが必要になる。
1枚目はこの春の名残りのソメイヨシノである。もっともっと書きたい気分だが、明日の仕事に差し支えそうなので、また後日おつきあい願いたい。
AF-S VR Micro Nikkor 105mm F2.8G + nikon D2HS
大阪城の、大手門を少し入ったところにある、大きな桜である。かの東山魁夷画伯が、月のピークと桜のピークが同時に重なる偶然について言及されていたことがあるようだが、今回は残念ながら月のピークではない。ただし桜は見事なまでのピークで、満開でありながら、花びらは落ちていない状態だ。
本来なら三脚を据えて、構図をじっくり確認しながら、長時間露出をかけて高画質を保ちながら撮影すべきなのだろうが、実際は人並みに押されて、振り向きざまに瞬間的にスナップしたようなものである。雑に撮るのはいけないが、あまりひとの流れに迷惑もかけれないので、素早い撮影が必要な場合もある。カメラは今まで同様に30Dと、シグマ17-70mmである。
本来なら三脚を据えて、構図をじっくり確認しながら、長時間露出をかけて高画質を保ちながら撮影すべきなのだろうが、実際は人並みに押されて、振り向きざまに瞬間的にスナップしたようなものである。雑に撮るのはいけないが、あまりひとの流れに迷惑もかけれないので、素早い撮影が必要な場合もある。カメラは今まで同様に30Dと、シグマ17-70mmである。
Canon EOS 30D + SIGMA17-70mm F2.8-4.5 DC macro
発売日の購入以来、上記の構成が非常に気に入っている。それとキヤノンについては後述するとして、最近マクロづいてきたので、今日は少し私本来の撮影スタイルに戻ってみた。都会の雑踏の橋のたもとである。本来は決して美しい場所ではないし、小川のせせらぎでもない。倍率を上げたマクロならば、どんな場所でもネイチャースナップに作り上げることが(上手なひとなら)できるそうだが、私は本来、このようによどんだ水はよどんだ感じで、金属の橋はそれらしく写って欲しいと思っている。しかしこの桜によって、しかもそれが朝日を浴びていることによって、こんなに彩り美しくなるのかと、その場を歩けば感動してしまう。
早起きは三文の得とはいうが、それをまさに実体験できた。
キヤノンといえば私にとって特殊なメーカー。以前書いたように、すでに1970年代終わりに、私はキヤノンA-1を購入の筆頭候補に考えていた時期もあった。中学の親友はAE-1を所有していたし、高校の写真部の頃、一番一緒によく撮影に言った友人は、A-1を所有していた。
1970-80年代に一眼レフといえば、まずみんなニコンに憧れたものである。この頃のFEを大切にし、今も銀塩写真を続けている友人もいる。F10に変わってはいるが。
ニコンと並んでキヤノンは、私にとって買いたくて買えなかった(買わなかった?)という、複雑なシチュエーションにあるカメラメーカーであった。ゆえにキヤノンを購入できるようになったのはEOS 10Dからであり(D30より半額近く安くなった!)、Canonのロゴを、あこがれの眼で見たものである。それからKissDNを追加し、5D購入の際には泣く泣く10Dを売って購入した。あっそうそう。ちなみに職場では初代KissDに50mmコンパクトマクロをつけてを使っている。
私にとってニコン物語もあるわけだが、キヤノンのレンズも純正やサードパーティー(シグマ製)を揃えてきたし、まだまだニコンの資産?ほどではないが、フラッグシップ機こそないし、Lレンズも1本しかないが、徐々に増えてきている現状である。
なんといってもピクチャースタイルによって機種間の画質に差があまり感じられなくなってきたのが、最大の利点かもしれない。また、ピクチャースタイルには非常に使いやすい要素が詰まっている。ついつい、RAWで撮って、いろいろ試してみたくなる。楽しい・楽しい、といえる。
先進の機種だった、ある意味未来を感じさせてくれたA-1。質実剛健だったF-1。優秀なFD→EFレンズ群。先見性のあったEOSマウント、リングUSM。そして最近のセンサーからのデジタル一眼開発。そしてプリンタも統合した写真への環境整備など、一人勝ち、と呼称されるべき要素は、今のキヤノンにはいっぱい詰まっている。とりあえずデジタル一眼が欲しい、というひとがいたら、とりあえずキヤノンを、と勧めればまず間違いないだろう。
ただしカメラはマイノリティにこそ、味わいが隠されている部分も多々あるので、私はキヤノンユーザーとはいえるが、キヤノン至上主義ではないのだ・・・あしからず!
発売日の購入以来、上記の構成が非常に気に入っている。それとキヤノンについては後述するとして、最近マクロづいてきたので、今日は少し私本来の撮影スタイルに戻ってみた。都会の雑踏の橋のたもとである。本来は決して美しい場所ではないし、小川のせせらぎでもない。倍率を上げたマクロならば、どんな場所でもネイチャースナップに作り上げることが(上手なひとなら)できるそうだが、私は本来、このようによどんだ水はよどんだ感じで、金属の橋はそれらしく写って欲しいと思っている。しかしこの桜によって、しかもそれが朝日を浴びていることによって、こんなに彩り美しくなるのかと、その場を歩けば感動してしまう。
早起きは三文の得とはいうが、それをまさに実体験できた。
キヤノンといえば私にとって特殊なメーカー。以前書いたように、すでに1970年代終わりに、私はキヤノンA-1を購入の筆頭候補に考えていた時期もあった。中学の親友はAE-1を所有していたし、高校の写真部の頃、一番一緒によく撮影に言った友人は、A-1を所有していた。
1970-80年代に一眼レフといえば、まずみんなニコンに憧れたものである。この頃のFEを大切にし、今も銀塩写真を続けている友人もいる。F10に変わってはいるが。
ニコンと並んでキヤノンは、私にとって買いたくて買えなかった(買わなかった?)という、複雑なシチュエーションにあるカメラメーカーであった。ゆえにキヤノンを購入できるようになったのはEOS 10Dからであり(D30より半額近く安くなった!)、Canonのロゴを、あこがれの眼で見たものである。それからKissDNを追加し、5D購入の際には泣く泣く10Dを売って購入した。あっそうそう。ちなみに職場では初代KissDに50mmコンパクトマクロをつけてを使っている。
私にとってニコン物語もあるわけだが、キヤノンのレンズも純正やサードパーティー(シグマ製)を揃えてきたし、まだまだニコンの資産?ほどではないが、フラッグシップ機こそないし、Lレンズも1本しかないが、徐々に増えてきている現状である。
なんといってもピクチャースタイルによって機種間の画質に差があまり感じられなくなってきたのが、最大の利点かもしれない。また、ピクチャースタイルには非常に使いやすい要素が詰まっている。ついつい、RAWで撮って、いろいろ試してみたくなる。楽しい・楽しい、といえる。
先進の機種だった、ある意味未来を感じさせてくれたA-1。質実剛健だったF-1。優秀なFD→EFレンズ群。先見性のあったEOSマウント、リングUSM。そして最近のセンサーからのデジタル一眼開発。そしてプリンタも統合した写真への環境整備など、一人勝ち、と呼称されるべき要素は、今のキヤノンにはいっぱい詰まっている。とりあえずデジタル一眼が欲しい、というひとがいたら、とりあえずキヤノンを、と勧めればまず間違いないだろう。
ただしカメラはマイノリティにこそ、味わいが隠されている部分も多々あるので、私はキヤノンユーザーとはいえるが、キヤノン至上主義ではないのだ・・・あしからず!
桜の枝は風にたなびく。100mmマクロはワーキングディスタンス(被写体からの撮影距離)も長く取れるので、撮影自体はやりやすいが、倍率が高すぎるのでいったいどこを狙って撮っているのか、わからなくなることがある。風に揺られた枝は、たとえそよ風であっても、ファインダーの中では嵐のように揺れ動く。同じ場所で何回も撮影すると、ピントがうまく合った画像が得られるので、形のいい花を見つけたら、諦めずにじっくりと撮影したい。
マクロはおとなしい撮影というイメージがあるが、ピント合わせも難しいし、風とのタイミングに合わせて撮影するので、ある意味動体撮影になることもあり、なかなか神経を使うものだ。
Canon EOS KissDN + EF 100mm F2.8 Macro USM
マクロはおとなしい撮影というイメージがあるが、ピント合わせも難しいし、風とのタイミングに合わせて撮影するので、ある意味動体撮影になることもあり、なかなか神経を使うものだ。
Canon EOS KissDN + EF 100mm F2.8 Macro USM