KIRAKUjin~ Let's enjoy "Photo" together ~

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☆光と影の魔術師☆

光悦寺と光悦垣 ~本阿弥光悦~

2016-06-05 23:09:37 | デジ一眼+純正レンズ

 本阿弥光悦の名前を知ったのは、吉川英治氏の「宮本武蔵」を学生時代に読んでから。
 それから幾星霜が過ぎ、京都に魅せられた私は偶然に光悦寺の存在を知り、その名前に惹かれ、ある日訪れた。
 そしてそこは、星の数ほどある京都のお寺の中でも、私の筆頭のお気に入りになり、各季節に数えきれない程、訪れることになるのだ。

 千本通を北に車で走り、千本ゑんま堂からさらに北上、佛教大学を越えた辺りから、さらに坂が急になっていく。
 『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な土地であったという。鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地である。

 本阿弥光悦は、「寛永の三筆」の一人に位置づけられる書家として、また、陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わった。
 現代でいうならば、マルチアーティストであり、芸術のプロデューサーでもあったのだろう。徳川家康に与えられたこの地に、芸術村を創ることになる。

 光悦が没したのちに、この地は寺となり、現在の日蓮宗・光悦寺になっていったとのことである。

 京都の有名寺院と言えば、清水寺や金閣寺や龍安寺など。大きな建物・広大な敷地・禅の枯山水など。あちこちで記念写真を撮り、土産物を買い求める。
 いかにも一般的に喜ばれる、「京都らしさ」を楽しめる場所が多い。

 光悦寺は縦に細長い敷地で(それはそれで京都らしいともいえるが)、間口が狭くて入口がわかりにくい。
 しかしまず魅せられるのがその入口から。もみじのトンネルに包まれるように、石畳の細い道を進んでいく。
 大徳寺の高桐院にも同じように直線的な入口からの参道があるが、私は光悦寺の方が、遥かに好みだ。
 私のここでの撮影回数・枚数は、枚挙に暇がない。どれほど魅せられてシャッターを切ったかわからない。

 ここから小さいが良い佇まいの鐘楼を越え、いつも丁寧な応対の入口を通ると、右手に本堂があり光悦翁の座像がある。
 ここから右に池を臨みながら木立の中を歩く、季節により、蛙の鳴き声が楽しめる。
 直線を抜けると正面に、光悦垣が見え始める。

 光悦垣とは光悦翁の考案で、菱目に編んだ垣と、矢来風に菱に組んだ組子の天端を割竹で巻き、玉縁としている。
 一般的なものは垣が平面的で、天端の片端が円弧を描いて終わっていますが、光悦寺のものはスケールが違う。
 垣自体が非常に大きくて長く、入口から見て、天端は目の高さ位から、徐々に低くなっていくのだ。
 さらに根本的に異なるのは、湾曲を描いているということ。
 つまり、湾曲を描きながら、徐々に低くなって行く・・・ このバランスが絶妙なのである。
 どこまでも続くような錯覚を覚える程に、実際より遥かに長く長く感じられるのだ。

 これを設計した光悦翁は、独特の宇宙観すら、持っていたのだと推察する。当時はもちろん、写真とういメディアは無い。
 しかしどこからともなく、この空間を写真で表現してみなさいと、問われているような気がしてならない。
 ゆえに訪れる度に、さまざまな試行錯誤と写真表現を行うわけだが、これが楽しくて仕方ないのだ。

 茶室をいくつも過ぎて、奥まで到着し、せせらぎを聴きながら腰かける。そして鷹峯を間近に臨む。
 決して広くは無いが、私にとっては撮影スポットの宝庫であるし、その場に居るだけで、高揚したり落ち着いたり。
 せっかく訪れても、何もないじゃないかと、すぐに帰ってしまう方も散見する。それはそれで、いいのだと思う。
 でも私にとって光悦寺は、何度訪れようとも決して飽きない、大切な場所なのである。
 


 光悦寺への感謝と思いから、ついつい綴ってしまった。
 ここらで、写真の話をしておかなくては(笑)。
 でも詳しくは、次回にしたいと思う。
 今回の写真は、光悦垣に向かって右脇に、いつも茂って咲く萩のこと。初夏になり、まだ軟らかで可愛い萩が生え始めたのだ。
 その優しい佇まいを、光悦垣とともに撮ってみた。
 機材は前回同様。X-Pro2 + XF 18mm F2である。
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富士フィルム X-Pro2 + XF18mm F2R with ACROS

2016-06-05 19:35:18 | デジ一眼+純正レンズ
「ご無沙汰しています」
 自分のブログに対して、こんな言葉を投げかけるなんて、嘆かわしい限りである。
 かつては自分の写真への、ある時は機材への(こっちがメインか)想いを綴っていたが、いつしか疎遠になってしまっていた。
 でも自分の写真への関わり、そしてその軌跡は、ここに存在するのだから。今一度、綴っていきたいと願っている。
 決して写真と疎遠だったわけではなく、いやむしろ、写真にさらに深くのめりこんでいたのだが。時間が無いばかりでなく、綴る心境に至らに日々が過ぎていった。それが実情かも知れない。

 前置きはさておき、KIRAKUjinブログの久々の復帰のテーマは、大命題?である、「単焦点レンズ考」である。

 1980年代に入るくらいまでは、一眼レフを買うときに選択する標準レンズは大抵、50mmであった。
 その中で開放絞り値で価格に差があり、通常はF1.4が一般的。廉価版としてF1.8、高級版としてF1.2がある。当時はそんな認識だった。
 2016年の現在は、カメラに付属する標準レンズとしてはズームレンズが殆どだろう。しかし昔は、ズームレンズは重い、暗い、描写が良くない。そんな評価のレンズだった。
 実際ニコンやキャノンが、比較的廉価の標準ズームを発売し始めた頃だったが、確かに現在の標準ズームとは比較にならない。ボケは汚く、周辺は画像が乱れ、渦巻く。
 高級ズームとしては、当時まだ珍しかった非球面レンズ(モールドでなく研削)を使用しているものは、まだ描写が良いものもあったが、下手するとカメラより高価であった。

 「ズームなのに単焦点並みの描写・ボケ味」など、当時はよくキャッチフレーズに使われたものだが、先日あるメーカーのズームの宣伝文句を見ると、いまだに同じことが書かれていた。
 もうズームだから云々・・・という時代ではないのだろうが、そんなイメージは、ずっと残り続けるのかもしれない。

 あらためて基本用語を整理しておくと、レンズの焦点距離は、短いものから長いものまであるが、短いものは広角、長いものは望遠に区別される。
 昔は設計技術の関係で、1本のレンズの焦点距離は決まっていて、変更はできなかった。焦点距離の変更には、レンズ交換を要した。
 しかし技術の進歩で、焦点距離可変のレンズが誕生した。それがズームレンズである。レンズ交換しなくても、指先ひとつで焦点を変えられる・・・
 もう単焦点など、必要ないのではないか。そう思えそうだが、実際はそう簡単ではないのだ。

 一般的にズームレンズはレンズ構成が複雑であり、大型になりやすい。そして開放絞り値が、暗くなりがちなのだ。画質は素晴らしいものもあるが、そうでないものもまだ存在する。
 逆に単焦点はレンズ構成が比較的単純で、小型軽量化しやすい。標準領域の35-50mm程度であれば、廉価でも開放絞り地がF.2よりも明るいものが多い。
 ゆえに撮影スタイルがある程度決まっていて自分に向いていると思えば、単焦点は今の時代でも、常用レンズとして使えるのである。

 私の撮影スタイル(あくまでも私個人のレベルに限定)は、カメラは特別な日の存在ではなく、毎日携行する、自分の眼の延長・身体の一部である。
 そして撮影対象は、日本が誇る絶景でもなく、高速で走る鉄道でもない。写真教室など集団行動は苦手で、主に通勤の途中の街中や、時間があれば車で1時間くらいで移動できる場所ばかりだ。
 よって機材は、小型軽量であればあるほど望ましい。小さな通勤鞄に放り込めれば、それが理想なのだ。

 絶景をライフワークにされてる方なら、大型の一眼レフを複数。場合によりフルサイズとAPS。レンズは超広角から標準ズーム、望遠ズームなど。それも赤帯とかついた高級・高性能なものを複数本必要になるだろう。
 そしてブレ防止や、場合によっては場所取りのため、大きくてしっかりとした三脚も必要になるだろう。現地でパソコンですぐに画像を確認する方もいらっしゃる。
 そんな諸々のものを詰め込めばおそらく、はたから見れば、今からエベレスト登頂を目指すのか、といったスタイルにならざるを得ない。
 鉄道写真なら脚立が必要な方もいらっしゃるので、小さくてもワゴンタイプの車が必要になる。
 そうした努力があって、素晴らしい写真が生まれるということも、決して忘れてはいけない。

 ただ私が選んだ写真の道に必要な機材は、カメラ一台(それもミラーレス)、単焦点レンズ1本。予備のSDカードとバッテリ。ただそれだけである。
 交換レンズは基本持たず、外に出てしまえば、レンズ1本で撮影(勝負)することになる。出かける前に、その日の自分の「眼」が決まるのだ。
 単焦点レンズへのコダワリはただならぬものがあるので、それは別の機会にするが、少しだけ列記しておく。

 ・戦前、とくに70年以上前のノンコートレンズ。
 ・第2次大戦前後のレンズ。1960~1970年代ごろのレンズ。1980年代以降のレンズ。
 ・メーカーによる差。ツァイスやライカの描写の違い。ニコンやキャノンなど国内メーカーの差異。とくに1970年代を境に。
 ・レンズの硝材や設計による違い。オールドで鉛使用など特殊素材を使用したもの(放射能レンズは私は倉庫の奥にしまってあるが)。
 ・絞りによる画質やコントラストの変化、周辺光量低下の度合い。そしてもちろんボケ味(収差に基づく)。
 ・などなど

 おそらく列記すればそれだけで、数十を越えて、百番台に入ってしまうのだろうが、いずれ言及してみたい。

 単焦点レンズの選択今回は単純に述べると、本来の35mmフィルムの画角で、28・35・50・75・80-90・135mmくらいまで。
 そのあたりが、私のレンズ選択枝になる。例外としてマクロレンズ。これは単焦点の、これも別分野でじっくり綴りたい、最重要レンズのカテゴリーだ。

 今日の作例のレンズは、現代の国産レンズ。18mm F.2のスペック。APSサイズのミラーレスに装着するので、画角はほぼ27mmで、かつての広角に相当する。
 現代の、建物が大きくて多様化した街のスナップには、最適の標準レンズとも言える。
 このレンズの利点は、最短撮影距離が比較的短いこと。発売して数年のレンズだが、同年代の単焦点に較べると、絞り開放での描写は軟らかくて優しい。
 コントラストも強くなく、むしろ階調は豊かなようである。
 この画角なら街頭スナップ時は、ライカのようなレンジファインダーで、素早く切り取りたい心境になる。
 逆に最短撮影距離周辺での撮影なら、ボケの程度や色調など、液晶ビューファインダーでじっくりと確認したい。

 ミラーレスの超広角レンズは一眼レフのように、撮像面から距離をとる必要がない。
 ゆえにレンズ設計はレトロフォーカスタイプではなく、撮像面(センサー)ギリギリまで、後玉を持ってこれる。この方が設計に無理がない。
 レンズは小型で薄く、かつ歪曲収差が非常に少なくて済む。単焦点でもそうであるから、ズームの18mmなら、推して知るべしである。

 前述したように私の場合、「カメラは特別な日の存在ではなく、毎日携行する。」である。
 18mm F.2のレンズをミラーレスに装着すれば、レンズの厚みも薄いので、非常に携行しやすい。スナップには最適の画角だし、ビルなど建物も歪曲が少ない。
 開放絞り値は明るく、暗所撮影にも向いている。最短撮影距離が短いので、本格的な近接撮影は無理なものの、疑似マクロ的な撮影は可能だ。

 今回の機材は富士フィルムの、X-Pro2 + XF18mm F2R。
 レンズの描写もさることながら、X-Pro2に初搭載のフィルムシミュレーションである、ACROSをどうしても試してみたかったのだ。
 本来カラーのセンサーでモノクロを表現するのは、画素の処理上無駄が多く、苦手分野だと言える。
 それゆえに、ライカはモノクロ専用機である、M-モノクロームを開発したのだが、いかんせん高価である(100万円以上)。
 もともとライカのズミクロンよりは、おとなし目の描写である、エルマーやズマロンの方が私は好きなタイプである。
 とくにエルマーはライカの原初のアナスティグマットと同じ設計であり、3群4枚のシンプルなテッサータイプのレンズ構成を持つ。
 私がデジタルのモノクロに求めるのもこの路線なので、コントラストは決して強くなく、階調表現が豊かで、どこか優しく懐かしい描写が好みだ。
 評判の高いACROSだが、少しコントラストなどは弱めた設定に変更している。
 カメラの画像エンジンでねじ伏せるような現代の一眼レフの描写ではなく、レンズそのものの描写の味わいを、カメラ側がふくよかに受け止めてくれるような、そんな感じを抱かせる写真が好みなのだ。

 久々のブログ復帰なので、ついつい綴ってしまったが、これでもまだ書き足らないくらいだ。
 次回更新は、早めにできればと願っている。

 今日の作例は、京都・鷹峯の光悦寺から。
 ここは何もないと思えば、二度と訪れない場所。しかし私のように魅力を感じてしまえば、数えきれない程、訪れることになる場所。
 洛中から離れた静かな佇まいと、細やかで繊細な季節感、そして淡い光・・・ その機微を捉えるのが、私の写真だ。
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