七夕の時期によく耳にし
空気の綺麗な場所では見えるかも知れない
空に浮かぶ星の集まりのことです。
もうお分かりですね。
果たして正解は…
正解は「あまのがわ」でした。
チョット無理な読み方かなぁ!!
ドコモ再編と携帯値下げ「バーター取引」の真相、NTT・菅官邸・総務省の一蓮托生
総務省とNTTとの間で行われた
2カ月に及ぶ「密室協議」の謎
NTTは、政府が3分の1以上を出資する特殊法人だ。NTT法に基づき、総務省が取締役の選任の認可権を持つほか、毎年3月には事業計画の認可を受けなくてはならない。 同時に、年度の途中で計画が大きく変われば「変更」の認可を得なければならないこととされているが、NTTは今回のドコモ完全子会社化で事業計画の変更を申請しなかった。総務省が「必要ない」と判断したためだ。NTT法に基づく認可手続きを免除した格好だが、その判断に至ったのはなぜなのか。 国会答弁で、総務省の竹内芳明・総合通信基盤局長は「ドコモは従来からNTTの連結子会社で、完全子会社化されたとしてもNTT法が求める業務が変わることはなく、責務の遂行に影響を与えることはない」「昨年7月にNTTから説明を受けて、その後に詳細なやりとりを行って、9月の時点で変更の認可は必要ないと判断した」としている。 だが、NTTにとって4兆円もの資金を投じる巨額買収だ。NTTは99年の分割・再編に伴って同年度の事業計画を変更して認可を受けたことがあるが、今回はそれに次ぐほどの再編である。
国会で、この問題を指摘した立憲民主党の小西洋之参議院議員は「これだけのインパクトがあるドコモの完全子会社化について、本当に事業計画の変更の認可手続きが必要なかったのだろうか」と疑問を投げ掛ける。 果たして、2カ月もの長きにわたって、閉ざされたプロセスで総務省とNTTがどんなやりとりを交わしたのか。波紋が広がっている。
課長更迭事件で総務官僚は戦慄
菅首相と総務省の「恐怖支配の構図」
菅義偉首相の長男が在籍する放送事業者の東北新社による高額接待はNTTに波及した。総務省とNTTの「蜜月」関係に疑いの目が向けられているが、接待問題が泥沼化するとともに、総務省が抱える深い闇もあぶり出されてきた。 発覚すれば処分を免れない高額接待に総務官僚が相次ぎ応じた理由について、ある総務省関係者は「総務省で菅氏の存在は絶対だ。東北新社の創業者と菅氏の関係が近いことは誰でも知っている。特に菅氏の長男に誘われたら断れない」という恐怖心に支配されていたことを明かす。 この関係者によると、菅氏と総務省の支配関係は、菅氏が第1次安倍政権で総務相を務めたときから始まった。当時の菅総務相が総務官僚に衝撃を与えたのが、菅氏の方針と異なる発言をしたという理由でNHK担当課長を更迭した出来事だ。「朝出勤していた課長が夕方にはいなくなった」という見せしめ効果で、気に入らなければ人事権を容赦なく行使する菅氏に総務官僚は戦慄した。
菅氏の総務相就任は06年9月から07年8月までのわずか1年だったが、以降も総務官僚は菅氏に人事や政策の事前報告を欠かさず、支配関係は続いた。「意向に反すると何をされるか分からない怖さがあったので、他の大臣経験者よりも圧倒的に手厚いフォローだった」(前出の総務省関係者)という。
12年に第2次安倍政権が誕生して菅氏が官房長官に就任すると、総務官僚の菅氏への服従姿勢は一段と強まる。14年に設置された内閣人事局で国家公務員の人事が一元化されて全省庁の官僚人事を菅氏が握ったが、それ以前から総務官僚の人事は菅氏に完全に支配されてきた。第2次安倍政権が長期化するとともに、遂に総務官僚にとって菅氏は絶対的な恐怖の対象になった。
菅政権の意向を
過剰に忖度するNTT
この恐怖の支配構造の中で総務省は、18年8月に一つの節目を迎える。当時官房長官だった菅氏が札幌市内の講演で「携帯料金は4割引き下げる余地がある」と発言したのだ。菅氏は、その1カ月前の7月に人事の手も打っていた。情報通信政策の第一人者である谷脇氏を、携帯電話を所管する総合通信基盤局長に充てたのだ。谷脇氏は、菅総務相時代に携帯電話政策に携わり、07年にまとめた報告書で「携帯と通信料と端末代金の分離プラン」の方針を打ち出して、携帯業界にその名を轟かせた。
当時、ガラケーと呼ばれたフィーチャーフォンは「0円端末」が当たり前だったが、この分離プラン政策によって端末販売が減少して「谷脇不況」と呼ばれる現象を引き起こしている。そうした影響力のある人物を菅氏が起用したことは、料金値下げに向けた強い意思の表れに他ならない。当時の野田聖子総務相も「少しでも安くしてほしいというエールを頂いた」と同調したが、総務官僚の視線は、野田氏を飛び越えて菅氏に向いた。
これとほぼ同時期に菅氏はもう一つの布石を打った。前述の通り、NTTの取締役人事は政府の認可事項だ。菅氏の人事介入で、18年6月にNTTの社長に就任したのが澤田氏だった。澤田氏の前任は、人事・労務畑出身の鵜浦博夫氏。NTTの株価を3倍に引き上げるなど大きな実績を残した鵜浦氏は会長となって総務省との窓口を務めることが確実視されていたが、澤田氏の就任とともに発表された役員人事は、鵜浦氏が相談役に退き、副社長だった篠原弘道氏が会長になるという異例の体制だった。この背景を探ると、15年に安倍晋三首相が高市早苗総務相に携帯料金の値下げを指示したことにさかのぼる。当時NTT社長だった鵜浦氏は協力する姿勢を見せずに値下げは実現しなかった。この経緯を問題視した菅氏の介入で、鵜浦氏の会長就任が拒否されたとみられている。
こうして政府との交渉役になった澤田氏は、政権の方針である携帯料金の値下げに配慮せざるを得なくなった。結果として、菅氏に絶対服従する総務省と、政権の意向を忖度するNTTという“鉄壁”の構図が出来上がったのだ。
NTT分割で衝突した
谷脇氏と澤田氏の因縁
携帯料金の値下げと、ドコモの完全子会社化を巡り、菅氏、谷脇氏、澤田氏の個人的な関係も見逃せない。
96年に決着したNTTの分割・再編の当時、谷脇氏は総務省の事業政策課の課長補佐として交渉に加わっていたが、当時、NTTの秘書課長を経て、再編成室に配属されていた澤田氏は、NTT側で分割反対の論陣を張っていた交渉相手だった。
第1次安倍政権で菅総務相の信頼を厚くした谷脇氏は、前述の通り、携帯料金値下げの推進役に抜てきされ、同じタイミングでNTTの社長に就任した澤田氏と再会した格好だ。
歴史的に総務省は、NTTを分割して競争を促進する政策を採ってきたが、それに抵抗してきたNTTにとって99年の分割・再編は、反対運動に敗れた結果として押し付けられた屈辱との意識が根強い。
NTTの歴代社長はグループ再統合にこだわり続けたが、18年に就任した澤田氏にとっても悲願だ。こうして「菅案件」である携帯料金値下げの命題を課されて、澤田氏のNTT社長就任と同時期に総合通信基盤局長に就任した谷脇氏は急接近することになった。
携帯値下げとドコモの子会社化
「バーター取引」疑惑の核心
それでは結局、NTTにとって業績悪化を招く懸念のある「携帯料金値下げ」と悲願の「ドコモの完全子会社化」はバーター取引だったのか。ここからは、事実関係と取材を基にその疑惑に迫ってみたい。
まずは、携帯料金値下げの動きを時系列で追ってみる。
18年9月に行われたNTTの澤田氏と鵜浦氏による接待は、菅氏が「4割値下げ」に言及した直後に当たる。この場での会話について谷脇氏は国会の答弁で「携帯電話の話も出るのは自然」と認めた。
この接待会合の後、澤田氏は持ち前の行動力で携帯料金の値下げにまい進した。NTTドコモの社長を務めていた吉澤和弘氏に対し「思い切った値下げ」を指示。ドコモは10月31日の決算発表の場で「携帯料金の2~4割値下げ」を表明するに至った。
実は、澤田氏は「この頃には、すでにドコモの完全子会社化が念頭にあった」と証言している。谷脇氏の接待で、ドコモ再編の話を持ち出したのかどうかは不明だが、これまでの事実関係を積み重ねれば「携帯料金値下げとドコモ完全子会社化のバーター取引の密約があったのでは」とする疑いが出てくることは不自然ではない。
いずれにしても、その後の携帯料金値下げに向けた総務省の動きも速かった。翌19年5月10日には、携帯電話の通信料金と端末代金の完全分離を義務付ける改正電気通信事業法が国会で成立。これにより谷脇氏が菅総務相の時代から研究してきた分離政策が、ついに法律化されて、揺るぎない政策となった。
この法律を基に、総務省は19年6月18日、携帯電話の2年契約を途中解約する際の「違約金」を従来の9500円から1000円に引き下げて、スマートフォンなど端末の値引きの上限を2万円に制限する方針を提示。それまでの総務省と携帯事業者の議論を無視するかのように唐突に示された方針に、携帯業界の誰もが菅氏の影を感じ取った。
次に、ドコモの子会社化の動きを見てみよう。
NTTがドコモの完全子会社化に動いたのは20年4月のことだ。澤田氏が、当時のドコモ社長の吉澤氏に打診したことで本格的な協議が始まった。NTTはドコモの完全子会社化の方針を、同年7月に総務省に伝えており、その後の9月29日に公式発表している。
同時に、武田良太総務相と公正取引委員会の菅久修一事務総長は、そろって「NTTによるドコモの出資比率の引き上げ」を容認する方針を表明した。過去約30年にわたって、政府はNTTのドコモ出資の引き下げ方針を主張してきたにもかかわらずだ。すでに政府内の足並みがそろっていたことで、12月にNTTグループは、悲願だったドコモ完全子会社化をいとも簡単に実現してしまった。
そして、同じ12月にNTTは月額20ギガバイトの容量で2980円という、当時としては衝撃的な携帯料金値下げプラン「アハモ」を発表し、菅氏の意向通りに携帯料金の値下げの先導役となった。
ここで、いみじくも同時期に携帯値下げとドコモ完全子会社化が結実するのである。時系列の系譜だけを見れば、偶然にしては出来過ぎであろう。
その後に明らかになった接待問題で、次期事務次官の就任が確実視されていた谷脇氏は責任を取り辞職。澤田氏と谷脇氏との間で交わされた詳しいやりとりはやぶの中だ。それでも、菅氏が指示した携帯料金値下げの政策は、配下に置く総務省のみならずNTTも巻き込んで、ドコモ完全子会社化という形で実現した事実だけが残った。
ある通信業界の関係者は言う。「総務省が菅氏ばかりを見て政策を決めてきたのは分かっているし、NTTと総務省の不透明な関係は誰もが感じていた。この際、全てを断ち切った方がいい」。菅官邸、総務省、NTTの“癒着”関係の浄化が必要なことだけは確かである。