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「ロボハラ」に負けない人間のアイデンティティを確立するには

2017年03月19日 07時43分43秒 | 日記

「ロボハラ」に負けない人間のアイデンティティを確立するには

 

≪本記事のポイント≫

  • ロボットによるハラスメントが出てくる時代に
  • 人間は機械に劣っているわけではない
  • 心の価値に目を向けるべき

 

近年、産業の現場へ参入しはじめたロボットと人間との協調をどうすべきかについて、注目が集まっている。そんな中、日経産業新聞はこのほど、「生産現場の『ロボハラ』防げ」と題した記事を掲載した。

 

記事によると、人間とロボットが共に仕事をする中で、人間の柔軟な対応をロボットが妨げることがあるという。例えばロボットは、あらかじめ決めた道以外を通ることができない。工事などで迂回路を通る場合、ロボットに新しいプログラムを書き込む必要があり、小さな変更にも大きな手間がかかる。これをロボットハラスメント(ロボハラ)と呼ぶ。

 

また、生産の主体が人間からロボットへ移り変わると、人間の仕事のやりがいが損なわれる可能性も指摘されている。慶応義塾大学特任教授の永島晃氏は、「現場の主体がロボットに代わると、人間は『今日これだけの仕事をした』という実感が持てなくなり、労働環境に必要な主体感が損なわれる」と主張しているという。

 

 

人間はロボットに劣る生産者ではない

ただ、産業ロボットへの恐れは、人間を単なる「働く機械」として考える“人間機械説”のような思想からくるものではないか。

 

ロボットによる労働は、決められたことを決められた通りにやり続けることができるという面では、人間に勝っている。しかし、予想外の事態での判断や、新たな価値を創出するという点では、人間の方が優れている。

 

クレームへのとっさの対応や、マニュアルに載っていないプラスアルファのサービスの提供は、人間の経験からくる閃きによるもので、ロボットでは成し得ない。また、仕事における善悪の判断や、公害への対応など倫理的な判断も、ロボットにはできない。

 

人間とロボットが肩を並べて働く社会が近づきつつあるが、人間がロボットに引けを取るわけではない。

 

 

心の価値に目を向けるべき

むしろ人間は、機械ではできないことを意識する機会として捉えるべきではないだろうか。その点、大川隆法・幸福の科学総裁は、著書『奇跡のガン克服法』のなかで、次のように述べている。

 

ロボット、あるいは単なる機械と、生きている人間との違いは、どこにあるかというと、やはり、『心の存在を感じるかどうか』ということなのです。その『心』なるものは、別な言葉で言うと、実は生命というものです。(中略)『この肉体を使って、どういう人生を生きようか』と考え、計画している、強い意志、意欲です。これが、実は、心なるものの正体なのです

 

人間は、「人を幸福にしたいという心」をもっている。この思いがあるからこそ、今までにない付加価値を生み出そうという創造性が発揮される。同じ生産物をつくるにしても、ロボットと人間には、そうした違いがある。

 

これからの時代は、ロボットの存在が当たり前になればなるほど、人間の心が大きな価値を持ってくる。(亮)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『奇跡のガン克服法』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=50

 

【関連記事】

2017年3月5日付本欄 外食や小売りなどの接客業も「無人化」の時代 人間にしかできない仕事とは?

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2016年11月号 人工知能時代 人間にしかできない仕事 あと10年で消える仕事

https://the-liberty.com/article.php?item_id=11969


福島原発事故、「国と東電に責任あり」の判決 政府は「原発は安全」と宣言すべき

2017年03月19日 07時37分53秒 | 日記

福島原発事故、「国と東電に責任あり」の判決 政府は「原発は安全」と宣言すべき

福島原発事故、「国と東電に責任あり」の判決 政府は「原発は安全」と宣言すべき

 

 

 ≪本記事のポイント≫

  • 福島第一原発事故について、国と東電に責任があったとする判決が出た
  • 原発を高台に建設していれば、事故を防ぐことはできた
  • ただ、「原発は危険」というのはイメージに過ぎない

 

巨大津波は予測可能で、原発事故は防げた――。そんな判決が初めて出た。

 

福島第一原発事故の影響で、福島県から群馬県に避難した住民ら137人が、国と東京電力を相手取り、約15億円の損害賠償を求めて訴訟を起こしていた。前橋地裁は17日に、「対策をすれば事故を回避できた」として、国と東電に合わせて3855万円の賠償を命じた。

 

原道子裁判長は、政府の地震調査研究推進本部が2002年に、「マグニチュード8クラスの津波地震が、30年以内に20%程度の確率で起こる」と公表していたため、「東電は津波を予測可能だった」と結論づけた。

 

また、非常用電源の高所設置などの対策を行えば、事故は防げたとして、「東電は経済的合理性を安全性に優先させた」と指摘。国についても、「規制権限を行使していれば、事故は防げた」と責任を追及した。

 

 

「原発の危険」を世界に広めた日本政府

たしかに、福島原発事故は避けられた可能性は高い。

 

事故は、発電機が津波を被って故障し、電力を原子炉に供給できなくなった結果、原子炉の冷却機能が働かなくなり、原子炉の熱が上がって炉心融解が起きたというものだった。

 

福島原発が建つ場所はもともと、高さ35メートルの高台だったが、それを10メートルの高さにまで削った後に建設されている。もし35メートルの高台に建てていれば、津波の影響はなく、事故も起きなかったはずだ。

 

ただ、事故責任を東電にだけ問うのは酷だろう。当然、監督すべき国にも責任はある。この点について、大川隆法・幸福の科学総裁は次のように指摘している。

 

『台地を二十五メートル削って原発をつくる』ということを認めた以上、やはり、国のほうに責任があります。要するに、津波を甘く見ていた責任は当然あるのです。

 

また、発電機の故障によって冷却装置が作動しなくなったことを、原子力そのものの危険のようなかたちで世界に広めてしまい、世界の人々を震え上がらせたのですから、それについても政府には責任があるでしょう

(『政治と宗教の大統合』所収)

 

 

原発より落雷の方が500倍危険?

実際、原発そのもののリスクは小さく、原発事故の放射線被曝による死者も出ていない。これについてアゴラ研究所所長の池田信夫氏は、こう指摘している。

 

「日本で原子力施設の放射能で死亡した事故は50年間で2人だから、1年間に0.04人が死んだことになる。これに対して落雷による死者は年間20人だから、あなたが原発で死ぬリスクを恐れているとすれば、落雷で死ぬリスクをその500倍恐れたほうがいい」(2011年4月16日付アゴラ)

 

つまり、一部マスコミが伝えている「原発は危険」というのはあくまでイメージに過ぎない。実際には、原発よりも落雷の方が死亡リスクは高いのだ。

 

今回の判決について、菅義偉官房長官は、訴訟が原発政策に与える影響は「ないと思う」と述べたが、政府が原発再稼働を曲がりなりにも進めている以上、「原発は安全である」と反論すべきだった。

 

資源の乏しい日本にとって、原子力は重要なエネルギー源だ。今後のエネルギー政策をどうしたいのか、政府ははっきりと意思表示をする必要がある。

(山本泉)

 

【関連書籍】

 幸福の科学出版 『政治と宗教の大統合』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=864

 

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