光りの「カナタニ」行くぞ!

日本の政治・経済・国防につてい情報発信します!
アジア情勢について情報発信します!
よろしく

G7首脳宣言 台湾海峡の平和と安全を盛り込む 武力行使で台湾併合が総意になる中国

2021年06月15日 06時04分14秒 | 日記

G7首脳宣言 台湾海峡の平和と安全を盛り込む 武力行使で台湾併合が総意になる中国

<picture>G7首脳宣言 台湾海峡の平和と安全を盛り込む 武力行使で台湾併合が総意になる中国</picture>

 

《本記事のポイント》

  • 中国では武力行使による台湾併合が総意になりつつある
  • 「曖昧戦略」をやめ、台湾の独立を死守するという「レッドライン」を引くべき
  • 民主国家同士の連携に日本はリーダーシップを発揮すべき

 

イギリスで開催された主要7カ国首脳会議(G7サミット)は13日、「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調し、両岸問題の平和的解決を促す」などを盛り込んだ首脳宣言を採択して閉幕。G7首脳宣言に「台湾海峡の平和と安定の重要性」が盛り込まれたのは初めてである。

 

その他、人権などの分野でも全体主義的な中国の問題点も指摘。G7を中心に「民主主義国家」が一致して対抗する姿勢を明確にした。

 

4月に開催された日米首脳において、共同声明に「台湾」を明記したのも、安全保障上、世界で台湾が危ないと見なしていることの現れであった。

 

それより前の3月には、米インド太平洋軍のフィリップ・デビッドソン司令官は、こう述べて波紋を広げていた。

  • 「台湾への侵攻は、今後6年以内に明らかになる」
  • 「米軍が効果的な対応策を打つ前に、中国が一方的な現状変更を試みる可能性が高まっている」
  • 「インド太平洋の軍事バランスは米国と同盟国にとって、いっそう不利に傾いている」

 

最後のコメントは、決して誇張ではない。アジアに配備されている戦力では、アメリカが中国軍に圧倒されているからである。中国軍の戦闘機は、現在は米軍の5倍だが、25年には約8倍になるという。国防総省と米シンクタンクのランド研究所で行われた図上演習でも、米軍は中国軍に数日から数週間以内に惨敗した。これには国防総省も驚きを隠せない。

 

また1点目と2点目の発言を裏付ける論文が発表されている。米シンクタンク・アメリカン・エンタープライズ・インスティトゥート(AEI)のシニア・フェローで、スタンフォード大学のオリアナ・スカイラー・マストロ研究員による"The Taiwan Temptation Why Beijing Might Resort to Force"と題する論文である。最新のフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたもので、先週発表された中で、注目を集めたものの1つである。

 

 

中国では武力行使による台湾併合が総意になりつつある

マストロ氏によれば、中国は軍事侵攻の可能性をいまや真剣に考え始めている。中国国民および軍内部では、軍事による台湾統一を支持する傾向が高まっているというのだ。"トランプ大統領後"の世界で、米軍に中国軍による台湾併合を阻止するだけの力があるのか、また世界が中国に対して効果的な連携を取れるのかを疑問視していると指摘する。

 

マストロ氏によると、退役軍人や国営メディアは、「長く待てば待つほど、中国に不利に働く」とし、環球時報によると「70%の中国国民が軍による台湾併合を支持する」という声が高まっている。

 

そうした論調は強硬派に限られたことではない。穏健派とされている人々でさえ「武力行使による併合案が共産党内部で広がっているのを認めただけでなく、彼ら自身が党幹部に軍事行動を薦め」ている。別の人物によると、「習近平国家主席は、許容範囲内のコストで力による併合が可能だと、自信満々に指南する軍事アドバイザーに囲まれている」というから、武力行使は上層部の総意になりつつあると言っていいだろう。

 

戦力とは戦意と軍事力の両方を意味する。その意味で、これは悪いニュースに他ならない。

 

アメリカとって決定的に不利なのは、距離である。空母が到着するのに3週間かかるし、バイデン政権が台湾防衛の決断に踏み切るのにも時間がかかるかもしれない。

 

4月の環球時報では、匿名の軍事専門家が「人民解放軍の演習は警告の意味合いというだけでなく、実戦能力があることを示し、台湾併合の訓練をしているのだ」と述べている。

 

3月に行われた中国軍による訓練は、台湾へのけん制と日米の介入阻止を狙った「二正面作戦」の訓練で、文字通り「警告」および「実戦能力」を示したものであった。

 

中国は、米軍到着前に決着をつけられるという確かな自信を持ち始めている。

 

 

「曖昧戦略」をやめ、台湾の独立を死守するという「レッドライン」を引くべき

中国の戦略は、南シナ海のサラミスライス戦略同様、軍事演習の常態化で台湾軍を疲弊させる。また本格的な戦闘との境目をなくすことで、介入のタイミングを米軍に与えないことにある。こうすれば米軍が攻撃に遭うなどの明らかな理由がない限り、介入の決断をするのは政治的に難しくなる。

 

だからこそアメリカが台湾にとっている「曖昧戦略」を止めるのは、なお有意義であるように思われる。

 

米シンクタンクのアトランティック・カウンシルが1月に発表した論文「より長い電報」では、米国の対中戦略の青写真を描いた。その中で「バイデン新政権が、安全保障上のレッドライン(超えてはならない一線)を設定する」よう促していた。要するに中国に対して、台湾への軍事攻撃や沖縄県尖閣諸島への攻撃、南シナ海の軍事的行動について、レッドラインを設けるというものだ。

 

リチャード・ハース元米国務省政策企画局長らが昨年9月にフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿した論文(American Support for Taiwan Must Be Unambiguous)で、この曖昧戦略を見直すべきだとしたことから、アメリカでは議論が活発化。デビッドソン氏も公聴会で曖昧戦略の見直しを求めた。共和党のリック・スコット上院議員らは台湾が軍事侵攻された場合、大統領に軍事行動を起こす権限を認めた「台湾進攻防止法案」を議会に提出し、大統領に軍事行動の決断面で揺らぎがあってはならないと促している。

 

バイデン政権でこの曖昧戦略の見直しのカギを握るのは、カート・キャンベル米インド太平洋調整官である。同氏は5月4日、「明確戦略」には欠点があるとして、否定的な考えを示した。

 

確かにレッドラインの引き方によっては、米軍の介入基準以下のハイブリッド戦やグレーゾーンの戦いに中国を差し向けることにもなりかねない。だが「曖昧」なままでは、抑止力を低下させるのも事実である。

 

そうした欠点を乗り越えるには、「台湾の独立は死守する」という意志を明確にさせる法案を議会でさせておくことも必要だろう。

 

レッドラインも万能ではない。オバマ政権時、「シリアのアサド政権が化学兵器を使用した場合は、レッドラインにあたる」としていたにもかかわらず、使用後も軍事介入の決断を議会に委ね、介入せずに終わったのみならず、ロシアにシリアの主導権を取られている。

 

それを想起する時、レッドラインとは大統領の資質と表裏一体で、初めて機能するものであることを忘れてはならない。

 

 

民主国家同士の連携に日本はリーダーシップを発揮すべき

そうであるなら逆に、日本、フィリピン、グアムなどの対艦ミサイルの増強などで抑止力を強化することが重要である。

 

さらに、マストロ氏が「最も効果的な方法」だというアイディアも一考の余地がある。それは「台湾の軍事侵攻は、中国の夢を潰えさせる」と説得するというものだ。併合は「軍事的にだけでなく、経済的にも政治的にも、回復不可能なほどのコストを負わせることになる」ということを伝えるのだ。

 

中国の貿易相手国の8カ国は民主国家で、しかも中国は食糧自給率が低く、海外からの輸入に頼っている。もしこれらの国が「民主国家・台湾」を護るために団結することができれば、今後の展開も変えられよう。マストロ氏は、台湾という"小さな島"のために経済的コストを強いられたくないと考える国が多いため、「実現可能性はほとんどない」として自身の「最も効果的な方法」に否定的ではあるが、これは試してみる価値のある方法である。

 

台湾が取られれば、アメリカは西太平洋から追い出され、アジアの海は中国のものになる。その中で日本は属国化せざるを得ない。台湾有事は日本の有事そのものである。自国の自衛力への強化のための防衛費を増額するとともに、海保の役割の見直しや法改正、そして装備の強化等は待ったなしである。また日本は議論になっていないINF(中距離核戦力)の設置などを急ぐべきであろう。これらは抑止力の強化となる。

 

また日本は「政経分離」路線を続けているが、外務・防衛両省が主導する「安保」と、経済産業省などが重視する「経済」の分離では、中国に対抗できない。経済で中国を太らせてもよいという政策は、日本という国が死刑台でかかる絞首縄を自ら編んでいるようなもので、これほど愚かなものはない。

 

「民主国家同士の連携はままならない」と高を括る中国の読みを覆すには、民主国家が連携し、食糧・エネルギー輸入依存国であるという中国の貿易面での弱点を突く必要がある。これこそG7の首脳らが、検討せねばならないことだろう。

 

経済と安全保障とを区別せず、政府が一丸となって中国と立ち向かう総合政府的アプローチ(All of government approach)を一刻も早く軌道に乗せる。そして「民主国家・台湾」とアジアの平和と安全のために、日本がリーダーシップをとること。それがかつてないほど求められている。

(長華子)

 

【関連記事】

2021年5月号 台湾・尖閣が危ない! - Part 1

https://the-liberty.com/article/18214/

 

2021年7月号 見せ方は上手だが… バイデンで果たして大丈夫か? - Part 1 外交編

https://the-liberty.com/article/18412/

 

2021年6月号 南シナ海、台湾、ミャンマーでバイデン政権の本気度が試され始めた

https://the-liberty.com/article/18301/

 

2019年8月号 2020~25年シミュレーション 中国は台湾・日本を同時攻撃する

https://the-liberty.com/article/15920/


革命を支えたパトロン──維新の志士400人を支えた商人・白石正一郎

2021年06月15日 06時01分34秒 | 日記

革命を支えたパトロン──維新の志士400人を支えた商人・白石正一郎

<picture>革命を支えたパトロン──維新の志士400人を支えた商人・白石正一郎</picture>

 
旧白石正一郎邸「浜門」。画像: Heartoftheworld/Wikipedia

時代の大きな転換点で誕生する数多くの英雄とドラマは、多くの人々を魅了し続ける。その中で、今回焦点を当てるのは「資金面で革命を支えた事業家たち」のドラマだ。驚くほど情熱的で無私な彼らの活動が、新しい時代を切り開いた(2014年2月号記事より再掲)。

 

◆ ◆ ◆

 

大村益次郎、木戸孝允、山県有朋、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、中岡慎太郎……。明治維新と聞けば、多くの人が思い浮かべるであろう維新の志士たち。こうした人々に様々な支援を惜しまなかった人物がいる。下関の商人、白石正一郎だ。

 

正一郎は、志士たちの活動資金や軍資金を調達しただけでなく、食事や隠れ家を用意するなどして助けた。維新で活躍した志士は、全部合わせても3千人ほどと言われているが、白石家に身を寄せたのは約400人。特に志士の中核メンバーが正一郎の世話になった。

 

正一郎は1812年、下関の廻船問屋の家に生まれた。長州藩の木綿や塩と、薩摩藩の藍との交易で成功を収め、「下関に白石あり」と京都や大阪にまで名が知れ渡った。

 

一商人であった正一郎が「革命のパトロン」となったきっかけは、57年に薩摩の西郷隆盛が白石家を訪れたこと。2人は日本のあり方について、昼夜議論をたたかわせた。西郷は国元の家老に宛てた手紙で、「正一郎は全体的に温和な性格で、国学(注2)を好み、正直なので、話していても面白く、一日中話し込んでしまいました」と書いている。

 

かねてから熱心に国学を学んでいた正一郎は、国を思う西郷の話に強く心を揺さぶられた。そして、革命のために人生を捧げることを決意し、志士たちへの手厚い援助を始める。

(注2)古事記や万葉集などから、日本固有の精神を研究する学問。尊皇攘夷思想にも影響を与えた

 

 

危険をかえりみず命がけで志士を守る

当時、江戸幕府を倒そうとする志士の多くが「お尋ね者」だった。彼らへの援助は、「共犯」になることを意味する。だが正一郎は、危険をかえりみなかった。

 

たとえば、倒幕に奔走していた福岡藩の脱藩浪人・平野国臣は、正一郎が熱心に支援した一人だ。平野をかくまった白石家に、居場所をかぎつけた福岡藩の役人が何度も訪ねてくる。時には、泣きながら平野を探す妾を伴ってきたが、正一郎は「居場所は知らない」とつっぱね、後でこっそりと妾に平野の無事を伝えた。

 

例えば、長州藩士の定宿になっていた京都・池田屋の主人が捕らえられ、拷問の末に獄中死していることなどを考えれば、正一郎の行動は命がけだった。

 

しかしそうした中でも、多くの志士が、志半ばで命を落としていった。平野も1863年、生野(兵庫県)で倒幕の兵を挙げたが、鎮圧され投獄・斬首された。捨て身で支援した志士を失った正一郎の失望の大きさは、計り知れない。それでも正一郎は、新時代の到来を信じて志士たちを支え続けた。

 

 

明治維新の成否を左右した奇兵隊の"創立者"

同年、正一郎が52歳のときのこと。わが子ほどの年齢の青年が突然訪ねて来た。

 

「今から人を集め、国を守る部隊をつくる。支援してほしい」。青年の情熱に打たれた正一郎は、初対面にもかかわらず、突拍子もないこの話をすぐさま了解する。その若者こそ、奇兵隊を組織して倒幕の流れをつくった長州藩士・高杉晋作である。

 

高杉は、身分を問わず人を集め、藩の防衛にあたる部隊の構想を考えつき、志士のスポンサーだった正一郎の名を聞いて、真っ先に相談に向かったのだ。

 

正一郎は当時の日記に「六月八日、高杉が当家で奇兵隊を成立させる」と記している。 かくして正一郎は「奇兵隊」という、その後の明治維新の成否を左右する組織の創設を下支えした。

 

正一郎が、軍資金の出資や隊員の食住を保証することを約束したため、白石家には2、3日で60人以上が集まって隊員となった。正一郎自身も入隊し、一人の志士として立ち上がる。

 

奇兵隊の人数は、日を経るにつれ数百人、数千人と膨らんでいく。だが、隊員の金子文輔が日記に、「白石正一郎一家の者は、奇兵隊のために奔走し、家族や婦女子にいたるまで、朝夕の酒や飯などを給事し、はなはだ丁重である」と記すように、正一郎は増える一方の隊員たちに食事や酒を与え、家族や妾の世話までした。

 

 

借金「数億円」で傾く白石家

いくら豪商といえども、この入れ込みぶりで家が傾かないわけがない。

 

倒幕が実現する前年の66年時点の白石家の借用金高はおよそ1170両で、現在の価値で数億円規模。それでも同年の正一郎の日記には、「慶応二年二月一日、奇兵隊より、井上聞多(注3)・伊東春介(注4)・野村和作(注5)などが次々と芸妓を連れ込み、しばらく大さわぎ」といった内容がいくつも書かれている。

 

正一郎は「国の未来を背負う志士たちには、大いに息抜きしてほしい」と許容したようだ。高杉が後に白石家について、「飲みつくされ、食いつくされた」と話しているが、それは決して誇張ではない。

 

だが、正一郎の思い入れの強い奇兵隊は、様々な苦難を経験する。

 

64年、幕府が長州征伐の軍を向けたことなどをきっかけに、長州藩内で幕府に恭順する勢力が藩政を握り、高杉ら倒幕論者を弾圧し始めた。奇兵隊にも解散命令が下され、正一郎は高杉を福岡に逃がす。正一郎がすべてを注ぎ込んだ革命の火が、またもや消えかかろうとしていた。

(注3)後の井上馨。外務大臣、内務大臣、大蔵大臣などを歴任した。
(注4)後の伊藤博文。日本国の初代首相。
(注5)後の野村靖。逓信大臣、内務大臣、神奈川県令などを歴任した。

 

 

志士への支援をやめなかった正一郎は「革命家」そのもの

しかし、高杉は正一郎の期待を裏切らなかった。65年、長府の功山寺で、わずか80人余りで挙兵。解散しかけていた奇兵隊員もそこに加わり、怒濤の勢いで藩の正規軍を撃退する。

 

これを機に長州の藩論は再び倒幕へと傾き、66年の第二次長州征伐では、奇兵隊が主力となった長州軍が幕府軍を次々と打ち破った。この敗戦で幕府の威信が大きく揺らぎ、67年の朝廷への大政奉還につながる。とうとう革命が成就した。

 

もし、正一郎がいなければ、志士たちの行動は大きく制約され、維新はまったく違った形になった可能性がある。実際に高杉は、正一郎に次のような手紙を送っている。

 

「今日まで生き延びることができたのも、あなたのおかげである。この恩は忘れない」

 

維新後は、伊藤博文・初代首相など、白石家の世話になった志士たちが新政府の高官として活躍した。しかし、正一郎は彼らを支えたことを吹聴することもなく、下関の神社の宮司となって静かな晩年を送っている。

 

そうした無私な生き方のために正一郎の大きな功績はあまり知られてこず、肖像なども残っていない。とはいえ、命の危険と度重なる失望にさらされる中、志士たちへの支援をやめなかった彼の人生は、「革命家」そのものと言える。

 

【関連書籍】

富の創造法

 

幸福の科学出版 『富の創造法』 大川隆法著

幸福の科学出版にて購入

Amazonにて購入

 

 

【関連記事】

2021年5月25日付本欄 約3万年前、日本に存在した超古代文明「富士王朝」とは? 「武内宿禰の霊言」で判明

https://the-liberty.com/article/18425/

 

2014年2月号 革命を支えたパトロン 縁の下で新時代を創った事業家たち - シリーズ 富、無限 【第7回】

https://the-liberty.com/article/7090/