英語と他の言語(3)から続く。
(4)日本の外国語教育に思うこと
英語圏と非英語圏で仕事をしてきた今の感想は、世界各地で通じる英語は頼りになる言語と思う。しかし、多くの現地人を抱える工場では、現地語が最も大切な言語である。事実、非英語圏での英語は知識層の言葉、または喋りたいが喋れない言葉と思われることが多い。前回紹介した日系タイ工場の新任工場長が云うとおり、土地の人々に接するにはその土地の言葉が最も適している。
このように、英語と現地語はそれぞれ重要な言語、優劣は付け難いが、まず日本の英語教育を振り返る。
1)英語教育
筆者の中学の英語教科書は"Jack and Betty"、高校で基礎知識を3年、大学で英文学を3年と英会話を3年、延べ12年間も英語を学んだ。おまけに、大学の海洋気象学はノルウェーの教科書(英語)だった。当時、日本の海洋気象学は遅れていた。
参考だが、1960年代中頃のアメリカの大学院、留学生たちの母国での教科書を見せてもらった。ある国の国立大学でも、数学や幾何学を始め、専門の教科書は英語の海賊版だった。紙質が悪く、分厚く背表紙なしの擦り切れた海賊版を初めて見た。母語の教科書で教育ができる日本が羨ましいと彼らは云った。
延べ12年間の英語教育を振り返ると、高校で習った基本的な構文の他は殆んど記憶に残っていない。3年間のスイス人先生の英会話も効果はなかった。後のアメリカの大学では、前回のエピソード1のとおり、高校で覚えた英語で宿題や論文には困らなかった。一般に、理系の専門分野では文学的な難しい文章は書かない。
このような筆者の英語観に対して、英語の教育者や学者たちの意見は違っている。彼らの意見は、今の英語教育では多くの中学生や高校生は英語を使えないという。しかし、日常生活で英語を必要としない日本では、無理に英語を使う必要はない。
もちろん、必要があれば使うと云っても、始めはうまく喋れない。しかし、英語の基礎知識があれば場数と共に上手くなる。その基礎知識の習得に6年もかけるのは長すぎる。また、身に付けるか否かは本人の意志の問題である。
「英語が使えない」からオーラル・コミュニケーションを強化すべきと云うのが役所や先生たちの意見である。それらの意見は「日本の英語教育―これからどうなる?」などに見られるが、中には、「小学校から英語教育を始めるべき」という提案もある。しかし、日本の現状を考えると、過剰サービスに過ぎない先生たちの意見より、グローバル化に備えたインフラ整備が必要と思う。
2)日本人の外国語力
学校の英語教育はダメといわれる反面、日本企業や日本人の海外進出は今も衰えていない。その進出先は英語圏だけではない。
今日までにさまざまな国で、日本企業の駐在員、土地の人と結婚した女性とその家族、地球を漫遊するバックパッカーなどいろいろな人に出会ってきた。しかし、皆さん、日々の言葉には問題がない様子だった。言葉で悩むどころか、自分で見つけた道を逞しく進む人々が多い。中には、口先の美辞麗句でなく、言行一致で周囲から信頼される人も少なくない。それは言語教育論とは次元が違う人間性の話である。
人は必要に迫られれば言葉を発する。これは人間の本能である。この本能にその国の言葉の基礎知識が加われば、その人の会話力はたちまち上達する。もし、基礎知識がなければ、現地の語学学校に1、2年も通えば実用に耐える力が付く。
タイなどでの見聞だが、語学留学でなく必要に迫られて、働きながら街の学校に通う人のタイ語はほぼ例外なく上達する。日常生活や仕事が、学校で習ったタイ語の実地訓練になる。そこでは自分が「主」、タイ語が「従」になる。自分が「主」のタイ語には自然に力がはいる。しかし、必要に迫られない言語の教育では、言語が「主」、自分が「従」になる。そこには緊張感がなく、長く続けても効果はない。
3)日本のグローバル企業の公用語と使用言語
理想として、グローバル企業の日本本社と各国事業所のコミュニケーションには英語が適している。したがって、日本本社の公用語と使用言語は、それぞれ日本語と英語が望ましい。非英語圏の海外事業所では、日本語と英語と現地語が公用語と使用言語になり、英語が日本語と現地語を仲介する。
しかし、理想に反して現実はそうではない。また、日本と海外事業所の公用語を英語だけで押し通せない事情もある。それは、公的な書類には現地の公用語が求められ、コンピューターシステムも多言語データベースでその要件に対応する。
アメリカの2社のグローバルシステムでは、それぞれの取引先名、個人名、住所を英語(システム標準語)と現地公用語(正式名称)で登録し、製品名称は世界共通の英数字だけで表現した。また、勘定科目は世界共通コード、科目名称は英語と各国公用語とし、多言語データベースに登録した。
たとえば、このシステムの決算報告書は次のようになる。
現地の決算報告書:現地の公用語⇒現地官庁用、英語⇒現地社員用
アメリカ本社の連結決算報告書:英語⇒官庁と社員共通
もちろん、各国の財務諸表の計算方法は異なるが、欧米は国際会計基準(IAS)による標準化が進んでいた。たとえば、デッドストックの判定基準と在庫金額計算方法などの世界統一ルールも設定した。
会計ルール以外にも各国の法令(例:日本の印紙税法や下請代金支払遅延防止法など)をコンピューターシステムに反映したが、日本では英文法令の入手に苦労した。ただし、この話は20年も昔のことだった。
最近では日本法令の英訳とデータベース構築や国際会計基準の導入など、グローバル化へのインフラ整備が徐々に進みはじめた。とはいうものの、民間企業の公用語と使用言語の選択は、関係国の法令と公用語に関係するので、詳しくは法律の専門家に相談すべきである。この辺りを押さえておかないと、法律違反と罰金やユスリ・タカリに隙を与えるので注意したい。
なお、法令について参考になる情報をここに示しておく。
【日本の英訳法令】
現在、日本には約7,700の法令があり、その数と内容は年ごとに変化している。2012/9/1現在の主な内訳は、憲法(1)、法律(1,875)、政令(1,978)、府令・省令(3,495)、その他(416)、合計7,765だった。筆者が2012/10/4に調べたところ、このうち、332の法令は英訳済みだった。
法務省は使用頻度の高い法令から計画的に英訳しているが、次のような注意書きがあるので、参考にしていただきたい。
【英訳法令の注意点】
この「日本法令外国語訳データベースシステム」に掲載している全てのデータは、適宜引用し、複製し、又は転載して差し支えありません。なお、これらの翻訳は公定訳ではありません。法的効力を有するのは日本語の法令自体であり、翻訳はあくまでその理解を助けるための参考資料です。このページの利用に伴って発生した問題について、一切の責任を負いかねますので、法律上の問題に関しては、官報に掲載された日本語の法令を参照してください。【出典:法務省の法令検索】
【日本語の公用語としての位置づけ】
日本語自体が日本の公用語であるとの規定は曖昧である。ちなみに、フリー百科辞典ウィキペディアには、次のような記述がある。
日本語:日本では法規によって「公用語」として規定されているわけではないが、各種法令(裁判所法第74条、会社計算規則第57条、特許法施行規則第2条など)において日本語を用いることが定められるなど事実上の公用語となっており、学校教育の「国語」でも教えられる。【出典:日本語 - Wikipedia】
次回「4)語学教育に望むこと」に続く。