英語と他の言語(2)から続く。
3)日本と英語圏での仕事
卒業後は、日本とアメリカ系製造会社、国連機関やタイの日系工場で働いた。仕事では必要に応じて日本語と英語を使った。
日本の製造業では、世界各地の事業所に出張した。その頃アメリカの友人から、以前より英語がうまくなったといわれた。多分、学校で学んだ英語が実務という荒波にもまれて、一皮剥むけたと思った。
ビジネスでは、口頭表現力以上に文章力が大切になる。特に、グローバル会社のE-mailは、社内外の関係者にもCC(Carbon Copy)を配信するので注意したい。要領を得ない長文は、面識がない関係者から「あの人のメールは意味がない」と無視されることもある。これが度重ると、やがてToやCCから外されて組織内で孤立する。
E-mailはグローバルビジネスの必須ツールで便利な反面、言語障害を関係者の目にさらけ出すもろ刃の剣でもある。この点を念頭に、日頃、筋の通ったコミュニケーションで実績を積み重ねる。この積み重ねで、仕事上の信用が高まる。それは、英語の上手下手(ジョウズヘタ)の問題を超えて、その人のセンスと信用の問題につながっていく。
1990年代中頃まで、筆者はWordstar(ワードスター)という英文ワープロを使っていた。文章のスタイルと文法のチェックだけでなく、「この言葉は冗長」とか「文章が長すぎる」とか「この使い古された表現はダメ」などと指摘する非常に優れたソフトだった。筆者の英語は、このソフトでさらに鍛えられた。当時、アメリカには熱烈なWordstar愛好者がいたが、Windowsへの対応が遅れたので、残念ながら90年代中頃にはMicrosoft Wordに淘汰された。貴重な先生を失ったとの思いがある。
下に示す"The Elements of Style"は、Wordstarのパッケージに入っていた小冊子である。Wordstarの文章チェックは、この小冊子に準拠していたと思われる。
The Elements of Style by W. Strunk Jr. & E. B. White
Macmillan Publishing Company, 1979 (ISBN 0-02-418200-1) $4.95
序説によると、この本は、第一次世界大戦の終末期、1919年頃のコーネル大学Strunk Jr.教授の英語コースの教科書だった。学内では"The Little Book"の名で知られ、文章の基本的なスタイルと句読法および「言葉と表現のよくある誤り(Words and Expressions Commonly Misused)」を示している。
当初、Strunk Jr.教授の個人的な印刷物だったが、59年頃には、大学と一般市場向けにWhite氏が改訂版を出版した(57年頃、先生は亡くなった)。その後、79年には第3版、さらに現在の第4版に版を重ねている。ここ100年近くの間に、この本は大学生だけでなく、アメリカ社会で広く知られるようになった。筆者も作文教室の Reading Assignment(先生が指定する本を読む宿題)で読んだ記憶がある。曖昧でなく誰にでも分かる簡潔な文章が最も良い英語という教えである。
上のイメージに示した第3版は、B6判程度(107mm×178mm)で本文85ページ、2~3日で読み切れる内容である。何度も精読して、原文をそのままで頭に入れて頂きたい(暗記はNG)。どうしても必要ならば英和でなく英英辞典の使用をお勧めする。"The Elements of Style"の本質を頭に叩き込めば、日本語や他の言語の作文にも役立つ内容である。
国会図書館は、数冊の英語版と訳本を所蔵している。また、インターネットでも閲覧できるので、ぜひ一読して頂きたい。【参考:「The Elements of Style」】
4)タイでの仕事
一般にはタイと呼ぶが、正式の国名はタイ王国(Kingdom of Thailand)で公用語はタイ語である。国民の95%が穏和な仏教徒、彼らは王様を厚く尊敬している。不敬罪があるので言動には注意が必要である。
タイでの仕事は、日系工場のITや生産管理へのアドバイスだった。事務所の社員(Office Staff)は英語を理解するので仕事に支障はなかった。また、日系工場の書類は、英語またはタイ語/英語の併記だったので、現場指導でも問題はなかった。
日系工場の常用語、たとえ日本語でも、タイ人社員はそれらを正しく理解している。しかし、日本語の改善提案などの場合、タイ人通訳(社員)の翻訳したタイ語は、どれほど正確に現場従業員に伝わっているかという疑問がある。もし疑問があれば、現場で片言タイ語、英語、身振り手振りで直接やり取りすれば、確実に担当者と理解し合える。
10年程の経験だが、多民族・多言語のタイでは日本語より英語の方がはるかに通じやすい社会である。学校では、英語教育に力を入れている。最近は、6歳児からの英語教育の是非が話題になっているが、たとえば、バンコクのアサンプション大学(Assumption University)の授業は英語、筆者の知る限り大学院のITや生産管理の教科書もアメリカの大学で見かけるものだった。
また、街の書店でも英語の専門書は多く、英語/タイ語またはタイ語/英語辞書は書店ばかりでなくインターネットでもかなり充実している。しかし、日本語の専門書は種類が少なく日系書店で見かける程度である。また、日本語/タイ語またはタイ語/日本語辞書の内容は貧弱との印象がある。
話は変わるが、ある自動車関係の日系工場で業務の現状分析を実施した。【参照:このブログ「現状分析3(2011-09-25)」】
その工場の公用語は、タイ語、日本語および英語だった。このような事情で、現状分析は英語版と日本語版が必要だった。そこで、時間短縮のために筆者は英語で現状分析を実施、その内容を翌朝に日本本社にE-mailで送信、翌々朝には本社から和訳を受信する。このような英語と和訳の送受信で、2ヶ月後に英語版と日本語版の現状分析報告書をほぼ同時に完成した。
タイ工場の公用語の一つを英語とするこの会社、さすがに日本本社の人材は厚く英語の和訳は正確で迅速だった。自動車業界の会社は、すでに欧米他社との接点が多く、業務の英語化は一歩先を進んでいる。グローバル化が進展した企業では、必然的に英語が共通言語になるのである。とはいうものの、その工場はただの英語至上主義でなく、工場の主役としてタイ人とタイ語を重視していた。
あるとき、工場長が交代した。新しい工場長は「土地の言葉を理解せずして、タイの人たちのこころを掴めない」と、50の手習いでタイ語を一から学び始めた。人気のない事務所で宿題のタイ文字の書き取りをしている彼の姿を今も思い出す。努力の甲斐あって2年もたたないうちにタイ語は上達し、周囲のタイ人たちに信頼される存在になった。
次回の「(4)日本の外国語教育に思うこと」に続く。