再会の旅---関西再訪4から続く。
1.記憶の中身
年を重ねるにつれて昔の記憶はぼやけてくる。自分自身の見聞や言ったことは忘れないが、50~60年も昔の記憶は、だいたいの数字などは覚えているものの、いつ頃まで続いたかは覚えていない。たとえば、「5、60年前の定年退職年齢は?」との疑問には、「55歳だった」と記憶するが、いつ頃まで55歳だったかは定かではない。
実際には「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」、通称「高年齢者雇用安定法」の第8条(定年を定める場合の年齢)は、「当該定年は、60歳を下回ることはできない。」としている(1998施行)。・・・この条文からは1998年までは55歳定年が存在したと思われる。
ちなみに、高年齢者雇用安定法は、AllAboutマネーによると次のように改定を繰り返している。
1986年 「高年齢者雇用安定法」で60歳定年を努力義務化
1994年 60歳未満定年制を禁止(1998年施行)
2000年 65歳までの雇用確保措置を努力義務化
2004年 65歳までの雇用確保措置の段階的義務化(2006年施行)
2012年 希望者全員の65歳までの雇用を義務化(2013年施行)
1986年 「高年齢者雇用安定法」で60歳定年を努力義務化
1994年 60歳未満定年制を禁止(1998年施行)
2000年 65歳までの雇用確保措置を努力義務化
2004年 65歳までの雇用確保措置の段階的義務化(2006年施行)
2012年 希望者全員の65歳までの雇用を義務化(2013年施行)
定年退職の年齢と同じく、当時の日本人の「平均寿命はいくつ位だったか?」の疑問には、「60~65歳ぐらい」という記憶がある。その根拠は、「人は定年退職後、5年~10年ほどで亡くなるケースが多い。」という筆者の記憶にもとづいている。
しかし、あやふやな記憶では気が済まないので、厚生労働省のデータを調べた。その結果は、下に示すとおりである。表2の昭和35年(1960年)は筆者が若かった「あの頃」、やはり当時の平均寿命は65歳だった。
上の表2で見逃してはいけないデータは、次の数字である。
昭和22年(1947年) 平均寿命 男性50歳 女性54歳(少数以下四捨五入)
平成29年(2017年) 平均寿命 男性81歳 女性87歳
昭和22年から平成29年の70年間で男性は31歳、女性は33歳も平均寿命が増加した。
結果として、日本人男性の平均寿命81歳は香港、スイスに次ぐ世界3位(2018)、女性の平均寿命87歳は香港に次ぐ世界2位(2018年)になった。
さらに参考だが、厚生労働省のデータも忘れてはいけない。
厚生労働省は2019年12月13日、全国で100歳以上の高齢者が7万1238人に上ると発表した。2018年から1453人増え、49年連続で過去最高を更新。
2.人類の平均寿命の推移と日本
ここで、日本人の平均寿命を人類史上の観点でチェックしておきたい。
人類の平均寿命をインターネットで調べた結果、下のような表を得たのでここに紹介する。推計者はAngus Maddison(1926-2010)、英国の経済学者である。
上のグラフをExcelの表に再整理すると次のようになる。
上の表では、西暦1000~1900年頃までの人類の平均寿命は24歳から40歳ぐらい、意外に短命だった。その理由は幼児死亡率が大きく、危険な出産と乳幼児期を生き延びても、事故、病気、天災、戦乱などの影響で平均寿命が短かったと思われる。
しかし、昔にも長寿でかつ頭脳明晰な人も多い。たとえば、紀元前の有名人の死亡年齢は次のとおりである。
ソクラテス:BC399年70歳ぐらい(自死)
プラトン:BC347年80歳
ソクラテスとプラトンの死亡年齢はかなりの高齢だった。二つの例で推定するのは危険だが、人間の生体としての耐久性は当時と現代人には大差がないと考えた。現代人の平均寿命が急速に80歳近辺にまで延びたのは、生体の進化でなく、医学・医療ならびにテクノロジーの発展に負うところ多いと考える。
たとえば、ハート・ペーサー(heart pacer:心臓のペースメーカー)、透析、冠動脈のステントもテクノロジーの産物である。ちなみに、筆者も2004年にバンコクで心筋梗塞、2016年に脳梗塞を発症したがいずれも医学・医療で救われた。
・・・今も鮮明に思い出すが、2004年夏のある朝、発症6時間後に病院に到着、ニトログリセリン吸入、数枚の書類へのサインを終えて、すぐに処置が始まった。
ベッド頭上の画面に映る複数の梗塞箇所に67年の人生もこれで幕かと独り静かに覚悟した。しかし、カテーテルが最大の梗塞に届いたとき、血流が噴流になって開通した。あれは、生命の残り時間の減算が加算に変わった瞬間、今も加算が続き生きている。・・・命拾いの瞬間は百人百様、筆者のケースも平均寿命延長の一例だった。
参考だがバンコクの心筋梗塞で受けた治療は:
①再発防止型ステント(人造血管)・・・当時の日本では珍しかった。
②医薬・・・世界では一般的だった薬が当時の日本では不認可(数年後に認可)
③完全看護の満足度・・・高級ホテル並みのケアーで良好
以上の点で心臓病ではバンコクの方が日本より上と判断した。タイ王国を途上国と思っていた筆者の認識は誤り、バンコク病院の心臓医療は世界の一流レベルだと知った。おまけに、治療費も病院とシンガポール・ビザ・センターの直接決済で無料だった。出費は数千円の証明書作成代だけだった。
話しをAngus Maddisonのデータ「平均寿命の歴史的推移(日本と世界)」に戻すが、MaddisonのデータをExcelに展開すると次のことが見えてくる。
Excelに破線枠で示すとおり、1900年以降に平均寿命が40歳を超えて、1950年には英国、フランス、米国の平均寿命が65歳~69歳に急速に延びた。日本はやや出遅れたが、1999年には英国、フランス、米国を抜いて81歳に至った。
ここで突然、話は現生人類のDNA上の祖先に飛ぶが、15万年以上も昔にアフリカに生まれたホモ・サピエンスは進化を遂げながら今日に至っている。その長い歴史を、一つのグラフに描こうと試みた。・・・下の図は、人口の推移を手掛かりに、筆者が手作業の曲線近似で描いた「人類の人口推移」である。
注:図の左上の表は「国立社会保障・人口問題研究所2013年度版人口統計の表 世界人口
の推移と推計:紀元前~2100年を引用
上の曲線には二つの大きな進歩が隠れている。一つは18世紀後半の産業革命、もう一つは1950年代からアメリカで始まったコンピューターの実用化だった。これら二つの進歩で人類の長寿化と人口の増加が顕著になった。
アフリカで誕生して以来、十数万年にわたり低迷していた平均寿命が1900年頃に40歳の壁を突破した。その後うなぎ上りの長寿化、100年程度のうちに、80歳近辺に延びた国もある。これは人類史上の未曾有の変化である。
この長寿化を日本社会に限って考えると次のことが云える。
先に述べたように、1994年に「高年齢者雇用安定法」が60歳未満定年制を禁止(1998年施行)した。たった20年ほど前までは、55歳の定年退職が存在した。
筆者が若い頃の記憶では、定年退職=鉄道線路の車止め。人生を鉄道に例えれば車止めに止った機関車は用済み、すぐに本線から引き込み線に移動、10年前後で人知れず消えていく。この記憶が「人は定年退職後、5年~10年ほどで亡くなるケースが多い。」に結びついていた。
しかし、今は違う。日本人の平均寿命は男女ともに80歳超えの時代になった。定年退職後の人生も長く、いろいろな生き方がある。
現代の日本には、長寿化に起因する課題が山積する。平均寿命と健康寿命とのギャップ、急激な少子化と高齢化と総人口の減少、社会インフラの老朽化は待ったなしの課題である。これらの課題への備えは?
昨今の日本を見ていると、国家の存亡にかかわる危機にはわれわれ国民は無頓着、明日へのアクションが見えない。これでは日本の未来があぶない。
続く。