佐藤愛子さんが書く、 お嬢さん響子さんについてのエッセイが好きなんですが、 こないだ響子さんが母について書いている文章を見ました。 文藝春秋だったかな?
愛子さんが90歳、 響子さんが50代なんですが、 響子さんのお嬢さんがある夜泥酔して帰ってきて 家の前の道路で大の字で寝てしまったそうです。
酔って意識のない娘は 砂袋のように重たく、 ひとりではどうにもできないとおもった響子さんは すでに寝静まっている愛子さんの寝室のドアをたたき
「おばあちゃま、 助けてほしいんです」
と声をかけたそうです。
すると、 暗闇から 愛子さんがしっかりした声で
「だいじょうぶですよ」
と返事をされたのだとか。
「どうしたの?」 とか 「なにがあったの?」 ではなく 開口一番 「だいじょうぶですよ」。
響子さんは これまでもこれからも母のこの姿勢にささえられてきたんだなあと 胸がいっぱいになった、 と書いてありました (というか書いてあった気がします)。
原因がわからなくても 根拠がなくても こどもに 「だいじょうぶですよ」 といいつづけるのが 親のつとめなのかもしれませんね。
うちのムスメ、 一時期は 毎日のように 学校で ころんだケガしたボールがあたった熱出た吐いたと満身創痍で 心配したものですが、 さいきんになってやっと落ち着いてきました。
ムスメが不安定だと 親もおなじように不安にかられて それがまたムスメに伝染してさらに不安定に・・・・ と悪循環になりがちですが、 いずれは時間が解決することと でんとかまえることがだいじなんでしょうね。 まあ、 それができるようになるころには こどもは自立しているんでしょうけど・・・・
「だいじょうぶですよ」 というのは まず親がじぶんに言い聞かせるキーワードなのかもしれません。
愛子さんが90歳、 響子さんが50代なんですが、 響子さんのお嬢さんがある夜泥酔して帰ってきて 家の前の道路で大の字で寝てしまったそうです。
酔って意識のない娘は 砂袋のように重たく、 ひとりではどうにもできないとおもった響子さんは すでに寝静まっている愛子さんの寝室のドアをたたき
「おばあちゃま、 助けてほしいんです」
と声をかけたそうです。
すると、 暗闇から 愛子さんがしっかりした声で
「だいじょうぶですよ」
と返事をされたのだとか。
「どうしたの?」 とか 「なにがあったの?」 ではなく 開口一番 「だいじょうぶですよ」。
響子さんは これまでもこれからも母のこの姿勢にささえられてきたんだなあと 胸がいっぱいになった、 と書いてありました (というか書いてあった気がします)。
原因がわからなくても 根拠がなくても こどもに 「だいじょうぶですよ」 といいつづけるのが 親のつとめなのかもしれませんね。
うちのムスメ、 一時期は 毎日のように 学校で ころんだケガしたボールがあたった熱出た吐いたと満身創痍で 心配したものですが、 さいきんになってやっと落ち着いてきました。
ムスメが不安定だと 親もおなじように不安にかられて それがまたムスメに伝染してさらに不安定に・・・・ と悪循環になりがちですが、 いずれは時間が解決することと でんとかまえることがだいじなんでしょうね。 まあ、 それができるようになるころには こどもは自立しているんでしょうけど・・・・
「だいじょうぶですよ」 というのは まず親がじぶんに言い聞かせるキーワードなのかもしれません。