すずめのどんぐり

オットひとり ムスメ(はぼ)が小6、 ムスコ(ぐり)が小1。絵日記でしたが、さぼり中。

見通しをつけること

2014年05月09日 | はぼ7歳~8歳(小学2年生)
小学校での授業参観やピアノ教室やバレエ教室、 子ども相手のイベントなどを見ていると、 指導者って意外と先行きを示さないもんだなあとおもうことがあります。

「これはなんのためにしているのか」 「これをするとつぎはどうなるのか」 「全体でいうといまやってることはどのへんなのか」

そういったことですね。


ピアノの先生が はぼにいろいろと楽譜を見せて弾いてくれ 「どの曲がいい?」

はたで聞いている親は (あ~そろそろ発表会か~) とおもうんですが、 先生は 「じゃあこの曲をやってみましょうか。 ゆっくりちょっとずつね」 と言って ちょっとずつちょっとずつ楽譜をくれて 「なんのために」 「いま曲全体のどのへんなのか」 などの説明が一切ありません。

つぎには 連弾の曲のムスメのパートだけの楽譜。 これもだれと連弾するのか いつ合わせるのかの説明がまったくなし。 どういう曲想なのかは じっくり教えていただいているのですが。


先生的には 絵本のページをめくるときのように つぎなにが起こるかわからないほうが わくわくどきどきしてたのしいだろうという目測があるのだとおもいますが (たぶん発表会前週あたりに 『じゃじゃ~ん! じつはいままで練習してたことはみんな発表会のためだったのよ~!』 みたいなサプライズ構成になってるんじゃないかと


うちの緻密系プランナーちゃん (ムスメ) にとっては その状況は不安以外のなにものでもない

しげみから何が飛び出してくるかわからない暗い森の中を歩いているようなカオをしています。



こわくて上陸できない


バレエはもっとその傾向がありますよね。 基本動作の繰り返しばかりで、 ムスメはいまのレッスンがくるみ割りにどうつながっているのか まったくわかっていないとおもいます。




学校も 意外かもしれませんが けっこうその要素が高い気がします。

ムスメとはなしてると 「あんたそんなことも知らないで 勉強してたの?」 てなことが多々あります。 田植え稲刈り体験をしたのに できるのがお米(ごはん)てことを知らなかったり、 ありの巣をずっと観察してたのに 『夜はありはどこで寝るの? おうちに帰るの?』 と聞いてきたり。 うちの子だけかもしれませんが てゆーか それは家庭でしぜんと学ぶはずのことなのかな。


子どもにもよるんですよね~ 「なんのため」 とか疑問をもたない子もたくさんいるんですから。

たとえば わたしみたいないやもう いつもいきあたりばったりで


わたしが高校生だった時の化学の先生は

「この時期に なんのために勉強するのか、 これが何の役に立つのか、 そういうことを考える生徒は 組織の中でも研究者としても大成しない」

とおっしゃってました。 私見をさしはさまず 与えられた目の前の課題に取り組めるはずの時期に そういう疑念を持つこと自体が 適性のなさだということでしょうか。


まあ それが成立するのも 指導者側が目的意識をもっていればこその話だとおもいますが。



そんなわたしが生活を共にすることになったのが、 計画を立てているときがいちばんたのしい、 という人種のオットとムスメ。

こないだ旅行をしておもいましたが、 もしこれがサプライズだったりしたら いちばんたのしい計画の段階をうばわれて 不意打ちの怒りばかりで まったくたのしめないんだろうな、と。


わたし自身は 計画がちゃんとしてればしてるほど気分が重くなってくるタイプなんですが、 しょーがない当分はつきあうことにします・・・・・




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする