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出た! 超絶安請け合いオトコ!!
これを書くのに、 いま話題になっているという 「あたしおかあさんだから」 という歌の歌詞を読んでみました。
母親の応援歌らしいのに ネットで叩かれちゃって かわいそうに、 まあネットって 自分の代わりに悩んでくれるヒトか 自分より病んでるヒトを 探しに行く場所だから それもしょうがないことなのかなとおもってたんですが、 読んでみて
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歌を聴いたわけではないので、 歌になるとまたカンジがかわってくるのかもしれませんが、 なんていうかぞわぞわしてきて なにか言いたくなる気持ちもちょっとわかるかも・・
てゆーか 自己犠牲をとうとうと歌っていいのは 演歌だけ、 という法則を発見しましたよ。
いまやってるオリンピックの選手もサポートする人も 聞かれても 自己犠牲について とくとくと語る人はいないよね。 じぶんを犠牲にしているとおもっているうちは まだなににもなれていないから。 まだなにごとも成し遂げていないから。
それどころか わが身をなげうって尽くしているヒトほど 「わたしが母親じゃないほうが この子はシアワセになれたのではないか」「もっと有能な人がサポートしていれば なにかが変わったのではないか」 と罪悪感を感じていて じぶんの犠牲分に陶酔したりはしていない気がします。
ピースをつないだだけの切りっぱのパズルのようで たしかに共感しずらいかなと感じました。
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