小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(2)

2013年11月11日 22時39分52秒 | ジャズ

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(2)

 前回、K君と悪友関係になったと書きましたが、途中からA君も加わり、私たちはジャズ好き三バカ・トリオとなります。三人の中では、A君がどちらかと言えばより開かれた趣味の持ち主。私が一番気難しくハードなものを好むタイプ。K君はその中間と言ったらよいでしょうか。ちなみにA君は、ずっと後に、ちあきなおみの素晴らしさを私に教えてくれることになります。
 さて私は、66年の春、横浜の大学に入学しました。横浜は地元だし、中心部の野毛には、日本で初めてのジャズ喫茶と言われる「ちぐさ」があります。もう一つ「ダウンビート」というのがあり、こちらは高校時代からちょくちょく通っていたのですが、大学生になってからは、両方に通うようになりました(授業がつまらないので)。
「ちぐさ」は、おそらく大正末期から昭和初めにかけて青春時代を送ったと思われるハイカラ爺さんの吉田翁が経営していました。十人も客が入るかどうかの本当に小さな煤けた喫茶店ですが、老舗の風格があり、多くのジャズメンたちも訪れています。
 CDやi-podやYou Tubeでいつでもどこでも音楽が聴ける今の若い人たちにはあまり想像がつかないかもしれませんが、ジャズ喫茶というのは、150円から200円くらい取ってジャズのレコードを聴かせコーヒーを出すだけの店です。そういう店が当時都会には何軒もあり、コーヒー一杯で何時間も粘る客がいたものです(私もその口でした)。社交場としての意味はあまりありません。なぜなら、孤独な青年たちが好きなジャズを聴くだけのためにやってきて孤独なまま帰っていくというのが、まあ、この種の店の客の主たる特徴だったからです。だから大きな声を出してしゃべってはいけないのです。有楽町の何とか――ちょっと名前が出てきません――という店、新宿の「木馬」などは、特にこの点がうるさく、有楽町の店では、私たちがちょっとおしゃべりをしていたら、そこのマスターに「坊やたち、静かにしなくちゃだめだよ!」と叱られたことがあります。
「ちぐさ」でも、おしゃべり禁止の規則があるわけではありませんが、そこらへんはみんな不文律として心得ていて、大きな声を出す客など一人もいませんでした。濃くて苦いコーヒーを飲みながら(今にして思うと、これはあまり美味くありません・笑)静かにジャズを聴いていると、そのうち吉田翁が寄ってきて、「そっち、なんかリクエスト!」とぶっきらぼうに言います。レコードのリストがその辺に置いてあるので、それを参考にしてもよし、勝手にリクエストしてもよし、もちろん手を振って断ってもかまいません。
 ちなみに、吉田翁亡き後も「ちぐさ」は相当長く続きましたが、一度店を閉じました。もう永久に失われたのかと思っていたら、なんと昨年、少し離れた場所に移って再開されたのです。今だと、お酒を飲ませたり料理を出したりするシャレた店でなければ客が寄り付かないと思うのですが、復活の「ちぐさ」は、前よりも少し広くなったほかは、どでかいスピーカー、小さなコーヒーテーブル、レコードしか聴かせない点など、昔のままです。野毛商店街の団塊オヤジたちが、亡くすにしのびず、復活させたのでしょう。
ちぐさ:http://noge-chigusa.com/

 高校時代に渋谷のジャズ喫茶をはしごしたと書きましたが、さまざまな曲を聴いた中で、私はソニー・ロリンズに一番ハマっていました。彼の吹くテナーは、男らしく、当意即妙、変化に富み、野心的で自由闊達、じつに独特の節回しです。ロリンズ節という言葉がありました。彼がいなかったら、モダンジャズの世界でテナーという楽器がこれほど注目を浴びることはなかったでしょう。



 もっとも有名なのは、「サキソフォン・コロッサス」というアルバムの一曲目、「モリタート」(「マック・ザ・ナイフ」のロリンズ版)ですが、ここでは、同じアルバム中から、親しみやすいカリプソ風のノリで目いっぱい楽しませてくれる「セント・トーマス」を紹介しておきましょう。彼のオリジナル曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=Z4DySQyteRI

 この曲でドラムを叩いているのは、前回紹介したマックス・ローチですが、二人のコンビネーションは絶妙で、もう一つ紹介したい曲に、「ワーク・タイム」というアルバムの、「イッツ・オールライト・ウィズ・ミー」があります。速いテンポでスリリングな絡みを演じていますが、残念ながら、You Tube、ニコニコ動画その他からも取り込むことができないようです(ダウンロードはレコチョクなどからできるようですが手続きが少々面倒)。でもこの曲は絶対おすすめですよ。「ワーク・タイム」自体は、アマゾンなどで安く買えます。
 ロリンズは、軽妙に奔放に吹きまくっているように聞こえますが、じつは自分の音楽追究の志に関しては、けっこうストイックなところがあり、壁に突き当たったと感じると、そのたびに演奏活動を中断してしまいます。長い中断期間の後、おそらく私の大学時代だったと思いますが、インパルスレコードから復活を果たしました。しかしその頃は、テナー奏者としての王座をジョン・コルトレーンに奪われており、往年の輝きはもう見られませんでした。
 なお「セント・トーマス」で短いけれど気の利いたソロを展開しているピアニストは、トミー・フラナガンですが、彼は「オーヴァーシーズ」「エクリプソ」などの名盤を残しています。これらのアルバムについては、またの機会に。

 MJQ(モダンジャズカルテット)について触れましょう。
 このカルテットは、1951年の結成から解散まで20年以上の歴史を持ち、解散以後もファンの熱望にこたえて再結成しています。内部事情はいろいろとあったようですが、これほど長く同じメンバーで結束を保つことができたバンドは、他のジャンルでも珍しいのではないでしょうか。ちなみに、ビートルズは8年で解散しています。
 メンバーは、ミルト・ジャクソン(ビブラフォン)、ジョン・ルイス(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、コニー・ケイ(ドラム)。初期には、ドラムがケニー・クラークでしたが、彼の死後、コニー・ケイに代わりました。
 このバンドの特色は、一口に言うと、ミルト・ジャクソンのブルース魂あふれるプレイと、リーダーのジョン・ルイスのたぐいまれなプロデュース能力との見事な結合によって、ジャズ界にまったく新しい雰囲気を持ち込んだところにあります。ジョン・ルイスは、ヨーロッパ・クラシック音楽へのあこがれが強く、それにのっとって楽団全体のトーンを何とも上品で西洋音楽の深い伝統を感じさせるものに仕上げました。この特色は、ジャズをアメリカのものだけではなく、繊細な感覚の持ち主であるヨーロッパ人にとっても魅力あるものとして目を開かせることに大いに貢献したと思います。もちろんジャズのスタンダードナンバーもたくさん演奏しているのですが、ラッパやタイコのやかましい音が耳障りな人にとっては、ビブラフォンという楽器の何ともさわやかで心地よい響きがジャズに対する抵抗感を和らげてくれるはずです。
 しかし、よく聴いていると、ミルト・ジャクソンの即興演奏そのものは、きわめて白熱した情熱的なものであり、その独創的なフレーズのこんこんとわき出るような繰り出しには、まさに不世出の天才としか呼びようのないものがあります。ジャズ界でのビブラフォン奏者はあまり多くなく、彼の以前には、ライオネル・ハンプトン、彼の以後には、ゲイリー・バートンなどがいますが、まったく比較になりません。
 私は、大学1年の時に2回目の来日公演に接することができ、その渾身のプレイにすっかり感動してしまいました。彼は、見た目はまあ、さえない小男なのですが、あのきれいな音の連なりを出すのに、こんなにすごい力を集注させているのかというのを知って、ただただ圧倒されてしまったのです。この時の思い出は、いまでも、芸術って何だろうと考える時の重要なヒントの一つになっているほどです。



 では、お勧めの2曲を聴いてみてください。
 一曲目は、多くのジャズメンが好んで演奏している「朝日のようにさわやかに」。

http://www.youtube.com/watch?v=drxKsX0uI4Y 

 2曲目は、バッハのよく知られた曲の合間にオリジナル曲をはさんだ「ブルース・オン・バッハ」から、「ブルース・イン・Cマイナー」。これはミルト・ジャクソンのオリジナルです。ここでの彼のソロは、まるで初めから完成された曲のようです。

http://www.youtube.com/watch?v=D-_sYoaNVMw

お聴きになってわかると思いますが、これらの演奏では、ミルト・ジャクソンのソロがあまりにすごいので、それに続くジョン・ルイスのピアノ・ソロは、少々かすんで聴こえます。もともとジョン・ルイスという人は、ソロピアニストとしては、そんなに卓越した技量の持ち主ではありません。
 先にも言ったように、彼の本領は、ミルト・ジャクソンという天才を、自分が構想してきた音楽の中にいかに位置づけるかということに心を砕き、その苦労を通して、それまでだれも考えなかったモダンジャズとクラシックとの融合を見事に果たしたプロデューサーとしての才能にあります。2曲目のイントロに、いかにもバッハ風の典雅な枠取りが感じられますね。彼は、クラシック・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトに捧げた「ジャンゴ」その他の名曲の作曲者でもあります。クラシカルな香りを基本にしながら、一方で、ミルト・ジャクソンのブルース魂を前面に立てることを決して忘れない、そうしてその融合を実際の演奏で実現させてしまう、そこがとても偉いところです。ちなみに、MJQとは、もともとは、ミルト・ジャクソン・カルテットの略称でした。
 当時の多くのヨーロッパ人たちは、新興大国・アメリカの文化に軽蔑心を抱いていたと思われますが(今でもフランスには、その気がありますね)、まさにMJQの存在によって、ジャズの魅力が彼らの心に深く浸透していったのです。その後、ヨーロッパからは、ジャック・ルーシェ(ピアノ)、ウラジミール・シャフラノフ(ピアノ)、ヨーロピアン・ジャズ・トリオなどのセンスの良いジャズメンが続出していくことになります。




コメント(2)
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2013/08/23 02:29
Commented by ogawayutaka さん
サヴ、ディグ、ありんこ、スウィング、少し離れてデュエット...。みな懐かしい名前です。5年という年差はありますが、当時のジャズ喫茶文化を私も共有していると思います。当時は、わが道を行くという気持ちでしたが、年を経てきますと、案外同じ趣味の人が多かったと聴いて、自分の「独創性」がたいしたことでなかったことに気がつきます。もっとも、放送局やレコード会社にもそういう人がいて、彼らが偉くなって選曲をしてくれるおかげで、いまでもラジオなどでジャズ番組が聴けるわけです。
私の場合、高校一年のとき、桑田慶介の歌などに出てくる、茅ヶ崎のリゾートホテル、「パシフィック・パーク・ホテル」のプールサイドで、アートブレイキーを聴いたのが最初でした。小学校の同級生の親がそこの経営者で、券をくれたのでした(ちなみにそのホテルは菊竹の設計です)。
演奏が始まる前は、勝手なことをしたり言ったりしていた背の高いやせた黒人たちが、ブレイキーの合図とともに、完全にリズムとハーモニーをあわせ、お互いの反応を見ながら即興演奏をすることに感嘆しました。それ以前は、音楽と言えば、小学校の合唱でハレルヤコーラスなどをしていたわけですから、かなりカルチャーショックでした。
その後は、横浜の高校をさぼって渋谷や新宿に出没していたのは、たぶん小浜さんと似ていると思います。あ、小浜さんは放課後ですね。私の場合は、ぐれていたわけですが。


2013/08/23 19:01
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Commented by kohamaitsuo さん
ogawayutakaさんへ
 うれしいコメントでした。
 自分の趣味について公開的な文章を書くのは、好きになった女のことをのろけているみたいで、どうも恥ずかしかったのです。ちょっとばかり薀蓄をかたむけても、相手がシンクロしてくれなければ、意味ないですよね。でも、もうそういう年でもなくなったので、友人にそそのかされて、この際やっちゃうか、という気持ちで始めました。これからもどうぞよろしく。
 ogawayutakaさんは、私より世代がだいぶあとのようですが、やっぱりアート・ブレイキーですか。あの衝撃はすごかったのですね。
 続編で、横浜の「ちぐさ」についても書いていますので、よろしければそちらのほうも。
 あまりきちんと調べながら書く気がありませんので、記憶違いが多々あると思います。ボケをかましている場合には、遠慮なくご指摘いただければ幸いです。

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