倫理の起源35
こうして、人倫精神を、具体的な共同体の現象形態に結びつける和辻の方法は、いくつかの難点をはらんでいる。そこで私は、この難点を少しでも克服するために、別の方法を提示したいと思う。
まず人倫を形成している関係の基本モードをいくつかに分類し、それらの特性を述べる。その特性の記述とは、それぞれがどういう関係の原理にもとづいているかをあかすことである。和辻の言葉を援用するなら、「実践的行為的連関」の、その中身をひとつひとつ検討する試みである。
次に、それら「基本モード」のそれぞれに抵触する関係は何であるかを述べる。さらに、それぞれのモードの連関の仕方についても論じる。
以上の方法によって、人倫精神の複雑な絡み具合のさまが、広い視野のもとに見渡せるようになるはずである。またこれがうまく行けば、私たちの生が、何を守り、どこへ向かっていけばよいのかという方向性を示すヒントを提供できることにもなる。
ちなみに、こうした方法を取るほうが、具体的な「共同体」のあり方のなかに人倫精神を見出す方法よりは永続的である。というのも、たとえば、和辻の説いている「親族共同体」や「地縁共同体(村落)」の人倫性は、彼の生きていた時代には現実性をもっていたかもしれないが、都市化や個人化が進んだ現代では、法的・儀式的な拘束力を持ちはするものの、生活上のリアリティを到底形成しえないからである。
人倫性はそれだけとして自立的に成り立つのではなく、個人の実存がそれぞれの共同性にどれくらい規定されているかという度合いによって、その重みが測られる。それゆえある共同性が歴史の推移に従って解体あるいは衰弱すれば、それはもはやかつて示したような力を示しえないことになる。この事態を単に悲しんでノスタルジーに浸ったり、頭の中で復権を願ったりすることは、倫理学の新たな確立にとってほとんど意味を持たない。
さて、以上を踏まえて、より永続性のある人倫精神を形作る人間関係の基本モードは何かと問うてみる。これにはさしあたり、次の六つが考えられる。これ以外にも別項を立てることは可能かもしれないが、いたずらに項目を増やすことは煩瑣な論述を免れないので、ぎりぎりここまでに限定しておく。
1.性愛(エロス)
2.友情(同志愛)
3.家族
4.職業
5.個体生命
6.公共性
なお、これらすべては、繰り返すが、みずからが属する共同性からの離反、すなわち互いに別離して裸の個人にされることの恐怖と不安からの防衛をその根底の動機としている。たとえば人がある「職業」に就くという現象も、単に個人としての生き方の選択の問題や得意技の活用や生計を立てる手段といった概念の内部だけで理解されるのではない。職業の本来的な意義は、共同性からその職に携わる人の人格を具体的に承認されるというところに求められるのである。
またこれらは、人の生きる道筋において、それぞれ並列的・個別的に求められるのではないし、より低次の段階からより高次の段階へと発展的に進むにしたがって先のものが後のものによって振り捨てられるのでもない。番号を付して並べたのは、この順序で倫理性が高まるとか、人倫感覚がこの順序で育っていくということを意味するものではなく、単なる記述上の便宜に過ぎない。じっさいには、これらすべてが個人のうちに絡み合い連関し、時には矛盾対立しながら現われてくる。そのこと自体が大きな倫理的問題なのである。
こうして、人倫精神を、具体的な共同体の現象形態に結びつける和辻の方法は、いくつかの難点をはらんでいる。そこで私は、この難点を少しでも克服するために、別の方法を提示したいと思う。
まず人倫を形成している関係の基本モードをいくつかに分類し、それらの特性を述べる。その特性の記述とは、それぞれがどういう関係の原理にもとづいているかをあかすことである。和辻の言葉を援用するなら、「実践的行為的連関」の、その中身をひとつひとつ検討する試みである。
次に、それら「基本モード」のそれぞれに抵触する関係は何であるかを述べる。さらに、それぞれのモードの連関の仕方についても論じる。
以上の方法によって、人倫精神の複雑な絡み具合のさまが、広い視野のもとに見渡せるようになるはずである。またこれがうまく行けば、私たちの生が、何を守り、どこへ向かっていけばよいのかという方向性を示すヒントを提供できることにもなる。
ちなみに、こうした方法を取るほうが、具体的な「共同体」のあり方のなかに人倫精神を見出す方法よりは永続的である。というのも、たとえば、和辻の説いている「親族共同体」や「地縁共同体(村落)」の人倫性は、彼の生きていた時代には現実性をもっていたかもしれないが、都市化や個人化が進んだ現代では、法的・儀式的な拘束力を持ちはするものの、生活上のリアリティを到底形成しえないからである。
人倫性はそれだけとして自立的に成り立つのではなく、個人の実存がそれぞれの共同性にどれくらい規定されているかという度合いによって、その重みが測られる。それゆえある共同性が歴史の推移に従って解体あるいは衰弱すれば、それはもはやかつて示したような力を示しえないことになる。この事態を単に悲しんでノスタルジーに浸ったり、頭の中で復権を願ったりすることは、倫理学の新たな確立にとってほとんど意味を持たない。
さて、以上を踏まえて、より永続性のある人倫精神を形作る人間関係の基本モードは何かと問うてみる。これにはさしあたり、次の六つが考えられる。これ以外にも別項を立てることは可能かもしれないが、いたずらに項目を増やすことは煩瑣な論述を免れないので、ぎりぎりここまでに限定しておく。
1.性愛(エロス)
2.友情(同志愛)
3.家族
4.職業
5.個体生命
6.公共性
なお、これらすべては、繰り返すが、みずからが属する共同性からの離反、すなわち互いに別離して裸の個人にされることの恐怖と不安からの防衛をその根底の動機としている。たとえば人がある「職業」に就くという現象も、単に個人としての生き方の選択の問題や得意技の活用や生計を立てる手段といった概念の内部だけで理解されるのではない。職業の本来的な意義は、共同性からその職に携わる人の人格を具体的に承認されるというところに求められるのである。
またこれらは、人の生きる道筋において、それぞれ並列的・個別的に求められるのではないし、より低次の段階からより高次の段階へと発展的に進むにしたがって先のものが後のものによって振り捨てられるのでもない。番号を付して並べたのは、この順序で倫理性が高まるとか、人倫感覚がこの順序で育っていくということを意味するものではなく、単なる記述上の便宜に過ぎない。じっさいには、これらすべてが個人のうちに絡み合い連関し、時には矛盾対立しながら現われてくる。そのこと自体が大きな倫理的問題なのである。
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