倫理の起源32
プラトン、カント、ニーチェ、J・S・ミルと、ヨーロッパの哲学者たちの倫理学原理を探ってきた。もう一度端的にまとめておこう。
「イデア」という超越的な概念を柱に感性的な現実をより低いものとして見下げるところに善や正しさの原理を立てるプラトン倫理学の方法は、言語というものが必然的な特性として持つ抽象化の運動を利用したものにすぎない(より抽象的なものはより高いものである)。彼の方法は、目で見、手で触れられ、日常の生活感情によって確かめられる現世の実践的な交流のなかから倫理の原理が立ち上がるという事実を無視した、偉大なる転倒の詐欺である。この方法原理は、二千数百年の間、ヨーロッパの精神を支配し続けた。
「意志」を他の心的な要素から特権化して、そこに道徳の基礎となるべき「自由」の唯一の可能性を見ようとしたカントは、この特権化を正当化できる論理的な根拠を見出すことに失敗した。そればかりではない。彼はア・プリオリ(超経験性)の原理の存在をア・プリオリに(証明抜きで)措定することによって、抽象的な「善」の普遍法則を定言命法のかたちで示したが、その法則がどんな具体的な規定をもつのかをいっさい提示することができなかった。善悪とは何かという問いに答える用意が彼には初めからない。なぜなら、彼にとっての「善」は、ただ個人の幸福や傾向性への堕落に単純に対立するものとしてしか理解されていないからである。その意味でカントはプラトンの近代個人主義ヴァージョンである。
支配者(強者)の道徳と奴隷(弱者)の道徳とを峻別し、ヨーロッパ道徳の歴史は後者が前者を駆逐してきた歴史だと決めつけたニーチェは、通俗的な「善」の観念に盲従する大多数の人々の死角を突く鋭い指摘を行った。道徳という名の「きれいごと」の背後にはルサンチマンにもとづく弱者の権力意志が潜んでいるという彼の心理学は、おおむね正しい(現代日本の「反体制サヨク」などはその好例である)。そこで彼は貴族道徳の復権を狙ったが、しかし奴隷道徳の一典型としてのキリスト教道徳の重圧を過敏に受け止めるあまり、人間が本質的に「共感」にもとづく関係存在としてしかあり得ない事実を認めようとしなかった。本質論としての人間把握が伴うのでなければ、「善悪」原理に「優劣」原理をただ対置するという論理的破綻に導かれてしまう。それは結局のところ、野蛮な弱肉強食を肯定する以外に活路を見出すことができず、批判するにせよ肯定するにせよ、現代文明社会のあり方に対する有効な提議たりえない。
カントの「道徳形而上学」を大いに意識して、その非現実的な方法を批判したミルは、「幸福」原理を柱とする功利(有用)主義道徳を説いた。有用とは、だれにとって、何にとって有用なのか。万人にとって、幸福な生活の実現にとってである。道徳の根拠として、万人の幸福という具体的な目的を示した彼は、カントのプラトニズム的な超越性・抽象性と、徳福不一致の二項対立原理に固執する頑迷さを克服しえている。また、幸福という概念が、常に「相互の幸福」を意味していて、深くかかわった者同士においていっぽうが不幸なのに他方がそれによって幸福になるというような事態を、少しもよい状態とは考えていなかったことも確かである。
快や幸福を倫理学上の原理としてはっきり打ち出した哲学者としてはエピクロスが有名である。しかしエピクロスの幸福観は、衝動や一時の欲望に心をかき乱されずに静かな隠遁生活を送るスタイルと切りはなせないから、一般の人間の幸福追求の感覚とは相いれないものを含んでいる。隠遁者の幸福は凡人のよく実現しうるところではない。これに対して、ミルのそれは、人間が、互いに交渉しあうことによって、より幸福な状態を実現させようとする動物であるという本質洞察が織り込まれているから、議論の射程がより広いのである。
だが思えば、これらヨーロッパの倫理思想史の展開過程は、二千数百年をかけてようやくここまで、という溜息の出るような過程である。それは皮肉な見方をすれば、壮大なエネルギーの濫費であったと言えなくもない。もちろん浪費とは言わない。彼らがその傑出した才能を駆使して倫理問題に心血を注いだことは確かだからである。
しかし私見によれば、肯定するにせよ対抗するにせよ、それらは総じてプラトンが古典時代に敷いた、「感覚では触れられない精神こそ価値が高い」という強固な図式に拘束され続けてきた。私たちが倫理問題について考察を進めるにあたっては、この西欧的思考のパターンを鵜呑みにせず、そういう性格のものとして適切に相対化しておくのでなくてはならない。
翻って日本人は、倫理問題にかぎらず、概して人生における深い感得を論理的に〈普遍的な装いのもとに)表現するのが苦手である。ために、西洋文明が大津波のように押し寄せてきたときに、その圧倒的な力に目を奪われて、これまでの自分たちの「よき慣習」を、古臭く役に立たないものとして見捨ててしまう傾向が目立った。同時に、プラトンやカントの説くところが、その輪郭の鮮やかさのために、何か深遠で新鮮な、すばらしいことを言っているかのような幻想を植え付けられたことも確かだ。福澤が批判してやまなかった、「西洋心酔者流」である。
だが考えてみれば、今まで論じてきた西洋哲学における倫理問題の帰結には、何となく私たち日本人にとって、「なにそれ、ミルの言ってることなんて、私たちの世間知からすれば当たり前じゃないの」と言いたくなるような部分が含まれている。すでに述べた近江商人の「三方よし」の精神、「情けは人のためならず」ということわざの深い含意、「世間」という水平的な概念を人倫の成立・維持にとっての主軸とみなす感覚、「絶対」「極端」「争い」を嫌い「相対(臨機応変、融通無碍)」「中庸(まあまあ程よく適当に)」「和(なるべく仲良く、妥協できるところは妥協して)」を尊ぶ心、などは、いわば一種の功利主義である。
そこで本稿では、これから、日本人の日常生活のなかに生きている人倫感覚をなるべく論理的な言葉で掘り出すことを念頭に置きながら、その本来の意味について論じていきたいと思う。もちろん中には、批判的な対象だと考えられるものもある。
*次回は和辻哲郎の『倫理学』を取り上げます。
プラトン、カント、ニーチェ、J・S・ミルと、ヨーロッパの哲学者たちの倫理学原理を探ってきた。もう一度端的にまとめておこう。
「イデア」という超越的な概念を柱に感性的な現実をより低いものとして見下げるところに善や正しさの原理を立てるプラトン倫理学の方法は、言語というものが必然的な特性として持つ抽象化の運動を利用したものにすぎない(より抽象的なものはより高いものである)。彼の方法は、目で見、手で触れられ、日常の生活感情によって確かめられる現世の実践的な交流のなかから倫理の原理が立ち上がるという事実を無視した、偉大なる転倒の詐欺である。この方法原理は、二千数百年の間、ヨーロッパの精神を支配し続けた。
「意志」を他の心的な要素から特権化して、そこに道徳の基礎となるべき「自由」の唯一の可能性を見ようとしたカントは、この特権化を正当化できる論理的な根拠を見出すことに失敗した。そればかりではない。彼はア・プリオリ(超経験性)の原理の存在をア・プリオリに(証明抜きで)措定することによって、抽象的な「善」の普遍法則を定言命法のかたちで示したが、その法則がどんな具体的な規定をもつのかをいっさい提示することができなかった。善悪とは何かという問いに答える用意が彼には初めからない。なぜなら、彼にとっての「善」は、ただ個人の幸福や傾向性への堕落に単純に対立するものとしてしか理解されていないからである。その意味でカントはプラトンの近代個人主義ヴァージョンである。
支配者(強者)の道徳と奴隷(弱者)の道徳とを峻別し、ヨーロッパ道徳の歴史は後者が前者を駆逐してきた歴史だと決めつけたニーチェは、通俗的な「善」の観念に盲従する大多数の人々の死角を突く鋭い指摘を行った。道徳という名の「きれいごと」の背後にはルサンチマンにもとづく弱者の権力意志が潜んでいるという彼の心理学は、おおむね正しい(現代日本の「反体制サヨク」などはその好例である)。そこで彼は貴族道徳の復権を狙ったが、しかし奴隷道徳の一典型としてのキリスト教道徳の重圧を過敏に受け止めるあまり、人間が本質的に「共感」にもとづく関係存在としてしかあり得ない事実を認めようとしなかった。本質論としての人間把握が伴うのでなければ、「善悪」原理に「優劣」原理をただ対置するという論理的破綻に導かれてしまう。それは結局のところ、野蛮な弱肉強食を肯定する以外に活路を見出すことができず、批判するにせよ肯定するにせよ、現代文明社会のあり方に対する有効な提議たりえない。
カントの「道徳形而上学」を大いに意識して、その非現実的な方法を批判したミルは、「幸福」原理を柱とする功利(有用)主義道徳を説いた。有用とは、だれにとって、何にとって有用なのか。万人にとって、幸福な生活の実現にとってである。道徳の根拠として、万人の幸福という具体的な目的を示した彼は、カントのプラトニズム的な超越性・抽象性と、徳福不一致の二項対立原理に固執する頑迷さを克服しえている。また、幸福という概念が、常に「相互の幸福」を意味していて、深くかかわった者同士においていっぽうが不幸なのに他方がそれによって幸福になるというような事態を、少しもよい状態とは考えていなかったことも確かである。
快や幸福を倫理学上の原理としてはっきり打ち出した哲学者としてはエピクロスが有名である。しかしエピクロスの幸福観は、衝動や一時の欲望に心をかき乱されずに静かな隠遁生活を送るスタイルと切りはなせないから、一般の人間の幸福追求の感覚とは相いれないものを含んでいる。隠遁者の幸福は凡人のよく実現しうるところではない。これに対して、ミルのそれは、人間が、互いに交渉しあうことによって、より幸福な状態を実現させようとする動物であるという本質洞察が織り込まれているから、議論の射程がより広いのである。
だが思えば、これらヨーロッパの倫理思想史の展開過程は、二千数百年をかけてようやくここまで、という溜息の出るような過程である。それは皮肉な見方をすれば、壮大なエネルギーの濫費であったと言えなくもない。もちろん浪費とは言わない。彼らがその傑出した才能を駆使して倫理問題に心血を注いだことは確かだからである。
しかし私見によれば、肯定するにせよ対抗するにせよ、それらは総じてプラトンが古典時代に敷いた、「感覚では触れられない精神こそ価値が高い」という強固な図式に拘束され続けてきた。私たちが倫理問題について考察を進めるにあたっては、この西欧的思考のパターンを鵜呑みにせず、そういう性格のものとして適切に相対化しておくのでなくてはならない。
翻って日本人は、倫理問題にかぎらず、概して人生における深い感得を論理的に〈普遍的な装いのもとに)表現するのが苦手である。ために、西洋文明が大津波のように押し寄せてきたときに、その圧倒的な力に目を奪われて、これまでの自分たちの「よき慣習」を、古臭く役に立たないものとして見捨ててしまう傾向が目立った。同時に、プラトンやカントの説くところが、その輪郭の鮮やかさのために、何か深遠で新鮮な、すばらしいことを言っているかのような幻想を植え付けられたことも確かだ。福澤が批判してやまなかった、「西洋心酔者流」である。
だが考えてみれば、今まで論じてきた西洋哲学における倫理問題の帰結には、何となく私たち日本人にとって、「なにそれ、ミルの言ってることなんて、私たちの世間知からすれば当たり前じゃないの」と言いたくなるような部分が含まれている。すでに述べた近江商人の「三方よし」の精神、「情けは人のためならず」ということわざの深い含意、「世間」という水平的な概念を人倫の成立・維持にとっての主軸とみなす感覚、「絶対」「極端」「争い」を嫌い「相対(臨機応変、融通無碍)」「中庸(まあまあ程よく適当に)」「和(なるべく仲良く、妥協できるところは妥協して)」を尊ぶ心、などは、いわば一種の功利主義である。
そこで本稿では、これから、日本人の日常生活のなかに生きている人倫感覚をなるべく論理的な言葉で掘り出すことを念頭に置きながら、その本来の意味について論じていきたいと思う。もちろん中には、批判的な対象だと考えられるものもある。
*次回は和辻哲郎の『倫理学』を取り上げます。
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