小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(12)

2014年03月08日 18時40分55秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(12)




 マイルス特集、2回目です。
 例によって私の独断と偏見ですが、この回では、後半、彼のその後の激しい変貌ぶりを少しばかり紹介することを通して、ジャズという芸術様式が頂点を極めた時期の短さ、はかなさを嘆く結果になりそうです。でも慰められるのは、絶頂期に確立された様式がちゃんと今も残っていて、後の世代の多くのミュージシャンがその基本的なスタイルを継承しながら、さらに洗練された音楽を作り出していることです。これについてはまたのちに語りましょう。

 さて黄金のクインテットは2度と蘇えりませんでしたが、マイルス自身は、少しずつメンバーを入れ替えながら、傑作を発表し続けます。
 レコード会社との契約の関係から、アルトサックスのキャノンボール・アダレイをリーダーとして立てた「サムシン・エルス」(58年)は、あまりに有名です。その中から、いまも一番人気の一つに数えられる「枯葉」。パーソネルは、二人のほかに、ハンク・ジョーンズ(p)、サム・ジョーンズ(b)、アート・ブレイキー(ds)。

Cannonball Adderley - Autumn Leaves


 この曲の魅力はいろいろありますが、一つに、「ラウンド・ミドナイト」の時にも書いたように、その構成の妙が挙げられるでしょう。印象的なイントロからテーマに移るときの何とも言えない雰囲気は、一度聴いたら忘れられません。
 またキャノンボール・アダレイは仮のリーダーとされていますが、彼のソロも全体の曲想に忠実でありながら、かつ、なかなか野心的な演奏です。キャノンボールとは、「大砲の弾丸」という意味で、彼のあだ名です。ファーストネームは、ジュリアン。あだ名の通り巨躯にものを言わせた豪快な吹きっぷりで有名で、コルネットを吹く弟のナット・アダレイとの共演があります。親しみやすい「ワーク・ソング」がお勧めです。「サムシン・エルス」では、マイルスとのアンサンブルに極力意を用いているようです。
 さらに、ハンク・ジョーンズのピアノも、いぶし銀のようにしぶいサウンドを響かせています。もともと地味なタイプで、彼のトリオのアルバムは、さすがに味わいは深いものの、さほど特筆すべきとも思えません。やはり、このアンサンブルのなかでこそ引き立つので、これもマイルスの功績と言えるでしょうか。
 次の傑作が、59年の「カインド・オブ・ブルー」ですが、これについては、すでに紹介しました。モード奏法を完成させたとして名高いアルバムです。ちなみにモード奏法(旋法)とは、テーマのコード進行に沿って演奏されていたそれまでのアドリブパートの拘束を取り払って、テーマに使われている音列ならば何を用いてもよいという奏法のことだそうです。それだけ奏者の自由度が増したということなのでしょうが、私には詳しいことはわかりません。
 一言余計なことを付け加えると、このアルバムは、メンバーが混成部隊で、キャノンボールが出ていたりいなかったり、ピアノがビル・エヴァンスだったりウィントン・ケリーだったりというわけで、アルバムとしてはやや統一性に欠けるうらみがあります。またエヴァンスは、マイルスとの共演では、脇役に徹している感があって、彼自身のトリオでの演奏ほど、その個性が目立ちません。

 さらに、ぜひ挙げなくてはならないのが、61年発表の「いつか王子様が」です。このアルバムでは、マイルスのたっての望みで、すでに独立して独自な音楽的境地を開いていたジョン・コルトレーンをわざわざ呼び寄せてゲスト出演させています。目論見は大当たりで、すでに自信満々のコルトレーンのソロが楽しめます。では、タイトルテューンの「いつか王子様が」。パーソネルは、二人のほかに、ハンク・モブリー(ts)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)。
 おわかりのように、この曲では、テナーサックスが二人登場します。コルトレーンに比べるとハンク・モブリーの演奏が聴き劣りすることは明らかですが、これは、マイルスが彼に飽き足りなさを感じていてわざと二人を突き合わせたのかもしれません。そうだとするとマイルスは悪いやつですね(笑)。でも私自身は、ハンクの演奏も、コールマン・ホーキンスなどの古いタイプを継承していて、なかなか味のあるソロだと思います。
 さてこの曲はジミー・コブの精妙なワルツ・テンポに乗って、まずウィントン・ケリーのイントロから始まります。マイルスのテーマに続いてそのまま彼の溌剌としたソロ、ハンク・モブリーのしぶいソロへと続きます。そうしてケリーのあのキラキラと輝く、弾むようなピアノ、もう一度マイルスがテーマを吹いてからコルトレーンのソロ、この堂々たる登場の仕方にご注目ください。やがてみたびマイルスのテーマが流れ、ケリーがしばらくリズミカルな音を奏でます。途中でフェイドアウトすると見せかけて、また回帰するかのようにちょっと戻ってきた後、深い余韻を響かせて終わります。

Miles Davis: Someday My Prince Will Come


 告白すると、数あるジャズの名曲のなかで、あえて一曲を選ぶとすれば何かと問われたら、私はためらうことなくこの曲を選びます。複雑な構成を持ちながら、しかも曲想が完全に統一されていて比類なくシンプルな美しさを感じさせるのです。願わくば、私の惚れ込みに共感してくださる方がいらっしゃることを!
 思わず入れ込んでしまいました。ちょっと恥ずかしい(笑)。

 さて、これ以後のマイルスの歩みをたどることになりますが、私はじつはそんなに知らないのです。なぜかというと、彼の変貌ぶりについていけなくなったからです。
 まず、この後、彼はメンバーの編成に苦しんだようで、テナーのウェイン・ショーター、ピアノのハービー・ハンコック、ベースのロン・カーター、若き天才ドラマーのトニー・ウィリアムスなどを抱え、ヨーロッパや日本への遠征を試みますが、この段階では、これまでの名演をアップテンポにして変化を添えるといったケースが多く、また、オリジナル曲にもかつてのような物語的な情緒性があまり感じられません。
 マイルスの演奏そのものは、かつてとは一変してたいへんスリリングで情熱的になっており、この時期にマイルスに出会った人は、これぞジャズの魅力、と感じたかもしれません。人気も世界的になっていましたし、マイルス自身も後年、この時期を自分の黄金期ととらえているようです。それは十分に理解できますが、彼の主観的な追想はともかく、こちらからは、どういう新しい境地を開くかに悩んでいた印象が残ります。
 生産量は多く、「E.S.P.」、「フォア・アンド・モア」、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ネフェルティティ」などのアルバムが、この時期の代表作です。この時期を「第二の黄金クインテット」と呼ぶ向きもあるようですが、何か乾いた砂漠を懸命に走っているような感じで、私には、往年の魅力を凌駕するには至っていないように思われます。一曲お聴きください。
「E.S.P.」から、「E.S.P.」。

Miles Davis - E.S.P.(+ 再生リスト)


 やがて69年、「ビッチェズ・ブルー」という大作を発表して、世間を驚かせます。これは、要するに、アメリカ音楽の主流がジャズからロックに移った時期に、状況に敏感なマイルスが一種のフュージョンを試みた野心作なのですが、私自身はまったく感動できません。とはいえ、そういって切り捨てては身もふたもないので、ここに一応、その一部を紹介しておきます。自分の耳が固まっているだけかもしれませんから。

Miles Davis - Bitches Brew (1/3)


 さらにマイルスは、その後もシンセサイザーなどを導入したさまざまな試みに挑戦していきますが、私は関心を失ってしまいました。
 死の五年前(86年)に発表した「TUTU」では、一部に往年のマイルスらしい懐かしい側面をのぞかせている部分もありますが、何というか、オーケストラ風のバックに支えてもらったり、ミュートを用いながらも、その演奏自体は、こういう音楽をやるのに、別にマイルスでなくてもいいよなあ、と感じさせる部分が多かったりで、やっぱり新鮮な驚きのようなものはない、というのが私の率直な感想です。でも一曲、これはなかなかいいんじゃないというのを紹介しておきましょう。「Portia」。

Miles Davis, Portia


 結論。マイルスはジャズ界のピカソだと思います。ピカソは青の時代、ローズの時代と呼ばれる若年の時期に数々の傑作を残し、セザンヌなどに強く影響されながらキュビズム的な表現を創造し、さらに、フォビズム、シュル・レアリズム、アフリカ芸術などの影響下に次々と自由な世界を切り開いていきます。こんなに激しく変貌した画家はちょっと珍しいですね。最後は漫画みたいな絵ばかり描いていました(誤解なきよう。漫画をバカにしているわけではありません)。
 ある時私が、「ゲルニカ」なんて何がいいのかわからないと言ったら、ある人から「いや、そういうけど、目の前で本物を見るとやっぱりあれはすごい迫力なんだ」と言われて、それはそうだろうなあ、と黙るほかありませんでした。もちろん私に賛成してくれる人もいます。
 それはともかく、マイルスもピカソと同じように、時代の変化にとても鋭敏で、過去にこだわることを嫌い、常に新しいものを求めざるを得なかった芸術家だという印象があります。でも、結果的にそのことは、あまりいいものを残すことにつながらなかったという気がして仕方がないのです。「帝王」の晩期は、自分の芸術家魂にシンクロしてくれるパートナーたちにあまり恵まれず、いろいろなことをやってはみたものの、けっこう孤独を抱えていたのではないか。
 しかしこれは、変貌以後に初めてマイルスに出会った若い世代の思いとはまた別でしょうから、そういう人たちの感想を聞いてみたく思います。


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