我が家のむすことむすめの思い出のために・・・・
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うちの子が小学校低学年と、保育園児の時、スーパーファミコンをやりたくてしょうがない時期がありました。しばらく、待たせましたが、上の子が小学校高学年の時、クリスマスの時に買ってやりました。その時は、普通の子供があんまり流行を追わないのもどうかという気持ちでした。当時は、ロールプレイゲーム(プレイヤーが主人公になり試練を経て現世的な王の地位か何かを獲得していく英雄漂流譚)では、ドラゴンクエストとか、ファイナルファンタジーとか、ゲームらしいゲームと云えば、スーパーマリオとかボンバーマンとか大変膾炙した時期で、ご同様に多くの大人が当該ゲームを楽しんでいました。ただし、うちの子は、当時もその後も格闘ゲームとか、知性を要求されるゲームは、やっていなかったと思います(成人した娘が言ってました)。
続いて、私が、初めてニンテンドーに出会ったのは、40歳半ばごろです。インターネットのウエブサイトで、糸井重里新聞「ほぼ日」というのに出会い、その中でニンテンドー(旧名「任天堂」、トランプとかテーブルゲームを作っていた会社です。)の社長の岩田という人のコンテンツに出会い、岩田君というパソコン好きの高校生がゲームクリエーターになり、乞われてニンテンドウに入社し、ゲーム開発で、世界規模の会社にのしあがったというサクセスストーリー、また、コピーライタ―あるいはサブカルチャーの知識人として有名な糸井重里が、ゲームプランナーとして、「マザー」、「マザーⅡ」という結構有名な、うちの子供もスーパーファミコンでやっていたゲームを作っていたことの詳細を知りました。
全共闘世代の糸井重里(政治運動がらみで法政大学を中退しています。)は、サブカルチャーなどの旗手として有名な人であり、また、彼は吉本隆明に対し、弟子のように、個人的に私淑している人でした。彼のネット新聞は、90年代の後半から活動を始めたウェブサイトで、先駆者的な仕事をしています。彼は人当たりのいい頭のいい人(ストリートスマートというのかも知れない。)で、彼のサイトには先端産業の社長さんや、技術者、デザイナー様々な人が参集・登場し、当時(2000年代が全盛)は本当に新しく、華やかで、とても興味深いものでした。その当時、ニンテンドーからプレイヤーの希望に応え、糸井の「マザーⅢ」が発売される時期でもあり、大変に盛り上がっていました。
また、そのコンテンツで、「あなたのマザーの気持ち」という記事があり、これはスーパーファミコンで「マザー」をプレイしていた人の投稿ページですが、必ずしもみんな幸せな少年時代を過ごしていない、若者にもそれぞれ喜びも、屈託も、悲しみもあるというコンテンツでしたが、素直に書かれた投稿は大変面白く、さる主婦が、「私はファミコンとか全然知りませんが、でも、今からすぐ始めます」とネット投稿してくるような熱気あふれる掲載でした(私が覚えている投稿で、父親がファミコン好きで、当時幼児の私にはさわらせてくれなかったが、不和の末に父母が離婚した後、残していったゲーム(マザーⅠ)を開いてみると、自分の名前がゲームのキャラクターに使われていてうれしかった、そして中途になっていたゲームを完了しました、本当にうれしかった、というのがありました(この感想はこのゲームをプレイした人でないとわからないかも知れません。)。
私は、「マザー」、「マザーⅡ」は、ゲームボーイアドバンスという機種で始めましたが、ガイドブックなしで、ゲーム機を壁に投げつけたいような苦闘の末、1年半くらいでやり上げました(本当にうれしかったです。かつて、竹田青嗣さんにファミコンのロールプレイゲームにはまってしまい、妻の顰蹙を買ったという話を聞いたことがありましたが。)。
「マザーⅠ」は、よくできたゲームで、普通の子が、世界征服を企む宇宙人と戦うため、敵を探して、友達と世界を救う旅に出るというゲームで、不在の父親とか、マイペースの放任母親とかの家族が登場してきて、遊んだ後、ふと、冒険を通じての自分の成長と家族のあり方を問うようなゲームで、時代的な制約はありますが、スリルもあり(うちの子が、いみじくも、「ところどころ怖い」といってましたが)、女の子との幼いエロチックな経験(胸キュンというところですね。)もあり、ある男の子がプレイ中に母親にたまたま見つけられたときに、「こんなエモーショナルなテレビゲームもあるのねー」、と感心したように言われたというエピソードもありました。主人公たちの、少年らしい感覚や相互の感情の起伏、そして幼いながらもその倫理観や正義感もよく受感されるようなゲームでした。
その後作られた「マザーⅡ」は、本当に完成されたゲームで、あれからいろいろなゲームをやりましたが、これ以上のロールプレイゲームには遭遇しませんでした。
前作から、マザーⅡの開発に際し、糸井重里は、たぶん小説を書くくらい時間をかけたと思いますが、物語といい、セリフといい、推敲と刻拓(?)を重ね、深さと暗さと、思わずにやりとする上質なユーモアによって作り上げ、また、音楽はとても印象的で不思議な記憶に残る音楽で、後で「エイトメロディーズ」という曲として小学校の音楽教科書に採用されたそうです。クリアした後の感想は、膨大な時間をかけて、良質な児童書を読んだような経験でした。特筆すべきは、「どせいさん」という幼児性と聖性を兼ね備えたような、無垢(イノセンス)のキャラクターの造形です。彼は、大人にも子供にもとても受けました。
マザーⅢについて言えば、当時はニンテンドー、新たに、ニンテンドーDSを売り出し、高性能の携帯用ゲーム機が大変受けていた時期で、娘におもねるように早速2台購入し、最後の「マザーⅢ」を今度はネットの補助を受けながらプレイし始めました。(娘にも買ってやりましたが、早々とクリアしたようです。)
完成度は、「マザーⅡ」に及ばないと思いました。
しかし、4部構成で、一部は妻に死なれ立ち直れない父、二部は障害者、三部は悪役と組まされたサル、四部からようやく主人公の男の子という構成です。ただ全体を流れるテーマは「家族」と「家族の中の子供」の流れであり、過酷な暴力で殺された母親にかばわれ生き残った子供たちが困難な冒険を経て人間的に育っていく冒険が巧みに描かれており、作者の糸井自身も、家庭的には必ずしもめぐまれていない、家族についてどこかに感情の澱を残す人でしたが、上質な母恋記とも成長記とも言えます(彼はこどもの悲しみ、弱さ、強さをよく受感される人です。)。
殊に、三部の「サル」の部分は秀逸でした(他に誰が思いつくでしょうね)。これも、私は、やっぱり、今も遊んでいます。
糸井は、マザーというゲームはドラゴンクエストシリーズに触発されたオマージュといっていましたが、ニンテンドー対応の、ドラクエⅤは、他のシリーズと同様に堀井雄二という人に作られています。これは、いわゆる、貴種流離譚というパターンのロールプレイゲームで、英雄の流浪伝説なのですが、ある男(この前不意に故人となってしまいましたが)が、在りし日に、懐かしげに述懐するには、中学時代、このゲームにはまってしまって、主人公(自分)の花嫁選びの場面で一日悩んで、悩んで悩んで、昼飯が食えなかった、という話をしていました。
そのアポリア(?)とは、英雄は、結婚相手として、幼馴染のしっかりした子か、しとやかな優しい子か、たかビーで強気な子のいずれを選ばなくてはならない、という試練なのですが(確か、ドストエフスキーの「白痴」でも相手を選べない人格(三男のアリョーシャだったかな)が出てきたと思いますが)、興味深い、奥の深い設定で、「うーむ」と男は悩むだろうなという、高度な選択です。ただ、笑ってしまうのは、だれを選んでも、結果として破たんとか離別とかはなく、次世代のこどもが生まれ、夫(王)に寄り添うというパターンになるようではあるようです。このゲームも結構本格的なゲームなのですが、三代にわたる英雄物語で、やりがいは(プレイのやりがいは)十分あります。なるほど、これが、当時、若者たちを熱中させた、RPGなのか、と思われます。
最近の、ゲームの実態を知りませんが、ネットを使ったオンラインゲームや、スマート
フォンを使う同様のゲームことを聞くにつけ、自己完結し、自己の決意でゲームが閉じられ、また追加料金のない、DSは健全なゲーム機かなと思います。それを考えれば、時々、子どもが戸外で、友達とやっているのを見ましたが、かわいいものだな、と思ってしまいます。
私にとって、「つまらん遊びはするな」、と子供たちに無考えにいわなくなっただけ、意味があるでしょうか。
このたび、エニックス(ドラゴンクエストシリーズ制作会社)が、スマートフォンにドラクエのソフト提供をするというニュースを見たので、DSについて述べてみたくなりました。
おまけとして、私が糸井「ほぼ日」新聞で最も印象に残った投稿をご披露します。(「きょうのこども」というコンテンツへの母親からの投稿です。)
(まさしく、イノセンスの世界ですよね。私はしばらくとても幸せでした。)
娘が小学1年生の時、
「お母さん、BCG受ける人と
受けない人がいるよ。なんで?」
と言うので
「陽性の人は受けなくていいんだよ。
Hちゃんは陽性だから
受けなくていいよ」
と言うと、娘は
「えぇっ! 私、陽性だったの?
今まで知らなかった‥‥」
と非常に驚き
神妙な顔で何やら考え込んでいる。
「あぁ言い忘れてたね、ゴメンゴメン」
と言うと娘は
「どうしてそんな大事な事
今まで黙ってたの!」
と怒り出した。
ツベルクリンの結果を
言い忘れたくらいで
そんなに怒らなくたって‥‥
と不思議に思ったが、
次の一言で謎が解けた。
「私、今まで
自分が妖精だなんて知らなかった!
人間だと思ってたよ!」
‥‥そんな大事な事6年間も黙ってたら、
そりゃ怒るよねぇ。
(妖精の母より)
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うちの子が小学校低学年と、保育園児の時、スーパーファミコンをやりたくてしょうがない時期がありました。しばらく、待たせましたが、上の子が小学校高学年の時、クリスマスの時に買ってやりました。その時は、普通の子供があんまり流行を追わないのもどうかという気持ちでした。当時は、ロールプレイゲーム(プレイヤーが主人公になり試練を経て現世的な王の地位か何かを獲得していく英雄漂流譚)では、ドラゴンクエストとか、ファイナルファンタジーとか、ゲームらしいゲームと云えば、スーパーマリオとかボンバーマンとか大変膾炙した時期で、ご同様に多くの大人が当該ゲームを楽しんでいました。ただし、うちの子は、当時もその後も格闘ゲームとか、知性を要求されるゲームは、やっていなかったと思います(成人した娘が言ってました)。
続いて、私が、初めてニンテンドーに出会ったのは、40歳半ばごろです。インターネットのウエブサイトで、糸井重里新聞「ほぼ日」というのに出会い、その中でニンテンドー(旧名「任天堂」、トランプとかテーブルゲームを作っていた会社です。)の社長の岩田という人のコンテンツに出会い、岩田君というパソコン好きの高校生がゲームクリエーターになり、乞われてニンテンドウに入社し、ゲーム開発で、世界規模の会社にのしあがったというサクセスストーリー、また、コピーライタ―あるいはサブカルチャーの知識人として有名な糸井重里が、ゲームプランナーとして、「マザー」、「マザーⅡ」という結構有名な、うちの子供もスーパーファミコンでやっていたゲームを作っていたことの詳細を知りました。
全共闘世代の糸井重里(政治運動がらみで法政大学を中退しています。)は、サブカルチャーなどの旗手として有名な人であり、また、彼は吉本隆明に対し、弟子のように、個人的に私淑している人でした。彼のネット新聞は、90年代の後半から活動を始めたウェブサイトで、先駆者的な仕事をしています。彼は人当たりのいい頭のいい人(ストリートスマートというのかも知れない。)で、彼のサイトには先端産業の社長さんや、技術者、デザイナー様々な人が参集・登場し、当時(2000年代が全盛)は本当に新しく、華やかで、とても興味深いものでした。その当時、ニンテンドーからプレイヤーの希望に応え、糸井の「マザーⅢ」が発売される時期でもあり、大変に盛り上がっていました。
また、そのコンテンツで、「あなたのマザーの気持ち」という記事があり、これはスーパーファミコンで「マザー」をプレイしていた人の投稿ページですが、必ずしもみんな幸せな少年時代を過ごしていない、若者にもそれぞれ喜びも、屈託も、悲しみもあるというコンテンツでしたが、素直に書かれた投稿は大変面白く、さる主婦が、「私はファミコンとか全然知りませんが、でも、今からすぐ始めます」とネット投稿してくるような熱気あふれる掲載でした(私が覚えている投稿で、父親がファミコン好きで、当時幼児の私にはさわらせてくれなかったが、不和の末に父母が離婚した後、残していったゲーム(マザーⅠ)を開いてみると、自分の名前がゲームのキャラクターに使われていてうれしかった、そして中途になっていたゲームを完了しました、本当にうれしかった、というのがありました(この感想はこのゲームをプレイした人でないとわからないかも知れません。)。
私は、「マザー」、「マザーⅡ」は、ゲームボーイアドバンスという機種で始めましたが、ガイドブックなしで、ゲーム機を壁に投げつけたいような苦闘の末、1年半くらいでやり上げました(本当にうれしかったです。かつて、竹田青嗣さんにファミコンのロールプレイゲームにはまってしまい、妻の顰蹙を買ったという話を聞いたことがありましたが。)。
「マザーⅠ」は、よくできたゲームで、普通の子が、世界征服を企む宇宙人と戦うため、敵を探して、友達と世界を救う旅に出るというゲームで、不在の父親とか、マイペースの放任母親とかの家族が登場してきて、遊んだ後、ふと、冒険を通じての自分の成長と家族のあり方を問うようなゲームで、時代的な制約はありますが、スリルもあり(うちの子が、いみじくも、「ところどころ怖い」といってましたが)、女の子との幼いエロチックな経験(胸キュンというところですね。)もあり、ある男の子がプレイ中に母親にたまたま見つけられたときに、「こんなエモーショナルなテレビゲームもあるのねー」、と感心したように言われたというエピソードもありました。主人公たちの、少年らしい感覚や相互の感情の起伏、そして幼いながらもその倫理観や正義感もよく受感されるようなゲームでした。
その後作られた「マザーⅡ」は、本当に完成されたゲームで、あれからいろいろなゲームをやりましたが、これ以上のロールプレイゲームには遭遇しませんでした。
前作から、マザーⅡの開発に際し、糸井重里は、たぶん小説を書くくらい時間をかけたと思いますが、物語といい、セリフといい、推敲と刻拓(?)を重ね、深さと暗さと、思わずにやりとする上質なユーモアによって作り上げ、また、音楽はとても印象的で不思議な記憶に残る音楽で、後で「エイトメロディーズ」という曲として小学校の音楽教科書に採用されたそうです。クリアした後の感想は、膨大な時間をかけて、良質な児童書を読んだような経験でした。特筆すべきは、「どせいさん」という幼児性と聖性を兼ね備えたような、無垢(イノセンス)のキャラクターの造形です。彼は、大人にも子供にもとても受けました。
マザーⅢについて言えば、当時はニンテンドー、新たに、ニンテンドーDSを売り出し、高性能の携帯用ゲーム機が大変受けていた時期で、娘におもねるように早速2台購入し、最後の「マザーⅢ」を今度はネットの補助を受けながらプレイし始めました。(娘にも買ってやりましたが、早々とクリアしたようです。)
完成度は、「マザーⅡ」に及ばないと思いました。
しかし、4部構成で、一部は妻に死なれ立ち直れない父、二部は障害者、三部は悪役と組まされたサル、四部からようやく主人公の男の子という構成です。ただ全体を流れるテーマは「家族」と「家族の中の子供」の流れであり、過酷な暴力で殺された母親にかばわれ生き残った子供たちが困難な冒険を経て人間的に育っていく冒険が巧みに描かれており、作者の糸井自身も、家庭的には必ずしもめぐまれていない、家族についてどこかに感情の澱を残す人でしたが、上質な母恋記とも成長記とも言えます(彼はこどもの悲しみ、弱さ、強さをよく受感される人です。)。
殊に、三部の「サル」の部分は秀逸でした(他に誰が思いつくでしょうね)。これも、私は、やっぱり、今も遊んでいます。
糸井は、マザーというゲームはドラゴンクエストシリーズに触発されたオマージュといっていましたが、ニンテンドー対応の、ドラクエⅤは、他のシリーズと同様に堀井雄二という人に作られています。これは、いわゆる、貴種流離譚というパターンのロールプレイゲームで、英雄の流浪伝説なのですが、ある男(この前不意に故人となってしまいましたが)が、在りし日に、懐かしげに述懐するには、中学時代、このゲームにはまってしまって、主人公(自分)の花嫁選びの場面で一日悩んで、悩んで悩んで、昼飯が食えなかった、という話をしていました。
そのアポリア(?)とは、英雄は、結婚相手として、幼馴染のしっかりした子か、しとやかな優しい子か、たかビーで強気な子のいずれを選ばなくてはならない、という試練なのですが(確か、ドストエフスキーの「白痴」でも相手を選べない人格(三男のアリョーシャだったかな)が出てきたと思いますが)、興味深い、奥の深い設定で、「うーむ」と男は悩むだろうなという、高度な選択です。ただ、笑ってしまうのは、だれを選んでも、結果として破たんとか離別とかはなく、次世代のこどもが生まれ、夫(王)に寄り添うというパターンになるようではあるようです。このゲームも結構本格的なゲームなのですが、三代にわたる英雄物語で、やりがいは(プレイのやりがいは)十分あります。なるほど、これが、当時、若者たちを熱中させた、RPGなのか、と思われます。
最近の、ゲームの実態を知りませんが、ネットを使ったオンラインゲームや、スマート
フォンを使う同様のゲームことを聞くにつけ、自己完結し、自己の決意でゲームが閉じられ、また追加料金のない、DSは健全なゲーム機かなと思います。それを考えれば、時々、子どもが戸外で、友達とやっているのを見ましたが、かわいいものだな、と思ってしまいます。
私にとって、「つまらん遊びはするな」、と子供たちに無考えにいわなくなっただけ、意味があるでしょうか。
このたび、エニックス(ドラゴンクエストシリーズ制作会社)が、スマートフォンにドラクエのソフト提供をするというニュースを見たので、DSについて述べてみたくなりました。
おまけとして、私が糸井「ほぼ日」新聞で最も印象に残った投稿をご披露します。(「きょうのこども」というコンテンツへの母親からの投稿です。)
(まさしく、イノセンスの世界ですよね。私はしばらくとても幸せでした。)
娘が小学1年生の時、
「お母さん、BCG受ける人と
受けない人がいるよ。なんで?」
と言うので
「陽性の人は受けなくていいんだよ。
Hちゃんは陽性だから
受けなくていいよ」
と言うと、娘は
「えぇっ! 私、陽性だったの?
今まで知らなかった‥‥」
と非常に驚き
神妙な顔で何やら考え込んでいる。
「あぁ言い忘れてたね、ゴメンゴメン」
と言うと娘は
「どうしてそんな大事な事
今まで黙ってたの!」
と怒り出した。
ツベルクリンの結果を
言い忘れたくらいで
そんなに怒らなくたって‥‥
と不思議に思ったが、
次の一言で謎が解けた。
「私、今まで
自分が妖精だなんて知らなかった!
人間だと思ってたよ!」
‥‥そんな大事な事6年間も黙ってたら、
そりゃ怒るよねぇ。
(妖精の母より)