皆が一斉に、罵倒し始めたこの時期に、またまた、時宜に合わぬ投稿ですが・・・
(また、先の読書ノートの投稿、皆様に、大変ご迷惑をおかけしました。)
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「ハンバーガー」罵倒
H26.11.16
学生時代の初め(1974年3月)、京都四条河原町藤井大丸で、生まれてはじめてマクドナルド店に入り、初めて、食べたハンバーガーはとてもおいしかった。
田舎から出てきたぽっと出の一回生には、なんておいしいものがあったんだという、忘れられない思い出です。赤白ストライプ柄の紙カップのコーラとセットで出るロウ引きの紙に包まれたハンバーガ―は、当時は、自由と(受験から、家などからの)解放を表す輝かしいアメリカ文化のほとばしりのようにも思われました。
不世出のフライ級の世界チャンピオン、大場政夫が、はじめてハンバーグを食べたとき、世の中にはこれほどおいしいものがあったんだと感泣した、という逸話がありました。そののち、高速で自己運転のスポーツカー(シボレーコルベット)の事故で亡くなってしまった(パンチドランカーだったらしい。)。彼の破滅的で悲劇的な結末を思い出すにせよ、その時の、下町の極貧家庭生まれのハングリーボクサーの、驚きと、そのあとの悲しみに思いいたります。
まだ、幼いころ、写りの悪い白黒テレビを必死で見ていたとき、アニメ「ポパイ」にウインピーというさえないおじさん(今でいうプーですが)が出てきて、誰彼かまわず「ねー、×××、明日には返すから、ハンバーガー貸してくれないか」(私は物まねが出来ます。)と頼むシーンが何度もあり、子ども心に「ハンバーガーってなんだろう」と深く思っていました(今思ってもポパイがハンバーガーを貸してやったのか、ハンバーガーを買う小銭を貸してやったのかよくわかりません)。
大阪万博(「1970年のこんにちわ」です。)にも行っているのに、ハンバーガーなどを食べた記憶がないのは、中二のそのころは、ハンバーガーなど、実体としてまだ全く知らなかったのかもしれません。
思い出はしばしば、食物と共に立ちあがってくることが多いものです。
私の大学入学当時、まだマクドナルドは京都でも珍しい時代で、知り合いがアルバイトしているのもうらやましかったような記憶があります。仲間内の印象でも、当時のマクドナルドはなにがしかのプレスティージがあるようなバイト先でした。
小・中・高と、うちの親は食えなかったので、共に、田舎でフルタイムで働いていましたので、家でハンバーグなど作るような環境にありませんでした(そういえばレトルトでマルシンハンバーグというのがあったなあ。喜んで食べていたような覚えがあります。ついでにいうと、前、斉藤慶子が、テレビで、「魚肉ソーセージとマヨネーズさえあれば何もいらない」と言っており、今も魚肉ソーセージ食べる私としては、彼女の生い立ちと生活史を思い、共感といくばくかの悲しみを共有してしまいました。)。
ちゃんと、ひき肉から成型するハンバーグを食べたのは大学時代に入ってからのことだったと思います。やっぱり、味はハンバーガーとは全然違うものでした。それ以降、ハンバーガー幻想は消滅してしまったように思いました。
思えば、それ以降私にとっては、マクドナルドは幾分色褪せたハンバーガーになってしまいました。しかしながら、卒業・就職して故郷に帰ってきて(1978年)も、マクドナルドがないので、フィレオフィッシュが食べたい、フライドポテトが食いたい、とか思っていました。
が、近所にマクドナルドができてから、全く行く気がなくなりました。(不思議ですね。)
ただ子供を持ってから、モスバーガーにはある程度通いました。
家ではできない味で、照り焼きバーガー、ロースかつバーガーとか、コメのバンズに入ったつくねバーガーなどを、求めに応じて買っていました。「タルタルソースは、マクドナルドの方がいいよね」、などと。
その頃、モスバーガーを待つ間に、フルブライト留学ではありませんが、創業者が利用者たちにアメリカ無償(起業)留学を勧奨する応募用紙を見つけ、創業者の、社会貢献と若者にチャンスを与える試みを見つけて、その手法に感心した覚えがあります。
現在では、ケンタッキーフライドチキンに行くわけでもなく、特に、ファストフードが嫌いなわけでもなく、今ではコーラを飲むのもやめてしまいました。
今でも、吉野家とかは、時々行くのになぜだかわかりません。
前、ハワイに行った際に、レギュラーのハンバーガーを一個だけ注文して嫌な顔をされた記憶があり、「お前ら、ジャンクフードばっかり食うなよ」、とその時思った憶えがあります(君らは貧富の差は別にして生涯ジャンクフードで生きるのであろうかと)。
しかし、悪名高かったバンズが変わってもマクドナルドハンバーガーはやっぱりまずい。決して安くはないのに。
今思えば、墜ちた偶像(アイコン)といったところでしょうか。
その後、家庭生活を経て、やわらかい、ジューシーなハンバーグを作る手順と、自分ではやれそうでできない調理のむつかしさはよくわかりました(固いハンバーグなら可能だが。もしやれば、私は焼き方専門です)。やっぱり、料理にも知性とセンスが必要なこともよーく理解できました(あの吉本隆明も天ぷらができねーと言ってましたが)。
ただし、食べ物としての持続性と汎用性そして創作性は、むしろ、サンドイッチの方に分があるように思います。こちらは、オヤジでもどうにでもなります。(ベーグルで作れよ、という意見もあり、またハンバーガーはサンドイッチの一種ではないかとの異見もあり。)
世の中には、様々な家族がいて、「幸福な」家族はひとにぎりである、ことはよく理解できます。また、マクドナルドが24時間営業であり、108円のセール(今もあるのか?)で食いつなぐ人や、家族のいない孤食者や老人にいかに貢献しているかもよく理解できます(資本主義の良い部分でもあります)。
しかし、マクドナルドも結構だけど、「家で、ちゃんと手間のかかるハンバーグやら、和食(世界遺産)をつくってやれよ、どちらかがやれるうちは。一生ハンバーガースタンドに並ばせるようなことは、するなよ。」といってしまいそうになります。
罵倒するのはこっちの方か。
(竜頭蛇尾というか、羊頭狗肉とかになってしまいました。実は、アメリカ発のグローバリゼーションに筆誅を加えようと思っていたのだけれども。)
(また、先の読書ノートの投稿、皆様に、大変ご迷惑をおかけしました。)
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「ハンバーガー」罵倒
H26.11.16
学生時代の初め(1974年3月)、京都四条河原町藤井大丸で、生まれてはじめてマクドナルド店に入り、初めて、食べたハンバーガーはとてもおいしかった。
田舎から出てきたぽっと出の一回生には、なんておいしいものがあったんだという、忘れられない思い出です。赤白ストライプ柄の紙カップのコーラとセットで出るロウ引きの紙に包まれたハンバーガ―は、当時は、自由と(受験から、家などからの)解放を表す輝かしいアメリカ文化のほとばしりのようにも思われました。
不世出のフライ級の世界チャンピオン、大場政夫が、はじめてハンバーグを食べたとき、世の中にはこれほどおいしいものがあったんだと感泣した、という逸話がありました。そののち、高速で自己運転のスポーツカー(シボレーコルベット)の事故で亡くなってしまった(パンチドランカーだったらしい。)。彼の破滅的で悲劇的な結末を思い出すにせよ、その時の、下町の極貧家庭生まれのハングリーボクサーの、驚きと、そのあとの悲しみに思いいたります。
まだ、幼いころ、写りの悪い白黒テレビを必死で見ていたとき、アニメ「ポパイ」にウインピーというさえないおじさん(今でいうプーですが)が出てきて、誰彼かまわず「ねー、×××、明日には返すから、ハンバーガー貸してくれないか」(私は物まねが出来ます。)と頼むシーンが何度もあり、子ども心に「ハンバーガーってなんだろう」と深く思っていました(今思ってもポパイがハンバーガーを貸してやったのか、ハンバーガーを買う小銭を貸してやったのかよくわかりません)。
大阪万博(「1970年のこんにちわ」です。)にも行っているのに、ハンバーガーなどを食べた記憶がないのは、中二のそのころは、ハンバーガーなど、実体としてまだ全く知らなかったのかもしれません。
思い出はしばしば、食物と共に立ちあがってくることが多いものです。
私の大学入学当時、まだマクドナルドは京都でも珍しい時代で、知り合いがアルバイトしているのもうらやましかったような記憶があります。仲間内の印象でも、当時のマクドナルドはなにがしかのプレスティージがあるようなバイト先でした。
小・中・高と、うちの親は食えなかったので、共に、田舎でフルタイムで働いていましたので、家でハンバーグなど作るような環境にありませんでした(そういえばレトルトでマルシンハンバーグというのがあったなあ。喜んで食べていたような覚えがあります。ついでにいうと、前、斉藤慶子が、テレビで、「魚肉ソーセージとマヨネーズさえあれば何もいらない」と言っており、今も魚肉ソーセージ食べる私としては、彼女の生い立ちと生活史を思い、共感といくばくかの悲しみを共有してしまいました。)。
ちゃんと、ひき肉から成型するハンバーグを食べたのは大学時代に入ってからのことだったと思います。やっぱり、味はハンバーガーとは全然違うものでした。それ以降、ハンバーガー幻想は消滅してしまったように思いました。
思えば、それ以降私にとっては、マクドナルドは幾分色褪せたハンバーガーになってしまいました。しかしながら、卒業・就職して故郷に帰ってきて(1978年)も、マクドナルドがないので、フィレオフィッシュが食べたい、フライドポテトが食いたい、とか思っていました。
が、近所にマクドナルドができてから、全く行く気がなくなりました。(不思議ですね。)
ただ子供を持ってから、モスバーガーにはある程度通いました。
家ではできない味で、照り焼きバーガー、ロースかつバーガーとか、コメのバンズに入ったつくねバーガーなどを、求めに応じて買っていました。「タルタルソースは、マクドナルドの方がいいよね」、などと。
その頃、モスバーガーを待つ間に、フルブライト留学ではありませんが、創業者が利用者たちにアメリカ無償(起業)留学を勧奨する応募用紙を見つけ、創業者の、社会貢献と若者にチャンスを与える試みを見つけて、その手法に感心した覚えがあります。
現在では、ケンタッキーフライドチキンに行くわけでもなく、特に、ファストフードが嫌いなわけでもなく、今ではコーラを飲むのもやめてしまいました。
今でも、吉野家とかは、時々行くのになぜだかわかりません。
前、ハワイに行った際に、レギュラーのハンバーガーを一個だけ注文して嫌な顔をされた記憶があり、「お前ら、ジャンクフードばっかり食うなよ」、とその時思った憶えがあります(君らは貧富の差は別にして生涯ジャンクフードで生きるのであろうかと)。
しかし、悪名高かったバンズが変わってもマクドナルドハンバーガーはやっぱりまずい。決して安くはないのに。
今思えば、墜ちた偶像(アイコン)といったところでしょうか。
その後、家庭生活を経て、やわらかい、ジューシーなハンバーグを作る手順と、自分ではやれそうでできない調理のむつかしさはよくわかりました(固いハンバーグなら可能だが。もしやれば、私は焼き方専門です)。やっぱり、料理にも知性とセンスが必要なこともよーく理解できました(あの吉本隆明も天ぷらができねーと言ってましたが)。
ただし、食べ物としての持続性と汎用性そして創作性は、むしろ、サンドイッチの方に分があるように思います。こちらは、オヤジでもどうにでもなります。(ベーグルで作れよ、という意見もあり、またハンバーガーはサンドイッチの一種ではないかとの異見もあり。)
世の中には、様々な家族がいて、「幸福な」家族はひとにぎりである、ことはよく理解できます。また、マクドナルドが24時間営業であり、108円のセール(今もあるのか?)で食いつなぐ人や、家族のいない孤食者や老人にいかに貢献しているかもよく理解できます(資本主義の良い部分でもあります)。
しかし、マクドナルドも結構だけど、「家で、ちゃんと手間のかかるハンバーグやら、和食(世界遺産)をつくってやれよ、どちらかがやれるうちは。一生ハンバーガースタンドに並ばせるようなことは、するなよ。」といってしまいそうになります。
罵倒するのはこっちの方か。
(竜頭蛇尾というか、羊頭狗肉とかになってしまいました。実は、アメリカ発のグローバリゼーションに筆誅を加えようと思っていたのだけれども。)