天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「国家」の逆襲――グローバリズム終焉に向かう世界(著者藤井厳喜)(祥伝社新書)について

2016-09-05 20:25:16 | 読書ノート(天道公平)
先の堤美果さんを含めて、数多くの日本人が外国に行っているのに、外国の、政治・経済・社会状況について扱われ、私たちにとって、「納得できる」著書が、殊に、現在の世界状況に係る報告、分析、考察が、何故に少ないのかと、私には奇妙に思われるところです。そんなものは、各著者のホームページや、雑誌の寄稿で読めよ、と言われても、そんな余暇も、普通の生活者であれば作り出すのがなかなか困難なところです。したがって、自分で、目当てをつけた著者のフォローワーを試みるわけですが、時に、書店で、今まで知らなかった味深い新たな著書を発見することは、小幸福と言えるところです。
 この本は、平積みで、書店で発見したものです。
まず、最初に、この本はタイトルを変えるべきだと思いました。「「国家」の逆襲」ではなく、「「国家」の復権」が、彼の記載の事実に即していると思われました。
また、この本は、「グローバリズムの終焉」、とサブタイトルで書かれていますが、おしなべてこの認識から出発しており、出発した論旨が明快で、興味をひかれる論議となっています。以下のとおり記してみます。
ア イギリスのEU離脱(Brexit)を引き金に、今後の歴史の潮目が、グローバリズムから、新・ナショナリズムに回帰したと考えられること。それは、 同時に、各国の従前のエリート主導主義から、大衆主義(ポピュリズム:大衆主義そのものは本来中立のニュアンスがある。)に移項したことを意味したこと(イギリスの国民投票もその象徴かもしれません。)。
イ アメリカにおいて、大統領候補者選挙において噴出した、一般大衆(大多数国民)のトランプ候補とサンダ ース上院議員に対する大きな支持はアンチエスタブリッシュメント(反・支配階層)として、一握りの一部富 裕者、それに加担し協力する権力者の一連の策動に反発する大衆的な運動であったこと。
ウ EU加入国内でドイツの一人勝ちにより、加入国間の甚大な格差と不公平、その経済的内部矛盾が露呈し、しかしドイツは各国の財政政策発動を頑として許さず、割を食ったドイツ国内を含め各国の下層階層(大多数の大衆)が各国々において階層間の混乱や、イギリスに続くEU脱退の動きの支持と、各民族国家内でも過去の国内での独立運動が顕在化してきたこと(イギリス国内など)。また、一人勝ちのはずのドイツも、メガバンクドイツ銀行の、不良債権問題など経営は決して盤石でなく、その欠陥のために今後の世界経済における不安定要素が非常に大きいこと。
エ ドイツの行き過ぎた移民受け入れ政策の強制のもとで、当該難民の無秩序な流入が、治安のみならず、経済・政治、社会的混乱を引き起こし、各国の国民国家の存立を揺るがすほどの大問題となり、各国の国境強化と、ドイツ自体、経済難民の流入受入れ政策を見直さざるを得なくなったこと。
オ ア、ウ及びエの経緯で、EU参加各国とその国民の幻滅が明らかになり、EU共同体幻想が崩壊し、それに伴い、その反動として、世界的規模で、経済 的、政治的、軍事的不安定と緊張が今後ますます加速する思われること。
カ 中共の経済的破綻が、世界秩序を不安定化している。中共政府は、内部矛盾の転嫁のため覇権・軍国主義に走り、南シナ海と東シナ海の秩序を不安定化 し、中共が勢力拡大を目指す周辺の関係各国間の軍事的衝突の危機と、経済破たんにより、もし中共に内部崩壊が生じれば、軍事的衝突と同時に膨大な経済難民が発生し、今後周辺諸国に押し寄せることも予測されること(日本に限定すれば中共に遺棄された反日教育を受けた中国人が日本に押し寄せるのです。)。

 以上、私の論点の取り上げ方が甘いかもしれませんが、著者の危機意識は、グローバリズムというイデオロギーが、いかに世界規模で先進国も後進国をも巻き込み、大きな災厄を引き起こしているかを、例を挙げ具体的に証明しています。このたび、よく、腑に落ちました。
これらの動きは、私たちの、学生時代に流行った、「世界プロ独」(各国で政治革命を成就したプロレタリアートたちが過渡的に世界規模で独裁体制を作る)の理念によく似通っています。「民族国家を揚棄する」というその理念が、現実的であったとすれば、私たちにどれだけ混乱と災厄をもたらしたであろうかをこのたびよく認識をすべきであろうし、それが、また、現在、高度に発達した資本主義が、国境を超え、拡大増殖した苛烈な金融資本に担われて、全世界規模で国家を超え実現されつつある、というのが歴史の皮肉ですが。まさしく、マルクスが予言した、高度に発達した資本主義国家で、階級間の矛盾、富者と貧者との対立の先鋭化に耐えかねて引き起こされるという、「革命」の時代となっているのですね。
それに「希望」を持てない私は、すでに<転向>していました。よくわかりました。
少なくとも、私には、現在の不安定化した世界状況の動きの中では、拠り立つものとして、まず確固とした「国民国家」が必要であることは確かなことです。

 アの中の、新ナショナリズムは、著者の指摘によれば、英語のナショナリズムの意味とはバイアスのかかったもの(極右的?)になるというので、もし、政治的・社会的に急激な変化をこのまず、大多数の大衆の困窮を認めない立場ということであれば、愛国者、保守主義者、伝統主義者というのが適当というので、私は、今後「「国民国家」日本及び当面日本国民の大多数の利害を第一義とする「保守主義者」」と名乗ることとします。同時に、それを自らの切実な問題として媒介しない、日本国の多くの様々なエリートたちに強い不信感を持っています。
 イについては、小浜逸郎氏のブログ「トランプとサンダース問題の背後にあるもの」にきわめて興味深く、適切な言説が存しています。(「小浜逸郎・言葉の闘い」blog.goo.ne.jp / kohamaitsuo )

 ウについては、メルケル首相は、旧東ドイツ出身ということですが、私の印象では、極度に官僚的な人ですが、EU圏で、負け組に属するギリシャ、イタリア、スペインなどに対し原理主義者のように、頑として、各国独自の国内金融・産業などへの支援とテコ入れを許さず、批判者にはまるで「第四帝国」化していると評されているようです。また、ドイツ国内においても、2015年までは、最低賃金法はドイツにはなかったと記されており、さすがにびっくりしましたが、「最低限度の生活」(?) も保証されない苛斂誅求(かれんちゅうきゅう:税金や年貢を容赦なく、厳しく取り立てること。「苛斂」と「誅求」はどちらも厳しく責めて取り立てるという意味で、同じ意味の言葉を重ねて強調した言葉)の国だったのですかね。
 エについては、ドイツの国是であり、EUの理念「国境なき欧州」として、経済難民、政治難民の、欧州間の自由往来を認めたこととしますが、当該難民は貧困であることは前提で、当該難民の流入は各国家の福祉を食いつぶすし、また求職するとすれば、いままでそれに就業していた自国の階層では甚大な被害と不満が生じるであろうし、きれいごとでは済まないわけです。殊に、人種等が違う難民(?) たちの一部が持たざる者として、強盗、性的な犯罪(ドイツケルン市で1,000人規模の暴動があったといいます。(権力に迎合した)ドイツのマスコミは意図的に報道しなかったそうですが)が生じるのであれば、各国民たちの難民に対する憎悪がかきたてられるのは確かなことです。また、その経緯と紛争が生じるのが想像されるのであれば、安易に軽々しく受け入れを表明すべきではないですね。
 オについては、まったくごもっともなことです。
 カについては、直接日本国と日本国民の安全と経済的、社会的利害の侵犯に関連する重大な問題です。年間三万件以上といわれる中共国内の暴動の件数を考え、この著書が指摘するように先の南京の花火事故が、中共政府に対する暴動であったとすれば、人民解放軍(人民抑圧軍)は、中共政府に帰属するのであって、国軍ではないということですから、経済的に追い詰められ国内の秩序維持が保てなくなるなら、今後「反革命(反中共)分子」として、中国人民を、海上に放逐するでしょう。それが、誤った、中共イデオギーに汚染された人々であれば、日本国の無責任なインテリが好きな「人道」支援、救助、受け入れなど、大きな災禍のもとです。これについても、三橋貴明氏の貴重な論考があります(三橋経済新聞、mag20001007984mailmag@mag2.com)。
お勧めします。

昔流行った、「絶望の虚妄なりたるは希望の虚妄なりたると相同じ」(魯迅)を引くとすれば、このような暗く解決困難な問題を扱うのであれば、私たちとすれば、「絶望」を意識化し、個々人として、その絶望の質を上げていくしかないですね。それは、同時に、お目出たい方々と、それに付け込む下劣な、うからやからと、戦っていくしかないかもしれませんが。

 同時期に出版された、「イギリス解体、EU崩壊、ロシア台頭 EU離脱の深層を読む」(PHP新書、岡部伸著)が、このたびの同時期の同様な問題を扱っていました。著書は、産経新聞のロンドン支局長を務めている人ですが、このたびのイギリスのEU離脱(Brexit)について、当該支持層をアメリカ大統領予備選の「トランプ=サンダース現象」と併せ、無定見な大衆の一時的な情緒的反応であった、という書き方であり、日本国内の凡百なマスメディアの主流と同様ではないのか(親グローバリズム)という印象を受けました。保守的な新聞の特派員であるのに、その程度の認識でいいのかな、と思った次第ですが、先の藤井厳喜氏は国際政治学者であり、立場として、ジャーナリストは、それとは違うのかもしれません。今一つ、違和を感じました。