「いしいひさいち」の自伝的なエッセイを見ていると、関西を拠点に漫画を描いていた時代は、漫画一本でやっていけず、ビル清掃などのアルバイトをやっていた、ということです。彼はその籍を、関西大学の「漫画研究会」(「漫研」というのだろうか。)においていたということであるが、原作の「バイトくん」のように、徒党を組み、ともに騒ぎ、安酒を呑み、生活費に事欠き、試験や就職などでともに苦しみ、また、時には「安下宿共斗会議」のデモ(まだ学生運動は関西には残っていました。むしろ、各政治党派の陰惨な内ゲバの方が多かったと思われますが)に行き、という状態ではなかったようです。自分の漫画を描いたら、部室(?) から スーッと帰ってしまうという、友人(その後チャンネル・ゼロという当時の友人たちによって創設された漫画プロダクション)がそのような述懐をしています。
うろ覚えながら(今記憶の確認ができないのですが)私、中学校時代、学研という会社の受験指導の月刊誌を購読しており、その中に「トップくん」という四コマ漫画が連載してあり、面白く結構人気のある漫画だったのですが、それがいしいひさいちの作画と重なってしまい、その真偽はともかくも、バイトくんのデビュー当時から、彼の漫画は、きわめて完成度の高いものでした。
白眉だったのは、その漫画が引けないのは、誠に残念ですが、あえて、言葉で申し上げますと、最初に、新卒らしい2人づれの若い勤め人が歩いています、
「絶対楽しいから」と、その一方がスナックへ誘います。
スナックの場面になります。
誰かが立ち上がりマイクを握っています。ヘルメット(党派記載のあるもの)までかぶっています。
「カラオケ」かなと、最初は思われます。
「我々は、砂川の・・、このたび参集した学生・労働者諸君の・・・」と、学生時代に慣れ親しんだ、絶好調の、アジ演説が続きます。
カラオケマシンには、ほかにも、政治的局面を変えた、様々な効果音があるようです。
要は、ここは、就職で打ちひしがれた、もと「政治的」学生を、慰撫し、なぐさめる、政治的スナックなんですね。それぞれ年代別パフォーマーは、昔日のアジ演説を再演し、自己陶酔感を味あわせてくれるカラオケと同等の喜びを感じさせてくれるわけです。それを愧じないバカな元学生は願い下げですが、その後またぞろ巧妙に生き延びてこのたびの安保法制騒ぎに一枚噛んでいたかもしれない。それは、わかる人にはわかる漫画なのです。
実際のところ、彼の漫画は質の高い漫画で、個人的には、村上春樹より先に、ノーベル(漫画)文学賞を差し上げたいくらいです。これだけ、冷徹で、冷静な批評のもとで、現実の痛みと、人性のおかしみを、その悲哀を表現し、また、作中人物を追い詰めていない「高度な」漫画は、日本人が誇るべき文化というものでしょう。
私の大学在学中、隣の、友誼的なサークルに、平日の真昼間、卒業して都銀に入ったOBが、背広姿でたずねてきたことがあります。「平日に」、「何それ」、「まだ、新採期間中でしょ」、「こんな面白くもないところに」、とか色々言われていました。
「就職って(就職の重圧とは)本当に、大変なんですね」と傍らの先輩にたずねた覚えがあります。再訪されたその方は、在学中は、確か中共の指導者(確か私たちは「けざわひがし」と呼んでいましたが)の熱烈なシンパでした。
確か、いしいひさいちは、「僕の漫画が誰か(打ちひしがれた誰かでいいと思います。)の、気分転換になってくれたらうれしい」といっていました、表現者として、政治的なろくでなしに堕さない、まことに良い心がけであると思います。
東京へ行った後、「がんばれタブチくん」とか、爆発的にヒットし、映画化されたり、大ヒットした連作が続き、赤塚不二夫にならうまでもなく、強烈なキャラクターというのは、四コマ漫画でも、きわめて大事なんですね。
私にとっては、極め付きは、新聞連載の「ののちゃん」ですね。これは、彼の漫画家としての集大成だと思います。主人公の小学生、愛らしく強気な、ののちゃんは、国民的ヒロインです、かれの漫画の一つの典型としての毒舌家のおばあさん、天衣無縫の家付き娘のおかあさん、何と魅力的なキャラクターでしょうか。同時に無力で、常識的な男どもが目立ちますが、当初のバイトくんのキャラクターも学童として形を変えて、健在です。彼の出身地は岡山県玉野市であり、「たまののののちゃん」というキャッチコピーで、地元の広報誌に連載もしているし、私の見た映像では、下水道のふたも、ののちゃんのキャラクターデザインです。彼の説によると、「日本のユダヤ人といわれる岡山県民」というのがありましたが、岡山県で勤務経験のある友人に聞いてみると、その県民性は「確かにその要素はある」、といっていました。漫画家としての批評精神も鋭く旺盛な人です。
大変、不愉快なのは、この漫画を連載している偏向した新聞社ですね。
いしいひさいち自身は、「僕は新聞にも書くし、エロ週刊誌にも書く」と公言していますが、彼の書くものにも、中にはつまらないものもあります。
かつて、晩年の吉本隆明が、スター編集者だったある編集者(かつて村上春樹が自分の生原稿を流出させたと責めた編集者です。)で、晩年になって小説を書き始めた、かつて有能な編集者であった彼を評して、「仕事にも「毒」がある」、と、自分の小説の適正な評価もできなくなったことを評していました(これは誰においても本来の仕事についてあることであろうとは思いますが)。私が思うに、いしいひさいちも、長年偏向したA新聞と付き合い続けた毒を受けたのか、A新聞社刊の「経済原論」とか、「現代思想の遭難者たち」とか、いう作品は、A新聞の固定読者には受けるかもしれないが、私は、駄作だと思います。やっぱり、漫画家が、思想や正統性を語ってもつまらないのですね、これは、私に言わせれば、彼が毒されたA新聞社の毒ではないかと思われます。
いちどだけ、大変、異和を感じた作品があって、「吉本ばなな」を扱った作品でしたが、これは、ごみの収集のための街角の出しおきの話ですが、「今日は吉本ばななの日」という説明で、吉本ばななの顔が大量に出されている、という漫画でしたが、これは笑えない、いしいひさいち氏は個人的に、小説家吉本ばななに含むところはないでしょうから(それならそれでなぜだめなのか、嫌いなのかちゃんと説明すべきです。)、そうであれば、彼が過剰に期待してその後振られたおやじに対する意趣返しかな、と思われました。かつて、元京都帝大でポストモダンの旗手であったA氏が、吉本隆明にやり込められた腹いせか、娘の吉本ばななのことをそしったことがあって、つまらない左翼性・幼児性に、くたびれた思いがあります。
それはそうとして、どうも、彼が在学した時期や、いくつかの作品に散見する表現を見ていれば、いしいひさいちの左翼体験(私より四歳年上です。私の叔母が大阪に住んでいて、当時関大のキャンパス駅(下新庄駅など)から、包帯をまいたり、松葉杖の学生がいっぱい、たむろしていたと言っていました。)は確からしく、私の下衆の勘繰りといわれようと、もしそうであれば、早くそんな、愚かな左翼性から手を切ってしまいなさい、と、長年の読者として、期待します。
最近小説を読まなくなったので、現在の吉本ばななの小説はわかりませんが、彼女のエッセイは私にとっては良いものに思われます。
うろ覚えながら(今記憶の確認ができないのですが)私、中学校時代、学研という会社の受験指導の月刊誌を購読しており、その中に「トップくん」という四コマ漫画が連載してあり、面白く結構人気のある漫画だったのですが、それがいしいひさいちの作画と重なってしまい、その真偽はともかくも、バイトくんのデビュー当時から、彼の漫画は、きわめて完成度の高いものでした。
白眉だったのは、その漫画が引けないのは、誠に残念ですが、あえて、言葉で申し上げますと、最初に、新卒らしい2人づれの若い勤め人が歩いています、
「絶対楽しいから」と、その一方がスナックへ誘います。
スナックの場面になります。
誰かが立ち上がりマイクを握っています。ヘルメット(党派記載のあるもの)までかぶっています。
「カラオケ」かなと、最初は思われます。
「我々は、砂川の・・、このたび参集した学生・労働者諸君の・・・」と、学生時代に慣れ親しんだ、絶好調の、アジ演説が続きます。
カラオケマシンには、ほかにも、政治的局面を変えた、様々な効果音があるようです。
要は、ここは、就職で打ちひしがれた、もと「政治的」学生を、慰撫し、なぐさめる、政治的スナックなんですね。それぞれ年代別パフォーマーは、昔日のアジ演説を再演し、自己陶酔感を味あわせてくれるカラオケと同等の喜びを感じさせてくれるわけです。それを愧じないバカな元学生は願い下げですが、その後またぞろ巧妙に生き延びてこのたびの安保法制騒ぎに一枚噛んでいたかもしれない。それは、わかる人にはわかる漫画なのです。
実際のところ、彼の漫画は質の高い漫画で、個人的には、村上春樹より先に、ノーベル(漫画)文学賞を差し上げたいくらいです。これだけ、冷徹で、冷静な批評のもとで、現実の痛みと、人性のおかしみを、その悲哀を表現し、また、作中人物を追い詰めていない「高度な」漫画は、日本人が誇るべき文化というものでしょう。
私の大学在学中、隣の、友誼的なサークルに、平日の真昼間、卒業して都銀に入ったOBが、背広姿でたずねてきたことがあります。「平日に」、「何それ」、「まだ、新採期間中でしょ」、「こんな面白くもないところに」、とか色々言われていました。
「就職って(就職の重圧とは)本当に、大変なんですね」と傍らの先輩にたずねた覚えがあります。再訪されたその方は、在学中は、確か中共の指導者(確か私たちは「けざわひがし」と呼んでいましたが)の熱烈なシンパでした。
確か、いしいひさいちは、「僕の漫画が誰か(打ちひしがれた誰かでいいと思います。)の、気分転換になってくれたらうれしい」といっていました、表現者として、政治的なろくでなしに堕さない、まことに良い心がけであると思います。
東京へ行った後、「がんばれタブチくん」とか、爆発的にヒットし、映画化されたり、大ヒットした連作が続き、赤塚不二夫にならうまでもなく、強烈なキャラクターというのは、四コマ漫画でも、きわめて大事なんですね。
私にとっては、極め付きは、新聞連載の「ののちゃん」ですね。これは、彼の漫画家としての集大成だと思います。主人公の小学生、愛らしく強気な、ののちゃんは、国民的ヒロインです、かれの漫画の一つの典型としての毒舌家のおばあさん、天衣無縫の家付き娘のおかあさん、何と魅力的なキャラクターでしょうか。同時に無力で、常識的な男どもが目立ちますが、当初のバイトくんのキャラクターも学童として形を変えて、健在です。彼の出身地は岡山県玉野市であり、「たまののののちゃん」というキャッチコピーで、地元の広報誌に連載もしているし、私の見た映像では、下水道のふたも、ののちゃんのキャラクターデザインです。彼の説によると、「日本のユダヤ人といわれる岡山県民」というのがありましたが、岡山県で勤務経験のある友人に聞いてみると、その県民性は「確かにその要素はある」、といっていました。漫画家としての批評精神も鋭く旺盛な人です。
大変、不愉快なのは、この漫画を連載している偏向した新聞社ですね。
いしいひさいち自身は、「僕は新聞にも書くし、エロ週刊誌にも書く」と公言していますが、彼の書くものにも、中にはつまらないものもあります。
かつて、晩年の吉本隆明が、スター編集者だったある編集者(かつて村上春樹が自分の生原稿を流出させたと責めた編集者です。)で、晩年になって小説を書き始めた、かつて有能な編集者であった彼を評して、「仕事にも「毒」がある」、と、自分の小説の適正な評価もできなくなったことを評していました(これは誰においても本来の仕事についてあることであろうとは思いますが)。私が思うに、いしいひさいちも、長年偏向したA新聞と付き合い続けた毒を受けたのか、A新聞社刊の「経済原論」とか、「現代思想の遭難者たち」とか、いう作品は、A新聞の固定読者には受けるかもしれないが、私は、駄作だと思います。やっぱり、漫画家が、思想や正統性を語ってもつまらないのですね、これは、私に言わせれば、彼が毒されたA新聞社の毒ではないかと思われます。
いちどだけ、大変、異和を感じた作品があって、「吉本ばなな」を扱った作品でしたが、これは、ごみの収集のための街角の出しおきの話ですが、「今日は吉本ばななの日」という説明で、吉本ばななの顔が大量に出されている、という漫画でしたが、これは笑えない、いしいひさいち氏は個人的に、小説家吉本ばななに含むところはないでしょうから(それならそれでなぜだめなのか、嫌いなのかちゃんと説明すべきです。)、そうであれば、彼が過剰に期待してその後振られたおやじに対する意趣返しかな、と思われました。かつて、元京都帝大でポストモダンの旗手であったA氏が、吉本隆明にやり込められた腹いせか、娘の吉本ばななのことをそしったことがあって、つまらない左翼性・幼児性に、くたびれた思いがあります。
それはそうとして、どうも、彼が在学した時期や、いくつかの作品に散見する表現を見ていれば、いしいひさいちの左翼体験(私より四歳年上です。私の叔母が大阪に住んでいて、当時関大のキャンパス駅(下新庄駅など)から、包帯をまいたり、松葉杖の学生がいっぱい、たむろしていたと言っていました。)は確からしく、私の下衆の勘繰りといわれようと、もしそうであれば、早くそんな、愚かな左翼性から手を切ってしまいなさい、と、長年の読者として、期待します。
最近小説を読まなくなったので、現在の吉本ばななの小説はわかりませんが、彼女のエッセイは私にとっては良いものに思われます。
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