天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

騒がしい子供を見たら、なぜ「イラッとしたり」するのかを考える、併せ暴走老人を観察する。

2015-09-01 20:46:17 | 時事・風俗・情況
 年のせいか(いつもの凡庸な書き出しですが、これだけで当該ブログを避ける人がいることも十分理解
できます。)、近来、どこででも見かける、幼児期のこどものけたたましさに非常にいらだつ自分を感じ
ます。これは妻も同様らしく、公共の場で、走ったり大声を上げたりする幼児の行動が、(私はこども好
きなのにといいますが、実際のところ彼女は実に上手に子供をあやします。)とても神経にさわるといい
ます。
 私のケースは、もう二、三歩進むと、「うるさい」と怒鳴るような段階ですが、今のところまだ我慢し
ています。もう、孫がいても不思議でない年齢で、非寛容と指摘されるようである意味恥ずかしい(世間
知に照らせばですが)わけですが、うちの子が小さい時代を思い起こし、その時代と比較しても、受忍の
範囲を超えるようで、黙しているのはやっぱり腹がふくれる思いです。
 このたびは、基本的に、夫婦で育児をしているカップルについてコメントします。
自己体験から歩みよることとして、彼らの多くはまだ、給料も安く、子供にお金など十分なケアをかけら
れない。現在の社会的な雰囲気(?)といえば目先の欲望の無限追求しかないような環境で、自分の時間
を必死に割きながら、多く育児に耐えている現在の夫婦の状況を思いやるべきところですが、やっぱり、
こどもに対するしつけとか、社会的な振る舞いに関する、批評軸が先に立ちます。目先の欲望に対し、際
限がなく貪欲なのは彼らが監護するこどもでも同様のものだからです。幼時期にろくなしつけもせずに、
楽に育児放棄をすることを、欧米語でスポイルというのでしょうが、少なくとも日本では、最後は、「お
じさんが怒るからやめようね」でもいいですから、こどもに条理やルールを教え、善悪を教えるくらいの
努力は欲しいものです。
 しかしながら、最近、一般的に、こどもをあやす夫の姿をよく見かけます、日々の仕事に耐え、こらえ
性のない半狂乱のような妻の振る舞いにも(同様に、こらえ性のない利己主義の夫の振る舞いとも申し上
げますが)、日常的に耐えているような夫が、電車の連結部や、飛行機のトイレの前(幼児を飛行機で長
時間運ぶのは問題ですが)でむずがる幼児をあやしたり、なだめたりとしている姿は立派なものです(そ
ういう場合は父の責任という女たちの同調圧力がかかっているような気もしますが、実行するだけでも評
価できます。)。
 今でいう「イクメン」とか、その育児の過程の中での労苦や夫婦相互の感情の切実な行き違いや、何よ
り現在の貧困の問題を棚上げにした、バカな用語は大嫌いですが、これこそ、男だ、という立派な夫も、
中には、いるわけです。
 「こども手当」とか、バカの民主党政権から続く政府の無責任な人気取りばらまき行政に加担しつつ、
同時に、真摯に子育てに取り組もうする夫婦に対し真反対に配偶者控除を廃止しようとする、自民党政権
にいらだちつつ(現在、一体全体、主婦のうちどれだけの比率で、外で働こうと考えているのだ、貧困を
固定化し、特定特権階層に奉仕するのはいい加減にしろ)「女性の社会的自立」とかの穴だらけの論理で、
過剰に迎合する一部エリートを含めたおばはんたちにも、無考えで愚かなおっさんにも、その欺瞞を指摘
もできないメディアにもイラッとします、これは、むかつくという方が適当かもしれない。
 私は、「少子化対策とは、若い世代にフルタイム労働の保証と、賃金を上げれば良い」、という、三橋
貴明さんの意見にもろ手を挙げて賛同しますが、なぜ、本来の政策として、「こども手当」や、扶養控除
政策が成り立つのか、政策の目指すところは将来を担う子供たちの健全育成が前提であり、しかし、それ
も望めないようなこども(家族)に対し、一律にばらまきを行うのは、正しい施策方針に反する違法な支
出であろうと思われます(勘違いする人が多いので申し上げますが、子供が一般的にかわいいから社会的
に支出するのではなく、社会の人数調整のために支出するのでもなく、論理をはき違えてはなりません)。
その上で、効率が悪く、景気浮揚にもつながらないため、心ある国民の失笑を買う制度なのです。
 
 ところで、先頃、妻が見た「元々おとめ」のとんでもない振る舞いをご紹介します。
先日、昭和初期にとどまったようなひなびた温泉に行ったのですが、家族風呂からあぶれた幼児の男の子
を連れた、祖母が、女風呂に入ってきたそうです。その時、誰かが、「湯船のお湯は少し暑いわね」、と
いったそうです。カランなど気の利いたものはない、ひたすら泉質が良いだけで浴槽から湯を汲むような
温泉です。
 何を考えたのか、その祖母は、1人で、洗い場の全ての小桶を押さえて、孫のために湯を冷まし始めた
そうです。少なからぬ、女性がいたそうですが、狭い湯殿のこと、唖然とした女性たちは、止むをえず、
皆、小さい手ひしゃくで体を洗ったといいます。
 少なくとも戦後(太平洋戦争ですよ。)のベビーブーマーと思われる祖母が、そこまでできるというの
は痴呆が入っているのか(?)と疑うようですが、そうでもないようです。戦前の方は道徳教育がされ、
人格が良かった、というのはうそですね。ベビーブーマーと思われる自分たちの子供にもろくな教育もし
ていない。そのうえ、その人は、「ここの泉質はいいんですか?」と、平然とうちの妻に話しかけてきた
といい、罪悪感のきれっぱしもないようです。
 そういえば、私自身の体験としても、最近、市場なんかで、老女(高齢の女性)がはずみで突き当たっ
てきても、何も言わずに平然としている人にも結構出会います。若作りで、身ぎれいな格好の上品そうな
顔で、睨んでやっても平気な顔をしています。
 はなはだしいのは、生鮮の商品を入れた買い物かごを床において、レジの順番を待ちながら、蹴りだす
若からぬ主婦のことです。列の前に立っていて、反射的に殴ってしまいそうで、自分が怖いです(そうな
れば暴走男老人ですが)。
 「衣食足って礼節を知る」とか、ありゃ嘘だね。豊かなはずの、熟年世代がこれじゃね。
 昭和80年にさしかかり、多くの人々にとっては食うだけの問題が解決しながら、自己欲望無限追及の世
相に合わせて、老人の心も荒廃しているのではないでしょうか?
 この人たちが、一方で、無考えに、脱原発に参加してみたり、安倍政権の安全保障関連法反対運動に加」
担したり、いかにもありそうで、またその際、都合よく正義の仮装をしそうで、とても現実感があります。

 これは、騒がしいこどもに、イラつく、とか、むかつくとかいったレベルの問題じゃないよね。
 かつて男老人の暴走にふれましたが、それだけじゃないようです。
 引き続き、今後女老人の暴走にも注視したいと思います。     

最新の画像もっと見る

コメントを投稿