かつて、私の趣味でやっている、職場クラブ活動、英会話クラスに、ケニア人の女性を講師としてお願いしていたことがあります。
彼女は、当時、公立中学校、小学校で英語(英会話)を教える(ALT)という仕事をやっていました。昔は(数十年前ですが)、文部省の嘱託のように、英語を母国語にする国の若者を英会話指導助手(「AET」と略称していた。)として、国の調整した枠内で各市町で雇用していましたが、それはそれで彼らに関する良い思い出もたくさんありますが、今では、いくつかの語学教育会社が、毎年、市町の入札により、落札業者が一括して請け負うようです。
彼女は、いわば、その民間の語学教育会社に雇用されていましたが、彼女の同僚たちも、欧米系は極めて少なく、フィリピン人、ケニア人、ネパール人もいました。給与が低いので、語学教師として欧米系は敬遠しているようです。彼女は、キクユ族というケニアの少数民族に属し、ナイロビ大学出身(日本の東大みたいなところだそうです。)で、宗教はカソリック、酒も飲まず、今でも、経営学、教育学とか、たゆまず勉強しており、父親は、私立学校を経営しているといっていました。
私の理解できる範囲では、彼女はきれいなイギリス英語を話し、フランス語とかも大丈夫なようで、日本の文化にも興味があり、とても前向きな人でした。当然、アフリカ系ですが、若くて美人(容貌もスタイルも典型的なアフリカ系のですが)で、髪をドレッドというのか飾りをつけて細かく編みこんでおり、一度スカーフと貫頭衣のような民族衣装を着けてもらいましたが、原色が見事にはまり、とても美しい立ち姿でした。伝統ある日本の着物姿と比較してどうなんだろう、と思ったところです。
私も、暇な時期だったので、彼女と様々なことを議論しましたが、色々考えさせられることが多かったところです。彼女は、アメリカ(ステイツというあそこです。)や、他の欧米圏の国々にも行っており、その批評も興味深いものでした。日本の制度に対する、評価も批判もありましたが、比較的に好意的であり、彼女が過ごした外国で、良い体験を得た国と言っていました。
彼女は、車の運転もする人で、日本の車検制度を素晴らしい、と賛美しており、しかし、いつも別途にお金がかかると私が言うと、アメリカにはそんな制度はないけれども、たとえお金がかかろうと、きちんと整備してもらえれば安心ではないか、と言っていましたが、なるほど、と思えたところです。また、温泉を特に好み、案内すると、一回当たり、少なくとも最低二時間は入っていたね、たぶん、詮索好きで興味深々の同浴のおばさん、おばあさんたちとも折り合いよくやっていたみたいです。実際、とてもいいやつでしたが、しまいには、こじれた私と我が家の娘との関係にまで相談に乗ってくれました。
彼女は、転職して、千葉県の、私立の英語教育を行う、中高一貫校へ行ってしまいましたが、当初イギリスの植民地国家であった、彼女に聞いたケニアの国情は、自由圏の資本主義国家で、一部アフリカのように社会主義独裁国にもならず、アフリカでは相対的に安定した国家であるように思われました。 ただ、本来の部族語・国語(スワヒリ語)と英語の相拮抗する関係や、社会が家父長的な要素があり、子だくさんで多くの兄弟があり、女性にとってやりにくい面があること、高学歴でないと(高卒)くらいでは彼女の家のメイドくらいにしかなれない、そんなことを言ってました。
どこでも厳しい状況ですね。
彼女が、去って、しばらくして、ケニアでの、モズレム系の若者によるケニアのガリッサという都市でのテロの報道を見ました。(以下「Gooニュース」によります。)
「ガリッサ大学襲撃事件とは、2015年4月2日、銃で武装したグループがケニア・ガリッサのガリッサ大学に押し入り、147人を殺害、79人以上を負傷させた事件です。襲撃は、犯人らの主張によればアルカーイダ分派の武装グループアルシャバブによって行われた。襲撃犯は700人以上の学生を人質に取り、イスラム教徒を解放する一方キリスト教徒とみなした者を殺害した。襲撃は、4人の襲撃犯が殺害されたことでその日のうちに終結した。かの犯人たちは、どうも、隣国ソマリアのイスラム教勢力の影響下にある武装組織であり、ケニア政府は、もともとソマリアと折り合いが悪く、生還した学生は犯人らがスワヒリ語で話していたと述べ、彼らがアルシャバブに関わっていると確言した。
後にアルシャバブは事件への関与を主張した。アルシャバブのスポークスマン、シェイク・アリ・モハムド・ラゲは事件の状況について、「我々の兵士が到着したとき、彼らはイスラム教徒を解放した」がキリスト教徒は人質としたと述べた。またラゲは兵士らの「使命はシャバブに反するものを抹殺すること」であり、ケニアの部隊がアフリカ連合ソマリア派遣団に配置されていることに関連して「ケニアはソマリアとの戦争状態にある」とのべた。別のスポークスマンはアルシャバブは「非イスラム教徒によって植民地化されたイスラム教徒の土地に位置する」ため施設を攻撃したと主張した。」
私が知っている彼女は、西欧系の教育を受け、他国の文化や、芸術にも興味を持てる聡明な女性でした。そして、敬虔なカソリックで、日曜日には、イタリア人神父の常在する、近所の教会に通っていました。さすがに私も、植民地主義の時代に、アフリカのほとんどの国家の制圧と人民教化のために、武力と宗教が有効に使われた、とは言えませんでした(否定はしなかったでしょうが)。
現代においては、私を含め、個々の信教は、やはり、恣意性でしかないからです。
折り合いが良かったからなのか、彼女は日本人と結婚するかもしれないとか、あるいは、ケニヤで、父親の学校経営を手伝うかもしれない、とも言っていました。キリスト教徒として、西欧的に教育された、彼女の後継者のような多くの若者が、このたび、それが部族なのか、社会階層なのか、貧困なのか、イスラム教の影響下で生育し、自己形成した若者によってテロの標的になったようですが、彼らは、若き日の私たちと同様に、観念の騎士として、正義感と信念に基づきテロ行為に走ったのか、果たして彼らは、将来、対立する相互の妥協と協力で、本当に国民国家を形成できるのかかつてスターリニズムや、米帝とたたかった私たちの時代に比べても、信念対立による異部族・同国民間の闘いは場合によっては血で血を洗うような厳しいものでしょう。近代を経た、我が国日本では、どのように処したのか(まずお互いの差異を超え妥協による国民国家を育成するしかないでしょう。)、その厳しい道筋を想像すれば、彼らの状況は、私の貧しい70年代体験のフィルターを通してみても、語りかける言葉が見つからず、胸が痛みます。現代の「国境なき医師団」の活動を含め、西欧諸国の歴史的な犯罪と、モズレムのテロに対する恣意的な人権侵害の適用といい、西欧人の性懲りのなさとその傲慢に怒りを感じます。また、外国の侵略によって作られた厳しい歴史や現実、今後ともグローバリゼーションに翻弄されながら(どこの国も一緒ですが)国民国家を充実
しなければならない状況で、貧困層の憎悪や、国内テロで多くの若い有能な人材を失った、ケニアの苦い未来にわたる運命について思いを馳せます。
さだまさしの「風に立つライオン」という歌をご存じですか。
このたびのお正月に、ドラマ化されたのか、衛星放送で見たような覚えがあります。
私は、歌でしか知りませんが、ケニアのナイロビで、原住民(?) に医療行為を施そうという日本人の青年医師の話です。彼が、私が寄付を勧奨(心情的には脅迫)された「国境なき医師団」に属しているかどうか不分明です。彼には、アフリカに行くと決めたときに、別れた恋人がおり、その後長い
空白を経て彼女が結婚するという往信があり、その返信という形で、歌詞の物語を紡ぎます。彼は、今になって思えば、故郷ではなく、千鳥ヶ淵の桜の夜景が頭に浮かぶという述懐で、彼女とそこで出会ったのでしょう、東京医科歯科大学かどこかの出身ですかね、優秀な医師なのかもしれません。
なぜ、アフリカに行ったのかというのは、「僕の患者たちのきれいな瞳を見ていると」、「やっぱり僕らの国は残念だけどどこか大切なところで道を間違えたのかと思う」とか、「僕は「現在」を生きていることに思い上がりたくないのです」、などという歌詞から推測するしかありませんが、厳しい徒弟時代を過ぎれば、将来は安定した中産階級(?)へ道が開ける、安定した日本と見えすぎるその生活、彼は、なぜアフリカで医師の道を選んだのか、という、青春の悩みに突き動かされ、(さすがアフリカにはついてこれない)恋人と別れ、恵まれない、新しい土地で、活動することとし、「ビクトリア湖の朝焼け」、「空を暗くして一斉に飛び立つ100万羽のフラミンゴ」、「キリマンジャロさん白い雪とそれを支える紺碧の空」という、アフリカの、雄大で原初的な自然に惹かれたようです。
安定した生活と決別し、恋人と別れても、男として、新たな環境と試練に立ち向かう「風に立つライオン」でありたい、と彼は考えている、いうのが私の(卑小な)解釈になりますが、はっきり言って、私は、直截に、昔、カラー放送で見た手塚治虫のオペラのようなテレビアニメ交響詩「ジャングル大帝」(1965年)白い獅子、レオを連想してしまいます(かの大歌手弘田三枝子の歌った「レオの歌」は私のカラオケナンバーでございます。)。あのアニメドラマも、「動物同士で殺しあうのはよくない、人造肉を発明しよう」とする主人公レオという「過剰な倫理性」に彩られた、ヒューマニスト手塚治虫の作品でしたが、この「風に立つライオン」にも、同様に何かに「強いられたような」倫理性を感じるのは私だけでしょうか。
若者が、カンボジアでボランティアの選挙協力をしようと、あるいは儲かる美容整形医になろうと、国境なき医師団に入り、ケニアで医療行為に従事しようと、それはそれぞれ恣意でしかない、筈です。
しかし、それならば、なぜ多くの若者が外国に行きたがるのかというのは、何かの理由はあるはず、と考えられるわけです。
私には、それが、戦後のアメリカの理不尽な植民地教育を施された、戦後の英語教育の呪縛に思われて仕方がない。適当に、英語ができる、優秀な青年は、皆、英語圏を目指しているのではないでしょうか。「英語化は愚民化」を引き合いに出すこともないでしょうが、教育とは、本当に怖いものですね。
それはそうとして、優秀でも、お人よしでもない私がなぜ、英会話を始めたかという理由は、まず①アジアやその他の国の若者と様々なことで議論したかったこと、②捕鯨問題を皮切りに新興米欧系諸国の、アジア、アフリカなどの異質な他国の文化や、経済的な実情を無視する、レイシズム(人種差別主義)にまで根差した倨傲の共通な通念に、鉄槌を下したかったこと、に尽きます。時に、①も②も重複しますが、実際のところ、うちのクラスの講師が異動で変わる度につたない英語で議論してきました。ほとんどの講師は、無意識にでも傲慢な欧米人は自分の価値観を決して譲らない、厭いて負けるのは議論を好まない日本人であることは良く分かりました(私は負けないぞ。)。また、私、一般的に、アメリカ人(ステーツの彼らです。)は、今までの経験で基本的に嫌いです。個々の、西欧人には、アメリカ人とは違い、それぞれの見方の差異や、違った見解もある、ということの理解は出来ましたが。
いずれにしても、喫緊の問題としては、ケニアの国内事情では、自国で医療教育を受けた自前の若い医師が絶対必要であるし、カンボディアでは、自前で自国の官僚や地方公務員が必要なのです。損得計算で、止むを得ず受けいれているでしょうが、基本的に、お雇い外国人は、長期的に見て有害なのです。それは外国人としては、おさえておかないと間違う。彼らの国では、今後、福澤諭吉や偉大な明治人のような人が出てくる筈であり、それは、私たちが、明治以降の、我が国の歴史と、日本の近代の苦闘の道行きを考えてみれば、日本人とすれば理解しやすいと思うところですが。
なぜ、「風に立つライオン」は、理不尽で下劣に見える東京都民の脱原発騒ぎで痛めつけられた福島県の無医村にいかないのか、あるいは他の過疎や今後の政府TPP政策、農協解体に深く傷つけられるであろう東北の無医村に行かないのか(もし、日本国内であればあなたの彼女もついてきたかもしれないぞ)、それで気が済むなら磐梯山や蔵王山に向かってそれぞれ何とかおろしに向かって、白い獅子レオのように屹立し吠えればいいのではないのか、それこそ、地方に住むしかない、多くの、貧しくて教育もなく他国に逃げられない日本人にとって、土着で、解決困難な見えない問題や、語りつくせない苦悩がいくつも存在しているでしょう。その解決はやりがいがあり、大変興味深い(私は)のではないのか、また、その苦悩は切実で、彼らと接するにつけ、魂がふるえるような経験もあるのではないかとも私は思うのです。
「青年よ、(つまらない)通俗性を、安い正義を目指すな」、と私は言いたい。
「国境なき医師団」に参加して、このたびのダイレクトメールに手記をつづった、日本人のエリート青年医師よ、君の活動は限定的で、将来に向けてあまり意味はない、アフリカ諸国の自前の努力に期待しなさい、その実現がどうすれば可能なのか、他人の考えではなく、自分の支援役割の質を、引き際を含め、今後よく考えておきなさい。
風に立つライオンの医師よ、あなた一人を専門職として養成するのに、日本国政府と日本国民はどれだけの時間とお金を使ったのか、想像したことがあるだろうか、あなたは当面「幸せ」かもしれないが、政府の無策を含め、貧しい家族の多くなった現在の日本で、工面して、工面して、必死で教育を受けても、フルタイムの仕事すら見つかりにくい現在の日本の多くの若者の現実のことも考えなさい、あなたの専門の、祖国日本の末端医療の現実も意識化しなさい、と言いたい。
質を問われない「正義」などどこにもない、民族語を共有する同じ「日本人」として、お互いに深く考えようじゃないですか。
彼女は、当時、公立中学校、小学校で英語(英会話)を教える(ALT)という仕事をやっていました。昔は(数十年前ですが)、文部省の嘱託のように、英語を母国語にする国の若者を英会話指導助手(「AET」と略称していた。)として、国の調整した枠内で各市町で雇用していましたが、それはそれで彼らに関する良い思い出もたくさんありますが、今では、いくつかの語学教育会社が、毎年、市町の入札により、落札業者が一括して請け負うようです。
彼女は、いわば、その民間の語学教育会社に雇用されていましたが、彼女の同僚たちも、欧米系は極めて少なく、フィリピン人、ケニア人、ネパール人もいました。給与が低いので、語学教師として欧米系は敬遠しているようです。彼女は、キクユ族というケニアの少数民族に属し、ナイロビ大学出身(日本の東大みたいなところだそうです。)で、宗教はカソリック、酒も飲まず、今でも、経営学、教育学とか、たゆまず勉強しており、父親は、私立学校を経営しているといっていました。
私の理解できる範囲では、彼女はきれいなイギリス英語を話し、フランス語とかも大丈夫なようで、日本の文化にも興味があり、とても前向きな人でした。当然、アフリカ系ですが、若くて美人(容貌もスタイルも典型的なアフリカ系のですが)で、髪をドレッドというのか飾りをつけて細かく編みこんでおり、一度スカーフと貫頭衣のような民族衣装を着けてもらいましたが、原色が見事にはまり、とても美しい立ち姿でした。伝統ある日本の着物姿と比較してどうなんだろう、と思ったところです。
私も、暇な時期だったので、彼女と様々なことを議論しましたが、色々考えさせられることが多かったところです。彼女は、アメリカ(ステイツというあそこです。)や、他の欧米圏の国々にも行っており、その批評も興味深いものでした。日本の制度に対する、評価も批判もありましたが、比較的に好意的であり、彼女が過ごした外国で、良い体験を得た国と言っていました。
彼女は、車の運転もする人で、日本の車検制度を素晴らしい、と賛美しており、しかし、いつも別途にお金がかかると私が言うと、アメリカにはそんな制度はないけれども、たとえお金がかかろうと、きちんと整備してもらえれば安心ではないか、と言っていましたが、なるほど、と思えたところです。また、温泉を特に好み、案内すると、一回当たり、少なくとも最低二時間は入っていたね、たぶん、詮索好きで興味深々の同浴のおばさん、おばあさんたちとも折り合いよくやっていたみたいです。実際、とてもいいやつでしたが、しまいには、こじれた私と我が家の娘との関係にまで相談に乗ってくれました。
彼女は、転職して、千葉県の、私立の英語教育を行う、中高一貫校へ行ってしまいましたが、当初イギリスの植民地国家であった、彼女に聞いたケニアの国情は、自由圏の資本主義国家で、一部アフリカのように社会主義独裁国にもならず、アフリカでは相対的に安定した国家であるように思われました。 ただ、本来の部族語・国語(スワヒリ語)と英語の相拮抗する関係や、社会が家父長的な要素があり、子だくさんで多くの兄弟があり、女性にとってやりにくい面があること、高学歴でないと(高卒)くらいでは彼女の家のメイドくらいにしかなれない、そんなことを言ってました。
どこでも厳しい状況ですね。
彼女が、去って、しばらくして、ケニアでの、モズレム系の若者によるケニアのガリッサという都市でのテロの報道を見ました。(以下「Gooニュース」によります。)
「ガリッサ大学襲撃事件とは、2015年4月2日、銃で武装したグループがケニア・ガリッサのガリッサ大学に押し入り、147人を殺害、79人以上を負傷させた事件です。襲撃は、犯人らの主張によればアルカーイダ分派の武装グループアルシャバブによって行われた。襲撃犯は700人以上の学生を人質に取り、イスラム教徒を解放する一方キリスト教徒とみなした者を殺害した。襲撃は、4人の襲撃犯が殺害されたことでその日のうちに終結した。かの犯人たちは、どうも、隣国ソマリアのイスラム教勢力の影響下にある武装組織であり、ケニア政府は、もともとソマリアと折り合いが悪く、生還した学生は犯人らがスワヒリ語で話していたと述べ、彼らがアルシャバブに関わっていると確言した。
後にアルシャバブは事件への関与を主張した。アルシャバブのスポークスマン、シェイク・アリ・モハムド・ラゲは事件の状況について、「我々の兵士が到着したとき、彼らはイスラム教徒を解放した」がキリスト教徒は人質としたと述べた。またラゲは兵士らの「使命はシャバブに反するものを抹殺すること」であり、ケニアの部隊がアフリカ連合ソマリア派遣団に配置されていることに関連して「ケニアはソマリアとの戦争状態にある」とのべた。別のスポークスマンはアルシャバブは「非イスラム教徒によって植民地化されたイスラム教徒の土地に位置する」ため施設を攻撃したと主張した。」
私が知っている彼女は、西欧系の教育を受け、他国の文化や、芸術にも興味を持てる聡明な女性でした。そして、敬虔なカソリックで、日曜日には、イタリア人神父の常在する、近所の教会に通っていました。さすがに私も、植民地主義の時代に、アフリカのほとんどの国家の制圧と人民教化のために、武力と宗教が有効に使われた、とは言えませんでした(否定はしなかったでしょうが)。
現代においては、私を含め、個々の信教は、やはり、恣意性でしかないからです。
折り合いが良かったからなのか、彼女は日本人と結婚するかもしれないとか、あるいは、ケニヤで、父親の学校経営を手伝うかもしれない、とも言っていました。キリスト教徒として、西欧的に教育された、彼女の後継者のような多くの若者が、このたび、それが部族なのか、社会階層なのか、貧困なのか、イスラム教の影響下で生育し、自己形成した若者によってテロの標的になったようですが、彼らは、若き日の私たちと同様に、観念の騎士として、正義感と信念に基づきテロ行為に走ったのか、果たして彼らは、将来、対立する相互の妥協と協力で、本当に国民国家を形成できるのかかつてスターリニズムや、米帝とたたかった私たちの時代に比べても、信念対立による異部族・同国民間の闘いは場合によっては血で血を洗うような厳しいものでしょう。近代を経た、我が国日本では、どのように処したのか(まずお互いの差異を超え妥協による国民国家を育成するしかないでしょう。)、その厳しい道筋を想像すれば、彼らの状況は、私の貧しい70年代体験のフィルターを通してみても、語りかける言葉が見つからず、胸が痛みます。現代の「国境なき医師団」の活動を含め、西欧諸国の歴史的な犯罪と、モズレムのテロに対する恣意的な人権侵害の適用といい、西欧人の性懲りのなさとその傲慢に怒りを感じます。また、外国の侵略によって作られた厳しい歴史や現実、今後ともグローバリゼーションに翻弄されながら(どこの国も一緒ですが)国民国家を充実
しなければならない状況で、貧困層の憎悪や、国内テロで多くの若い有能な人材を失った、ケニアの苦い未来にわたる運命について思いを馳せます。
さだまさしの「風に立つライオン」という歌をご存じですか。
このたびのお正月に、ドラマ化されたのか、衛星放送で見たような覚えがあります。
私は、歌でしか知りませんが、ケニアのナイロビで、原住民(?) に医療行為を施そうという日本人の青年医師の話です。彼が、私が寄付を勧奨(心情的には脅迫)された「国境なき医師団」に属しているかどうか不分明です。彼には、アフリカに行くと決めたときに、別れた恋人がおり、その後長い
空白を経て彼女が結婚するという往信があり、その返信という形で、歌詞の物語を紡ぎます。彼は、今になって思えば、故郷ではなく、千鳥ヶ淵の桜の夜景が頭に浮かぶという述懐で、彼女とそこで出会ったのでしょう、東京医科歯科大学かどこかの出身ですかね、優秀な医師なのかもしれません。
なぜ、アフリカに行ったのかというのは、「僕の患者たちのきれいな瞳を見ていると」、「やっぱり僕らの国は残念だけどどこか大切なところで道を間違えたのかと思う」とか、「僕は「現在」を生きていることに思い上がりたくないのです」、などという歌詞から推測するしかありませんが、厳しい徒弟時代を過ぎれば、将来は安定した中産階級(?)へ道が開ける、安定した日本と見えすぎるその生活、彼は、なぜアフリカで医師の道を選んだのか、という、青春の悩みに突き動かされ、(さすがアフリカにはついてこれない)恋人と別れ、恵まれない、新しい土地で、活動することとし、「ビクトリア湖の朝焼け」、「空を暗くして一斉に飛び立つ100万羽のフラミンゴ」、「キリマンジャロさん白い雪とそれを支える紺碧の空」という、アフリカの、雄大で原初的な自然に惹かれたようです。
安定した生活と決別し、恋人と別れても、男として、新たな環境と試練に立ち向かう「風に立つライオン」でありたい、と彼は考えている、いうのが私の(卑小な)解釈になりますが、はっきり言って、私は、直截に、昔、カラー放送で見た手塚治虫のオペラのようなテレビアニメ交響詩「ジャングル大帝」(1965年)白い獅子、レオを連想してしまいます(かの大歌手弘田三枝子の歌った「レオの歌」は私のカラオケナンバーでございます。)。あのアニメドラマも、「動物同士で殺しあうのはよくない、人造肉を発明しよう」とする主人公レオという「過剰な倫理性」に彩られた、ヒューマニスト手塚治虫の作品でしたが、この「風に立つライオン」にも、同様に何かに「強いられたような」倫理性を感じるのは私だけでしょうか。
若者が、カンボジアでボランティアの選挙協力をしようと、あるいは儲かる美容整形医になろうと、国境なき医師団に入り、ケニアで医療行為に従事しようと、それはそれぞれ恣意でしかない、筈です。
しかし、それならば、なぜ多くの若者が外国に行きたがるのかというのは、何かの理由はあるはず、と考えられるわけです。
私には、それが、戦後のアメリカの理不尽な植民地教育を施された、戦後の英語教育の呪縛に思われて仕方がない。適当に、英語ができる、優秀な青年は、皆、英語圏を目指しているのではないでしょうか。「英語化は愚民化」を引き合いに出すこともないでしょうが、教育とは、本当に怖いものですね。
それはそうとして、優秀でも、お人よしでもない私がなぜ、英会話を始めたかという理由は、まず①アジアやその他の国の若者と様々なことで議論したかったこと、②捕鯨問題を皮切りに新興米欧系諸国の、アジア、アフリカなどの異質な他国の文化や、経済的な実情を無視する、レイシズム(人種差別主義)にまで根差した倨傲の共通な通念に、鉄槌を下したかったこと、に尽きます。時に、①も②も重複しますが、実際のところ、うちのクラスの講師が異動で変わる度につたない英語で議論してきました。ほとんどの講師は、無意識にでも傲慢な欧米人は自分の価値観を決して譲らない、厭いて負けるのは議論を好まない日本人であることは良く分かりました(私は負けないぞ。)。また、私、一般的に、アメリカ人(ステーツの彼らです。)は、今までの経験で基本的に嫌いです。個々の、西欧人には、アメリカ人とは違い、それぞれの見方の差異や、違った見解もある、ということの理解は出来ましたが。
いずれにしても、喫緊の問題としては、ケニアの国内事情では、自国で医療教育を受けた自前の若い医師が絶対必要であるし、カンボディアでは、自前で自国の官僚や地方公務員が必要なのです。損得計算で、止むを得ず受けいれているでしょうが、基本的に、お雇い外国人は、長期的に見て有害なのです。それは外国人としては、おさえておかないと間違う。彼らの国では、今後、福澤諭吉や偉大な明治人のような人が出てくる筈であり、それは、私たちが、明治以降の、我が国の歴史と、日本の近代の苦闘の道行きを考えてみれば、日本人とすれば理解しやすいと思うところですが。
なぜ、「風に立つライオン」は、理不尽で下劣に見える東京都民の脱原発騒ぎで痛めつけられた福島県の無医村にいかないのか、あるいは他の過疎や今後の政府TPP政策、農協解体に深く傷つけられるであろう東北の無医村に行かないのか(もし、日本国内であればあなたの彼女もついてきたかもしれないぞ)、それで気が済むなら磐梯山や蔵王山に向かってそれぞれ何とかおろしに向かって、白い獅子レオのように屹立し吠えればいいのではないのか、それこそ、地方に住むしかない、多くの、貧しくて教育もなく他国に逃げられない日本人にとって、土着で、解決困難な見えない問題や、語りつくせない苦悩がいくつも存在しているでしょう。その解決はやりがいがあり、大変興味深い(私は)のではないのか、また、その苦悩は切実で、彼らと接するにつけ、魂がふるえるような経験もあるのではないかとも私は思うのです。
「青年よ、(つまらない)通俗性を、安い正義を目指すな」、と私は言いたい。
「国境なき医師団」に参加して、このたびのダイレクトメールに手記をつづった、日本人のエリート青年医師よ、君の活動は限定的で、将来に向けてあまり意味はない、アフリカ諸国の自前の努力に期待しなさい、その実現がどうすれば可能なのか、他人の考えではなく、自分の支援役割の質を、引き際を含め、今後よく考えておきなさい。
風に立つライオンの医師よ、あなた一人を専門職として養成するのに、日本国政府と日本国民はどれだけの時間とお金を使ったのか、想像したことがあるだろうか、あなたは当面「幸せ」かもしれないが、政府の無策を含め、貧しい家族の多くなった現在の日本で、工面して、工面して、必死で教育を受けても、フルタイムの仕事すら見つかりにくい現在の日本の多くの若者の現実のことも考えなさい、あなたの専門の、祖国日本の末端医療の現実も意識化しなさい、と言いたい。
質を問われない「正義」などどこにもない、民族語を共有する同じ「日本人」として、お互いに深く考えようじゃないですか。
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