( 8月です。お盆の月ですので、いつものように、皆で死者について考えましょう。 )
この写真を、かつて、お盆の戦争特集ドキュメンタリーなどで見たことがおありでしょうか?
これを見たのは、NHKの番組で特集した、ジョー・オドンネルさんという太平洋戦争当時の従軍カメラマンが、敗戦後の日本ことに被爆後の長崎で隠し撮りしたいくつかの写真に係る物語でした。私は、統一した経緯をこの番組で、初めて知りました。
以前どこかで見かけた、この「火葬場の少年」に強い印象を受け、逆引きで、ジョー・オドンネルにたどりついてはいましたが、彼の人となりと、写真にまつわる逸話は、興味深いものでした。しかし、私の印象はNHKの主題と微妙にずれてしまい、彼がやむにやまれず撮影した数多くの被爆者たちや子供たちの悲惨な、直接的な写真に比べて、より、この写真だけにやはり強い印象を受けました。なぜなのか、考えてみました。
写真のキャプションを述べて見ますと、膨大な原爆投下による被害者を葬るための、野辺送り(そんな生易しいものではなかったかも知れませんが)野焼きの火葬場の光景です。小学生の男の子が、火葬の順番を待彼の目線は、弟を見送る悲しみと、「小国民」として死者を弔う緊張と使命感、そして家族を含め死んでいった数多くの死者に対する敬意と哀しみに見開かれています。(私には、彼があたかも死者たちに、敬礼をしているようにも思えます。)
しかしながら、本来、年を経た年長者によって行順繰りに行われるべき厳粛な葬儀が、逆に、年端の行かぬ子供の手によって、自分の父母や、兄弟姉妹の幼い幼児の葬儀を、行わざるを得ないことが、いかに理不尽で、没義道なことか、よく思い起こす必要があります。
撮影者のオドンネルさんは、戦争従軍写真家としてこれらをひそかに撮影し、戦後何十年も後に行った当時のアメリカ国内の巡回写真展で、改めて太平洋戦争の実態と原爆投下による被害の甚大さを訴えたとき、「原爆投下は当然」との世論の雰囲気の中で、在郷軍人会の反発や世論の憤激の中で十字砲火を浴びたのですが、なぜか、この写真のみが、毅然として佇立する誇り高い子供の像のみが、アメリカの、一部の人々には、賞賛され、深い印象を与えたのか、よく納得できます。
私が想うオドンネルさんもそうではないかと推し量りますが、やはり、写真の、彼(少年)の姿勢は、「人間として、死者に対しこれ以上何をすればよいのか」という、ぎりぎりの、崇高な、尊敬すべき姿なのです。
オドンネルさんの話に戻りますが、オドンネルさんは、この写真を隠し持ち、40年間封印していました。
67歳のとき、わが内なる炎(?)にせかされるように、地方の放送局や、巡回写真展を通じ、公開し、「私は、国家のために誇りを持ってたたかった。しかし、やはり、あの戦争は間違いだった。」と、写真の公開活動を始めました。その当時の反発は、前述したとおりですが、妻に去られ、息子にそむかれ、「なぜ、(外国の敗戦国のことで)私たちの家庭を犠牲にするのか」と責められたといいます。しかし、彼の気持ちは、よくわかるような気がします。自分の残年数を数え、自己に強いられ、とうとう、不可避的に語りだしたのでしょう。
彼は、再来日の際、モデルの少年を必死で探したらしいのですが、彼には結局会えなかったようです(嗚呼)。
しかし、彼はたった一人のアメリカ人として、戦争当事者のそれぞれの国家とその国民たちの立場を超え、非戦闘員たちが受けたその人道に悖るような戦争犯罪に対し、自己の良心と、理念(原則性)だけに拠り、今後の自己にひき起こる過酷な運命を十分に承知しながら、暴挙(?) に出ました。
見習いたいものですね。
私自身、太平洋戦争が「聖戦であった」とか、「日本軍国主義の敗北」とか、信じていませんが、「最初に、弱いもの、年老いたもの、大衆を、敵の前に差し出す」(シモーヌ・ヴェイユ)戦争の不道徳性(?)は大変よくわかります。その後、恥ずかしながら、漫画で教えてもらいましたが(「とめはねっ!」河合克敏作、講談社、当該被害に学校教師として立ち会いそれを作品化した書家井上有一さんの慟哭の作品「噫横川国民学校」(群馬県立近代美術館蔵))、被害者10万人以上といわれる、東京大空襲で、横川国民学校校舎に避難していた避難児童とその家族たち幼児を含め一千名が、焼夷弾のじゅうたん爆撃により、焼死・全滅したことがあったことも知りました(ああ)。そのほかにも、戦時にしかありえなかったような、過酷で悲惨な被害はいくらもあったでしょう。同様に、当時の各国で存在したのは想像の範囲です。
また、同時に、東京裁判では決して触れられなかった、「勝者が敗者を裁く」その裁判の図式とその実態、アジアの非白人国家の近代化による苦闘とその罪障、また、敗北はしたが、欧米の植民地主義に抗して戦った、日本国の闘いが、欧米の抑圧に苦しんでいた、アジア、アフリカなどの多くの国々の独立運動や本来の健全なナショナリズムの醸成にどれほど役立ったかを、自虐史観におとしめられることなく、当時何の反証もできず、海外で不当に処断された、B級、C級戦犯たちのためにも、何よりも、300万人と推定される戦争の犠牲者のために、原爆はもちろんのこと本土空爆で死んでいったこども、老人、婦人たちのために、健全で自恃の心を持つ日本人として、また、将来の日本人たちのために、私たちは、きちんと、言挙げする必要があろうかと思い
ます。
現在、私たちが日々目にしている、米欧の一部支配階層により仕掛けられたグローバリズムによる搾取と無慈悲な資本主義の暴走(新帝国主義)に対して、その反動として、(信念対立や)宗教戦争のように現れているヨーロッパをはじめ世界各地で起こるテロや戦争、開発途上国など、持たざる者たちの差別や貧困を原因として引き起こされる、開発途上国内の戦争・内戦においてもしかりなのです。
同様に現在の日本国も、強大な(ろくでなしの)覇権国家に囲まれ、本日もまた、中共軍が、尖閣列島部分で、領土を侵犯し、軍事的、経済的侵犯への挑発を繰り返しています。彼らの戦略図は、沖縄・琉球弧を超え、太平洋へ進出する壮大なものらしいですが、旧日本軍に習い、彼らは、覇権帝国として、今後、中共「軍国主義」を展開するのでしょう。
今、どこでも見られる、厳しく悲惨な外国のテロルの惨状や軍事的状況にかかわらず、(青山繁晴氏が何度も繰り返すように)国防を人任せにした我が国は、戦勝国によって与えられた憲法で、自国防衛を他人事として、空疎な、「戦争反対」、「平和憲法の護持」をいうマスコミの大勢と、一部日本「知識人」前の反動宣伝行為の中で、国民本来の責任である、国防や、国境を防護することに無関心で、無頓着であれば、いずれ未来(現在の緊迫・緊急を考えれば未来かどうかわかりません。)の国民がつけを払うことになりそうです。そのとき、
未来の国民から、最初に責任ある毅然とした対応をしていれば、こんなことにならなかった、といわれたときに、どのような説明をするんですかね。現在、策のない政府は、当該中共の国際法を無視した軍事行動を放映していますが、われわれ国民としても、一貫性のない政府政策たとえば、バイアスのかかった官立大東大で日本人ではなく大量の中国人学生(?) の受け入れなど(「「民意」の嘘」産経セレクト、桜井よし子さんと、百地章日大教授との対談)にその記述がありました。)、びっくりするような話に無関心にならず、この重要な問題については、国民大衆のひとりとしてそれぞれの立場で、敗戦を経た国民国家において、多くの国民に対して責任ある独立国家に対し、日本が戦争にまきこまれないよう国家本来の条件整備に協力をすることは当然
のことだと思います。国際社会の、まぎれもない国家間の弱肉強食の紛争に、国民全体の生命と安全を巻き込まないのは、曲がりなりにも近代を経由した国民国家日本の政治の当然の役割だと思うからです。
オバマ大統領の広島訪問(?) を経たうえでも、一部アメリカ人の「原爆は戦争を終わらすために必要だった。」という発想には、日本人として、強い憤りを覚えます(とてもバカな一部の卑劣な日本人にも)。彼らの「想像力の貧困と欠如」、「同胞に対する同情心の欠如」、は明らかなものでしょう。
今は故人となったオドンネルさんの志に深く謝するとともに、皆さんにとって、かつての戦争とその犠牲者の問題が、また、現在の日本を囲む地勢的、歴史的状況を、日本人がいやおうなく対応せざるを得ない、覇権国家中共と、独裁国家北朝鮮の策動を、どう自己の視野に挙げていくのか、今年も、このたびおたずねしたいところです。
私たちにとって、8月は、やっぱり、戦没者や銃後の無辜の犠牲者そして祖霊たちに対して、わたしたち個々の家族の死者たちを安んじて彼岸に返していくために、「死を想え」(メメント・モリ)の時期なのです。
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