天道公平の「社会的」参加

私の好奇心、心の琴線に触れる文学、哲学、社会問題、風俗もろもろを扱います。趣味はカラオケ、昭和歌謡です。

「歌手の宇多田ヒカルさんに子供が生まれた」、というニュースを見て(併せ、藤圭子さん追悼)

2015-07-05 19:46:36 | 時事・風俗・情況
 本日(7/3)「歌手の宇多田ヒカルさんに子供が生まれた、というニュースを見ました。
 母、藤圭子さんを見送り、無責任な毀誉褒貶の中で、ずっと耐えてきた(ことに血のつながった唯一
の娘だったろうから)、彼女にとっておめでたいことです。若くして得た、歌手という仕事を選んだこ
とにより、否応なしに、母の栄光と挫折を背負わされ、同時に女としての過剰な早熟さを求められ、と
ても痛々しい感じがしていた彼女が、現在は相対安定期かもしれないが、産む性として、このたび子供
を持つことが出来たことは、結構なことです(厳しい試練を経て、自己否定(?)をせず、子供を持つ
という、人倫のサイクルを肯定したという意味においてですが)。
 いずれにしても、私にとって、母、藤圭子さんを抜きに、彼女の事は語れません。藤圭子さんの死に
より、いやおうなしに、彼女が巻き込まれた私たちの同情に値する騒動を経て、時間の経過が、彼女
(たち)に癒しと平穏をもたらすことを祈っています。
 さて、私の世代から、殊に上の世代は、母、藤圭子さんの存在は多大なものです。(下の世代にも影
響力があったことも、様々な方のブログで確認しました。)
 あの、冷静沈着で世俗から隔絶したかに見える(?)瀬尾育生さんすら、藤圭子の死について一文を
奏しているのを見て、とてもびっくりしました(飢餓陣営40号)。下宿で、ヘッドホンをつけながら、
「新宿の女」のLPをききながら、その声に打ちのめされた、というその体験を読むにつけ、彼女の全盛
期に、同時代を生きたことはもちろんのこと、藤圭子と、彼女の歌には、文学者としての瀬尾育生さん
をかき立てる(?)何かがあったのでしょう。

 当時、以下のとおり、私なりに考察しました。

       藤 圭子さんの死について
                        H25.9.4
 藤圭子さんが亡くなりました。
 先に「私の年表」で「圭子の夢は夜ひらく」に触れたこともあり、幾分ショックなことでもありまし
た。
 私が中学生のころ、藤圭子は圧倒的なスターでした。それも、暗い影を曳きずる、五木寛之いうとこ
ろの「怨歌」歌手であり、極貧家庭に育ち、中学校もろくに通えず、長い黒髪を肩まで垂らし、白皙の
顔と独特な陰りを持った黒ずくめの恰好をした美少女でした。かすれた声で、「15、16、17と私の人生
暗かった・・・・・」と白いギターを抱え歌う姿は、当時、大学生、高校生、中学生を問わず絶大な人
気を博しました(レコード会社で作られたイメージを差し引いたとしても、前思春期ながら、ぞくぞく
するほどひかれました。)。
(長じて、大学時代はもう少し知的な「中山ラビ」とかを好きになりました。が、今思えば、ギターを
抱えた長い髪の女の人というパターンに呪縛されていたような思いです。)

 私、思うに、当時、抑圧されたもの、不幸なものに対する愛、というべきか、学生運動や、先のわか
らない暗い時代で、たぶん、若い男たちの正義感や、やるせなさに圧倒的に受けたのです。ローティー
ンにも、それなりに切実でした。また、私が語るべきではないかもしれませんが、幾分かは、60年安
保の「樺美智子さん」のイメージに重なるかも知れません(小浜逸郎氏も、彼の著書で、確かに「樺美
智子さん」、と言ってました)。
 良家のお嬢さんが、正義のために恵まれた環境を犠牲にして政治的活動をやっていた、また一方では、
社会的な差別と貧困、いわゆる政治的な開放が行われていないため、貧困と差別の渦中で育ってきた美
少女がいる、学生たちに、もっと広範に若い男たちに受けないはずがないではありませんか。
 ただ、その後、流行歌手として頂点を極めた人がそのまま居座れる筈はなく、人気に陰りが生じるに
つれ、逆にそれゆえに、いつしか醜聞として語られ、忘れられていきました。
 厳しい幼胎児期や思春期を過ごした彼女は、その後、夫やこどもなどの家族とさえ、安定した人間関
係を作ることができなかったようです。
 どこか暗い影のあるアイドルとして一世を風靡した百恵ちゃん(私はよいファンではありませんが)
が、恵まれた家庭生活を送っているように見える、のとは対照的です。

 後になって、娘、宇多田ヒカルの漆黒の長い髪を見たとき、とても衝撃的でした。どこか、不幸の影
を引きずり、哀切なまた哀調を含んだ歌が、宇多田の場合でも本質であるように思われました。
 あの当時の藤圭子にはぞくぞくする凄味がありましたが、豊かな時代に生まれた筈の宇多田にも同質
の暗さが、つきまとってしまいます。
 「歌の本質とは、昏いもの、悲しいものではないのか」、と言ってしまいそうになります(殊に自分
にはそういいたいような気がします)が、歌い手を必ずしも幸せにしない芸術家の運命を想い浮かべま
す。(天才「中島みゆき」は幸せなんでしょうか?)
 佐伯啓思氏が言ってましたが、敢えて昔の暗い歌を、オフ会で今の若者たちに歌っても(確か「赤色
エレジー」だったと思います。)、評判が悪かったと書いてます。(受けないでしょうね、私も既に試
みて、「何それ」という感じでした。私自身は幼少時から、昏い歌にいつも惹かれたような気がしたの
ですが)。しかし、私も、同様に、明るい歌、愛だの恋だのしかない流行歌(もともとそれしかないか
)には異和感を覚えます。嫌がらせに歌ってやりたい、と感じる私もご同輩です。

 しかしながら、宇多田ヒカルの母への追悼文は、マスコミの卑しい突っ込みを跳ね返すだけの良い感
動的な文章でした。これだけのことを書いてもらったら、「母」として、また必ずしも幸せでなかった
「人間」として藤圭子さんを想い、瞑することができそうではありませんか。
 うちの息子と同年ですが、彼女は本当に「いい子」ですね。以下、宇多田ヒカルさんのコメントを挙
げます。

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  [2013年8月26日14時25分]
宇多田がコメント「母の笑顔が浮かぶ」

 自らの公式サイトで宇多田は「8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。さまざまな臆測が飛
び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」と切り出し、「彼女はとても長い間、精
神の病に苦しめられていました」と明かした。
 「その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何
が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。幼い頃から、母の病気が進行していくのを見て
いました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖
昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄(ほんろう)さ
れるばかりで、何も出来ませんでした」と娘として苦しい胸の内を明かした。
 さらに「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、
後悔の念が募るばかりです。誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強
く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっち
ょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。
 悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。母の娘であることを誇り
に思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの
人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました」と気丈につづった。



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