仏教では、ものの見方考え方を正しましょう!ということを終始説き続ける。
「正見」・「正思」だ。
しかし、簡単な言葉だが、言葉のように簡単にはいかない。
「正しい」とは、「真理に合った」「調和のとれた」考えや見方、行動を意味する。
物事を観察する場合、私たちが最も陥りやすいことは、
ひとつの限定した枠の中だけしか見ていない、という事実。
だから、その枠の外側の現象とは無関係に物事を判断してしまう。
ある人が、突然前を歩く人を後ろから突き飛ばし、
顔や手足に大けがを負わせてしまった、とする。
この様子だけをテレビの画面などを通して見ていた人は、
「なんて人だ、けしからん!」と思うに違いない。
しかし実は、前を歩いていた人の頭上からは、
建築中のビルの足場が真っ逆さまに落下していた。
後ろを歩いていた人はその危険に気がつき、
とっさに前の人を思いきり突き飛ばし、
その人の命を救ったというわけだ。
現場にいて、その一部始終を見ていた人は、
「とっさの判断で一人の命を救ったすばらしい人だ!」と称讃する。
限られた枠の中だけで物事を判断したり、
それを真実と思いこんでしまうと、
大きな偏見や誤った行動に結びついてしまう。
テレビや新聞、雑誌やインターネットなど、
私たちの周りには、数多くの限定された枠が存在する。
そのことを理解しているだけでも、
誤ったものの見方考え方を避けることができるに違いない。
「正見」・「正思」だ。
しかし、簡単な言葉だが、言葉のように簡単にはいかない。
「正しい」とは、「真理に合った」「調和のとれた」考えや見方、行動を意味する。
物事を観察する場合、私たちが最も陥りやすいことは、
ひとつの限定した枠の中だけしか見ていない、という事実。
だから、その枠の外側の現象とは無関係に物事を判断してしまう。
ある人が、突然前を歩く人を後ろから突き飛ばし、
顔や手足に大けがを負わせてしまった、とする。
この様子だけをテレビの画面などを通して見ていた人は、
「なんて人だ、けしからん!」と思うに違いない。
しかし実は、前を歩いていた人の頭上からは、
建築中のビルの足場が真っ逆さまに落下していた。
後ろを歩いていた人はその危険に気がつき、
とっさに前の人を思いきり突き飛ばし、
その人の命を救ったというわけだ。
現場にいて、その一部始終を見ていた人は、
「とっさの判断で一人の命を救ったすばらしい人だ!」と称讃する。
限られた枠の中だけで物事を判断したり、
それを真実と思いこんでしまうと、
大きな偏見や誤った行動に結びついてしまう。
テレビや新聞、雑誌やインターネットなど、
私たちの周りには、数多くの限定された枠が存在する。
そのことを理解しているだけでも、
誤ったものの見方考え方を避けることができるに違いない。