こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

秘密の隠れ家

2006年09月21日 | 仏教
お大師(弘法大師空海)さまは、幼少の頃、
蓮の花の上に座り、
多くの諸仏諸菩薩と楽しく懇談している夢を
よく見られていたという。

また、
小さなお堂を造り、
土を練って仏像をこしらえ、
そのお堂に安置して手を合わせ礼拝する、
そんなことを日常の遊びのなかでやっておられたらしい。

私はどんな子どもだったろうか?
回想してみた。

裏の築山から、モグラの怪獣が出現!
築山の庭石やつつじの木を天高くはね飛ばしながら、
私に向かって襲いかかってきた。
恐怖におののく私は、
逃げようと試みるが身体が動かない。
必死の努力の末、やっと開放されたと思った途端、
下半身の異常な冷たさと不快感で目が覚める。

・・・そんなことが思い出される。
円谷プロダクションの影響はかなりのものだったようだ。

裏山の雑木林の中で、
秘密の隠れ家を造るのが至上の幸せだった。
ダンボールや木ぎれ、小石を集めながら、
たっぷり時間をかけながら、何日もかかって造りあげていく。

できあがった隠れ家には、
愛読の漫画本や、ビー玉、ペチャ(メンコ)、仮面ライダーカード、などなど、
至極の宝物を持ち込む。
仲のいい友だちだけを招待し、
楽しい時間を共有する。

・・・とまあ、こんな子供時代。


人間は、大きくなるにしたがって、
社会に適応し、世間に順応できる力というのか、
要領というのか、賢さというのか、
そんなものを身につけていかなければならない。
そうでなければ、反社会的な人間として、
もしくは、変わり者呼ばわりをされて、
とても生きにくい環境になってしまう。

だから、無理にでも大人になる必要がある。
無理して頑張っている大人たちは、
時として、現実から逃避する。
社会や世間という枠組みから飛び出して、
子ども時代の純粋な自己中心世界に舞い戻る。

私の知人に、隠れ家を持つ大人がいる。
程良い広さの森を買い、
森林に手を入れ、
自然の木材を駆使しながら、
カバノンという隠れ家を造った。
里山のBARだ。

仕事の節目節目に、
好きな仲間たちに声をかけ、
小さな、しかし素敵なイベントを企てる。
お酒一本をギャラに一流のアーティストを呼んで音楽会。
星空を背景に野外映画会。
こだわりのお酒やこだわりの料理で、
カバノンパーティー。

羨ましい限りだ。
ほとんどのイベントが土曜日に開かれるため、
私は一度も里山を訪ねたことがない。
・・・くやしかあ!

毎日真面目に職場へ通い、
接待ゴルフや接待キャバクラ、接待カラオケで汗をかき、
町内会のお付き合いや、親戚とのお付き合いにも気を配り、
たまの休日には、家族思いの素敵な大人をつとめ、
そんな毎日で人生が過ぎていく。

・・・こんな環境の大人にとって、
隠れ家という存在は、パラダイスに違いない。


 お大師さまは、京の都と高野山を
何回と無く往来した。

京では、庶民教育や社会福祉活動、そして、
国家の安泰の為、
様々な角度から天皇を指南した。
 そして、時折、遠く人里離れた高野の森へ帰り、
弟子たちとともに禅定に入り、宇宙と一体になった。
 こうして、心身共に鋭気を養ったお大師さまは、
また、京の都へと向かう。

 この繰り返しが、偉大な功績の礎になった。


・・・ 時として、我が侭に生きる子ども、に成りきること。

 案外、大事なことかも知れない。(イヤ、トッテモダイジサ!!)








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする