「お経さんって、チンプンカンプンで・・・。」
「できることなら理解してからお唱えしたいものだ、・・・。」
「ご住職!今度のご法事は、お経さんは唱えなくて良いから、
お経の内容についてお話しして下さいよ・・・。」
こんなお声をたびたびお聴きします。たしかにおっしゃることもよくわかります。
ある意味、当然の疑問だと思いますし、理解していただくことに力を傾注できないお坊さん(私も含め)にも、
大きな責任があるとも思います。でもね、日頃お坊さんがお話ししている御法話、これって、実はお経の内容をかいつまんで、且つ現代の言葉や環境条件を取り入れながらお話ししているんですよ。そのことだけはどうぞご理解下さい。ただね、お経さんというものをきちんと系統的にお示しする作業って、なかなかするチャンスがなくて、うまく伝わってない側面もあります。
・・・ということで、その辺の欠損を補うべく、ほんの少しずつですが、お話ししたいと思います。
仏教に限ることなく、心の安心を獲得するための重要な第一歩は、自分の犯してきてしまった罪や咎を告白し悔い改めることから出発します。それを、「懺悔」といいます。これ、「ざんげ」とお読みになるでしょう?仏教以外の宗教では「ざんげ」と発音しますが、仏教に限れば、これは「さんげ」と濁らずに読むんです。でも、パソコンで「さんげ」とタイプしても「懺悔」とは変換してくれません。(;_;)
ともあれ、この懺悔のためのお経をまず最初にお唱えします。「懺悔文サンゲモン」というお経さんです。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
これが懺悔文(サンゲモン)です。
*「我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)」。これを日本語的読み下しにしますと、
「我、昔より造る所の、諸々の悪業は」(われ、むかしよりつくるところの、もろもろのあくごうは)となります。
この意味は「私が昔から積み重ねてきてしまった、様々な悪い行いは」ということ。
僕は悪い人じゃないよ~、悪いことしてねえしぃ、とか思う人結構多くいらっしゃるかもしれませんが、
実は、その認識を改めること、これがこの懺悔文の重要な意義でもあります。
では、その認識がひっくり返る内容を、次回のブログでご紹介します。