こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

悪口は、人を傷つけるだけでなく、自分の心の深層をじわじわと傷つけているのです

2013年06月12日 | 仏教

あじさいの花にたたずまれる「ふれあい観音さま」。

さて、懺悔文の後半です。

では、「従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)」。これを日本語的にしますと、
 「身語意従り生ずるところなり(しんごいよりしょうずるところなり)」となります。
すなわち、「私自身の行動や言動、思いの世界から生まれ出たものです。」ということですね。

  「身」というのは、「私の行動」と言いましたけど、具体的には身体で犯してしまう罪のことを言います。もっと具体的に言いますと、それは「殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)」ということです。
 「殺生」はわかりますよね。行きとし生きる森羅万象の「命を奪う」ことです。命を大切にしないことです。命を傷つけることです。暴力的なことです。・・・
  「偸盗」とは、盗むことです。他人のものを盗み取ったり、盗み見たり、盗み聞きしたり。他人に与えることをしなかったり、相手に手を差し伸べないっていうのも、偸盗だと思います。
 「邪淫」とは、自分の連れ合い以外との浮気や不倫、または乱れた性行為のことをいいます。

  「語」というのは、私たちが日常的に発している言葉のことです。言葉は大きな罪をつくります。この言葉には、四つのポイントがあります。
 ひとつには、「妄語(もうご)」。これはそのものずばり嘘を言うこと。「人心を惑わすようなウソ」、は決してついてはなりません。
次に「奇語(きご)」、これは、おちゃらけすぎたり、ふざけ過ぎた言葉を使うことです。相手に不快感を与えるような言葉遣いですね。う~ん、気をつけねば。でもね、適度なユーモアやダジャレはこれには含まれませんよ。ご安心を。(笑
 そして「悪口(あっく)」、人や社会の悪口を言うことですね。悪口は、人を傷つけるだけではなくて、その発言は、自分の心の深層を傷つけているのです。ご注意を。
 最後に「両舌(りょうぜつ)」。自分に都合の良いように、場所によって人によって違った発言をすることです。コウモリの物語にありましたよね。ほ乳類の前では、私はほ乳類の仲間ですよ!って語り、鳥たちの前では、私は鳥類の仲間ですから!と都合の良いことを言っていたら、結局双方から総スカンを食ってひどい目に遭ったって言う物語。何でしたっけ?このコウモリのお話。確かこの話から、調子の良い輩のことを、「あいつはコウモリだから気をつけろ!」っていう風にいうようになったんじゃなかったでしたっけ?

  「意」というのは、思いですね。心のこと。心の罪には三種類があって、それは、貪、瞋、痴の三つです。これは、つい前回(昨日)申し述べましたんで省略しましょうね。

 以上、懺悔文の三行目を読んでみました。つまり「私自身の行動や言動、思いの世界から生まれ出たものです。」ということですね。って、最初の説明を繰り返しただけですが。(^_^)

 では次回は、最後の1行を読んで、懺悔文の全体を確認しましょう!!


 

コメント
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