こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

【少欲知足】

2025年02月12日 | 仏教
・真理というものは、自分の都合に左右されるものではない

・足るを知ると言うのは、我慢することではないと言うことと同じように

・私たちは、朝起きてから夜寝るまで、常に仏さまを感(観)じている必要がある

・それは流派(宗派)によって仏さまではなく呼吸(出入息)と言ったり、仏性(如来蔵)と言ったり、あるいは言葉にしてはいかん(無)と言ったりする

・表現方法が違うだけで、おなじことを指している

・専門的には、行住坐臥三昧に住す、と言ったりする

・片時も絶えること無く自分に仏さまを感じていても、片時も絶えること無く心身の調子が良く安らかと言うことではない

・病めるときも健やかなるときも、喜怒哀楽いかなる感情も、全てありのままに仏さまである

・受け入れがたくとも、全ての現象は仏さまである

・詰まるところ、自分の心身の調子に関わらず、いまそのもの(ありのまま)が仏さま(真理)なのであるから、24時間片時も忘れることなく(不妄念)三昧に住している必要がある

・片時も絶えること無く仏さまなのだから

・足るを知る、と言うのは病めるときも健やかなるときも仏さまであることを知ると言うことになる

・心身の調子の良い悪いが足るを知ることそのものではない

・仏さま(真理/無我/仏性/気づきsati)を常に感(観)じることが、私たちが智慧に近付くためにできること




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