我が家のお隣、甲南中学校の正門横にある「三方限(さんぽうぎり)出身名士顕彰碑」で昨日、慰霊祭が行われました。
『偉人たちの育った町』 -甲突川をはさんで競いあった英才教育-
鹿児島の城下では、城下士の居住区をいくつかの地域にわけて、それを方限(ほうぎり)といいました。方限は郷ともいい、郷ごとにつくられた青少年の教育機関を郷の相中(あいじゅう)、略して郷中(ごじゅう)と呼ぶようになったのです。したがって郷中方限といえば、現在の学区にあたります。薩摩藩は郷中での子弟教育に独特のしくみを取り入れ、子供たちを幼少の頃から厳しくしつけました。「十八交りを結ぶ健児の舎」という頼山陽の詩は、当時18あった郷中の姿を伝えています。その中で、高麗、上之園、上荒田の三方限は加治屋町方限と並んで、幕末から明治にかけての偉人を数多く育てたことで知られています。昭和10年、これら偉人たちの業績を顕彰するため顕彰碑が建てられました。碑文は文豪徳富蘇峰が書いたものです。
(三方限出身名士顕彰碑の説明文を丸写しです)
※三方限(高麗・上之園・上荒田)は現在、高麗・上之園・上荒田・中央・荒田一丁目・荒田二丁目の6ケ町になっています。
慰霊祭で『誓いの言葉』(甲南中3年生の代表者)
『誓いの言葉』
甲南中学校の生徒を代表して一言ご挨拶申し上げます。
町内会長さんにお聞きしたところ、慰霊祭は昭和48年に始まり今年で37回目だとのことでした。本日、歴史ある慰霊祭に参加することは何よりの喜びです。
私は、小学校の低学年の頃は、甲南中には大きなお墓があると思っていました。また、三方限はサンポウゲンだと思っていました。
甲南中学校に入学して三方限のことを学びました。明治維新の立役者だった薩摩の偉大な方々が殆ど、この地で生まれたと聞いて驚きました。歴史のことは、よく分からなかったのですが、昨年テレビで「篤姫」を観てから歴史に多少、興味をもてるようになりました。
三方限の慰霊碑には歴史に名を残された方のお名前が銘記されています。全国に中学校は数多くありますが、学校の敷地内にこのような立派な慰霊碑がある中学校は甲南中学校だけではないかと思います。
私たち甲南中学校生徒は、この歴史ある三方限の慰霊碑に刻まれた偉大な先人たちに恥じないように、また一歩でも近付けるよう勉学にスポーツに励みたいと思います。
将来、甲南中学校を卒業したことを誇りに思って世の中に役立つ立派な社会人になれるよう努力することを三方限慰霊碑の前でお誓い申し上げます。
(原文のまま)
甲南中の生徒や町内会関係者等、およそ100人の参列者が集まりました。
私は三方限出身ではありませんが、通り会の代表として玉串奉奠して参りました。
…三方限出身名士一覧…
【上之園町出身】
吉田清成(明治期に外交官として活躍)
伊集院兼寛(薩英戦争のすいか売り決死隊、貴族院議員)
讃良清蔵(薩軍として西南の役に従軍)
山之内一次(鉄道大臣)
大山綱良(明治政府から鹿児島県令として赴任するが、西郷軍の援助を行う。戦後処刑された)
吉井友実(鳥羽・伏見の戦いで活躍。日本鉄道社長)
野津鎮雄(政府軍として西南の役に従軍、最高位は陸軍中将)
野津道貫(鎮雄の弟、元帥陸軍大将正二位大勲位功一級侯爵)
山口金之進(薬丸自顕流の達人、寺田屋事件で活躍。戊辰戦争で戦死)
江夏仲左衛門(薬丸自顕流の達人。寺田屋事件で活躍)
高島鞆之助(陸軍大臣、台湾副総督)
山沢静吾(アメリカ・ドイツに留学後に日本陸軍中将)
種子田左門(東京・熊本鎮台長官を歴任)
渕辺高照(薩軍として西南戦争で戦死)
長沢鼎(アメリカに渡りブド-王に。現在、甲南中に長沢ブドウの樹がある)
伊集院彦吉(外務大臣)
中原猶介(斉彬に登用され集成館事業で功績を残す)
仁礼景範(海軍大臣、最高位は海軍中将)
【中央町出身】
西郷隆盛(一般的には加治屋町出身とされる)
西郷吉次郎(隆盛の次弟、戊辰戦争で戦死)
西郷従道(隆盛の3番目の弟)
西郷小兵衛(隆盛の末弟、西南の役に従軍。高瀬付近の戦いで戦死)
伊地知正治(軍略家として薩英戦争や戊辰の役で活躍)
篠原国幹(西南の役で薩軍の一番大隊指揮長。田原坂で戦死)
伊地知幸助(日露戦争乃木軍の参謀長。203高地に登場する)
三島通庸(警視総監や知事を歴任)
松永清之丞(戊辰の役で活躍。西南の役の薩軍に従軍し田原坂で戦死)
【高麗町出身】
関勇助(文武両道に優れ斉彬の信頼を得る。西郷や大久保の育成に努めた)
大久保利通(現在のMBC付近が生誕地)
有村雄助(水戸藩士と尊皇倒幕を計画したが捕まり切腹。大河ドラマ「篤姫」で登場)
有村次左衛門(有村雄助の弟で雄雄と行動を共にし切腹)
井上良馨(元帥海軍大将)
奈良原喜左衛門(生麦事件でイギリス人を斬る)
奈良原繁(静岡県令、沖縄県知事)
河野圭一郎(西南の役で薩軍で戦うが捕えられ懲役10年の刑。後に青森県知事や日本水産社長)
益満行靖(江戸城明け渡しの裏方として東奔西走した益満休之助の弟)
【荒田1丁目・2丁目出身者】
有馬一郎(和漢の学に優れ、西郷や大久保を育てる)
山之内作次郎(蘭法医・儒学者。王政復古に実績を残す)
川村純義(日本海軍創設者。昭和天皇の養育にも努めた)
【上荒田町出身】
辺見仲太(辺見十郎太の父。文武に優れ下級武士の育成に努めた)
辺見十郎太(薩軍として西南の役に従軍。城山で戦死。大口の「辺見十郎太の涙松」は有名)
西寛二郎(日清・日露戦争で功を成す。陸軍大将)
永山弥一郎(薩軍として西南の役に従軍。熊本の御船で自刀)
町田次郎四郎(儒学者)
法亢宇左衛門(合伝流軍学者。藩の財政につくす)
田中十太郎(剣道・槍術の先生)
岩元平八郎(薩軍として西南の役に従軍。城山で戦死)
浅江直之進(薩軍として西南の役に従軍)
※三方限出身名士顕彰会の資料を元に加筆しました。
また、出身地については一般的な説と異なる場合があります。