見見楽楽 ~九州ぶらり放浪記~

おむすびころころ
鹿児島を中心にあちこち出歩いております。

夢と希望の灯り

2011年03月21日 01時52分01秒 | Weblog
我が家には息子が二人。

22歳と18歳。

22歳の長男は4年前に高校卒業後に中国地方の私立大学に進むも2年で中退し帰鹿。

1年間アルバイト生活。

その後、アルバイトで貯めた資金で予備校へ。


18歳の次男は中学・高校と野球三昧。

最後の夏の大会で悔しい試合を経験。

野球しか頭になかった次男は将来の目的が無いまま受験勉強。

やっと志望校が決まったのは昨年の暮れ頃。


そして、今年2月二人揃って東京の大学を受験しました。

まぁ、二人とも第一希望の大学(学部)には入れなかったものの、

なんとか無事に合格通知を頂きました。

特に長男は4年間のブランクでの大学受験という事で難しい面もありましたが、

本人が希望する大学ということでホッとしました。

次男も将来の職業を目指しての学部という事で、目的を持てたようです。



上の写真は、そんな息子達が4月から住むアパートを捜しに東京に行った時に撮った写真です。

池袋サンシャイン60の展望台から撮った東京の夜景です。

撮影したのが、2月24日大地震の2週間前です。

地震が起こるなんて全く想像させない美しい東京の夜景です。



大都会“東京”。

今回の地震では直接の被害は少なかったものの都市機能がマヒ。

電力不足による交通網の乱れや食料品・ガソリン不足。

(物資不足は買占めと物流システムに問題ありですが…)

大都会のひ弱さが露見した感じです。



先日、地震関係のテレビニュースを観ていたら、

「東北で被害にあった我々も元気を出さないといけないが、日本の中心である東京が元気が無いといけない」

不自由な避難所暮らしの被災者のインタビューでの言葉です。

自らの苦難を顧みず、日本の中心である東京を気遣う。

この大災害で世界中の国が驚いているのは“日本人の心”だと言います。

それは、人を思いやる気持ちと苦難に立ち向かう勇気。



大都会“東京”へ行っていろいろ経験するであろう二人の息子達。

“鹿児島人”から“日本人”へ。

逞しく成長してくれる事を願います。







撮影日:2011年2月24日
◆Nikon D700
◇AF-S Nikkor 50mm F1.4G



被災された皆様には心よりお見舞いを申し上げます。

2011年03月20日 23時36分18秒 | Weblog
3月11日午後2時42分、東京で働く甥から携帯電話にメールが入りました。

「地震が怖い」

短いメールです。

「今、どこ?」

…と、返信しましたが返事はありません。

直ぐに事務所のテレビを付けるとどの局も地震速報を流しています。

そして、あの大津波。

港を襲い、家や車を飲み込む様子がリアルタイムに放送されます。

時間が経つにつれ、東北地方の生々しい映像も流され続けます。


その後、メールをくれた甥は5時過ぎに無事を知らせる電話がやっと繋がりました。

地震のあったあの時間は、とあるイベントがあり千葉の幕張メッセにいたらしく、

まさに地震で揺れるさなかにメールを打ったそうです。

その後、外の広場に数時間退避。


甥の住まいは埼玉県志木市。

全ての電車もバスも止まり、携帯電話も繋がらない。

液状化現象で泥まみれになりながら、千葉から東京へひたすら歩く。

東京へ入ったところで、ある居酒屋さんに入れてもらい夜を明かした。

翌日、復旧した電車を乗り継ぎ、お昼頃やっと住まいのアパートに。


地震のあった時間に甥のいた千葉市の震度は「震度5強」。

その揺れはこれまで経験した事のない、恐怖の長い時間だったそうです。

運よく甥は事なきを得ましたが、

今回のこの地震の被災者は死者・行方不明者が2万人を超えるとか…。

そして避難者は35万人。

まさに日本の国難です。

被災された皆様の安全と一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。