ここは、島津家初代忠久が創建した日本最古の禅寺の一つ感応寺。
初代忠久は鎌倉幕府を開いた源頼朝の子と云われ、
建久五年(1194)創建したと伝わります。
感応寺横には、島津家初代忠久から五代貞久までの墓や
感応寺の偉いお坊様のお墓があります。
島津家全盛期は禅寺としてかなりの力を有したと云わりますが、
明治の廃仏毀釈でその姿は今はみれません。
わずかに残された墓標と深緑の苔に
時の流れと時代の変遷を感じさせます。

墓に通じる道の両脇の梅が咲き始めました。
※廃仏毀釈の後、再興されましたが、規模はかなり縮小。
現在、残された貴重な仏像・仏画は鹿児島県重要文化財に指定。
毎年、4月8日の花まつりの時だけ公開される仏画があるようです。
初代忠久は鎌倉幕府を開いた源頼朝の子と云われ、
建久五年(1194)創建したと伝わります。
感応寺横には、島津家初代忠久から五代貞久までの墓や
感応寺の偉いお坊様のお墓があります。
島津家全盛期は禅寺としてかなりの力を有したと云わりますが、
明治の廃仏毀釈でその姿は今はみれません。
わずかに残された墓標と深緑の苔に
時の流れと時代の変遷を感じさせます。

墓に通じる道の両脇の梅が咲き始めました。
※廃仏毀釈の後、再興されましたが、規模はかなり縮小。
現在、残された貴重な仏像・仏画は鹿児島県重要文化財に指定。
毎年、4月8日の花まつりの時だけ公開される仏画があるようです。