このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#328 極悪選挙

2007年03月31日 | そのほか
昨日、#327の絵を描いていたときのことです。
























もうやめて…


朝から晩まで選挙の宣伝車と電話がうるさいです。
今日も夜の8時までびっちりと…
毎日こんなのが来るのはやめてほしいです。

そもそも、こんなことに意味があるのでしょうか?
騒音と電話で人に迷惑をかけるような人に投票するわけがありません。

わたしは今まで選挙は棄権したことがありません。すべての選挙で投票しています。
ほとんど不在者投票にしています。投票日に体調が悪かったり不測の事態に備えて確実に投票するためです。
そして、うるさい人には絶対に投票しません。

しかし…なぜか、うるさい人が当選することになっているようなので不思議なことです。(だからうるさくするのか?
ほんとうに公共の福祉のことを考えるなら、騒音や電話など人の迷惑になるようなことはやめて欲しいです。
「静かな街作りを目指します!」などど絶叫するのは冗談にしてもひどすぎます。
「福祉と少子化対策」などと騒音で、せっかく寝ている赤ちゃんを泣かせるようなことはやめてください。

嫌がらせをされているような気さえしてきます。
あるいは、よっぽどわたしに絵を描かすのを邪魔したいの?

#326 アカショウビン

2007年03月22日 | お絵かき掲示板
お絵かき掲示板で描きました。

先週からずっと全力で描き続けていたのでかなり疲れてます。
今日はお絵かきをお休みしようと思っていたのですが、つい描いてしまいました。

そういえば、むかし子どもの頃にアカショウビンを描いたような気がしたなと思い出して、探してみたら…ありました。



お見せするような価値があるとも思えませんが、せっかくなので載せてみました。

#325 夢の対局

2007年03月22日 | 夢日記
3月21日に見た夢の一場面です。
わたしは母に連れられて、神社のお祭りに来ておりました。

人だかりがあったので行ってみると、趙治勲十段と武宮陽光五段が碁を打っていました。
お二方とも上機嫌で楽しんでいるようでした。
(絵は全然似ていませんが、描いた本人が言うので間違いないのです
しかしなぜか十三路盤…

さて、治勲さんと陽光さんは対局後の検討をしていたのですが、
わたしは盤面を指さして「こんな碁あるわけないじゃない!」と言いました。
周りで見ていた大人たちはわたしを叱りとばします。
「プロの先生が打った碁に文句をつける奴があるか!」
「子どものくせに生意気だ!」

上がそのときの盤面の状態です。碁を打つ人なら一目でおわかりになるはずですが、まったく碁になっていないのです。初心者でもこうはなりません。黒白の石の数が合いませんし、ほとんど意味がありません。

治勲さんは、碁の検討をしているのだから、上手下手にかかわらず誰でも思ったことを素直に発言するのが良いということを話して、わたしの頭をなでてほめてくれました。

…という一場面がありました。
内容はほとんどありませんでしたが平和的な夢でした。

ちなみに、治勲さんと陽光さんはわたしの夢によく登場します。陽光さんに指導碁を打っていただいた夢もみたことがあります。そのときの棋譜は残念ながら覚えておりません。
そしてなぜか武宮九段は1回しか登場したことがありません。

#324 忘れ得ぬ夢の記憶(4)絵の生命

2007年03月21日 | 夢日記
夢日記『冤罪』(#312~320)の効果が思いがけない形で現れています。

夢の内容を思い浮かべると涙が出ますが、絵を描きたい気持ちがたまらなく大きくなったのを感じます。
不思議な高揚感があります。
絵を描けることの喜びに満ちています。今は絵の出来上がりなど全く気になりません。

わたしが目標としているところへ一歩近づいたのかも知れません。
子どものように自由な気持ちで絵を描きたいのです。

それは気持ちの問題であって、技術云々では解決できないことです。

この夢を見たことはいつまでも忘れないでしょう。
そしてわたしの絵に命を吹き込んでくれると思います。

#323 忘れ得ぬ夢の記憶(3)

2007年03月21日 | 夢日記
夢に見たことを記録することの良し悪しについてはわかりませんが、物語として面白い物もあるので積極的に記録していた時期がありました。

壮大な物語を夢に見た後、夜中に目を覚まして、忘れないうちに書き留めてしまおうとノートに書き始めるも、物語が壮大すぎて書き終える前に夜が明けてしまうこともありました。もし全部書くことが出来ていたら、それだけで一冊の本になってしまうほどの分量になったでしょう。

けれども長時間覚えていられることはまれで、書き記している最中にもどんどん忘れていきます。
あらすじだけを書いていたら、せっかくの素晴らしいセリフなど細かい部分を忘れてしまいますし、細かい部分を書いていると他の部分を忘れてしまいます。
幻想世界の夢だと人の名前や地名などの固有名も面白かったりするのですが、覚えにくい物が多くて忘れがちです。

あるいはノートに書こうと思って明かりをつけ鉛筆を持ってみたところで、あまりに眠いので単語一つだけ描いて寝てしまうことも多々ありました。この単語を書いておけば後で思い出せるだろうと…。
ところが後で見て思い出せる物はほとんどありませんし、字が判読できない物も多数。場合によっては書いたはずなのに何も書いてないこともありました。ノートに書いた夢を見ていたのです。
毎日そんなことをしていては寝不足で体が持ちません。

いろいろ試したあげくに、やっぱり朝起きてから書くのが最善だとの結論に至りました。忘れてしまう夢は惜しい気もしますが仕方ありません。

今は昔ほど熱心に記録しているわけではありませんが、こうして漫画化する道もありますので、これからも書き記していくと思います。
               

今回の挿絵は、『冤罪』でまゆみちゃんに「お絵かきもしようよ」と言われて、小学生の頃を思い出して描いたものです。
小学生の頃はこんな絵を描いていたのです。今よりずっと自由に絵を描くことが出来ました。
その気持ちがすこし思い出せたようです。

#322 忘れ得ぬ夢の記憶(2)

2007年03月21日 | 夢日記
夢を見ても内容を覚えていなかったり、見たことすら覚えていないのが普通だそうです。夢に色があるか無いかと言う話も、無いのが普通だそうです。
眠るのは脳を休めるためです。眠っているときに夢を見るのは記憶の整理をするための一時的なもので、すぐに忘れてしまうのが正常な作用ということです。

わたしは毎日3~5編の夢を見ています。
見た夢の内容をよく覚えているのは、夜中に何度も目を覚ますからでしょう。
そしてその夢の映像や出来事は、現実世界のように鮮明です。映像に限って言えば、わたしは視力が弱いので現実の世界よりもはっきりと見えるほどです。
色も鮮やかです。夢の中で絵を描くことも多いので、微妙な色加減も常に意識されているようです。

目を覚ました直後は夢のことをはっきりと覚えています。ただし記憶の持続時間はその時々によって異なり、5分か10分程度で急速に失われてゆくこともあれば、10年以上前に見た夢であってもはっきり覚えていることさえあります。
内容がほとんど無いような夢は忘れやすく、物語性が高い夢ほど忘れにくいようです。

特に印象に残った夢は日記に書き残しています。
最も古い夢の記録は二十数年前からあります。
最初の頃は普通の日記に書き込んでいましたが、現実の記録より夢の記録の比率が多くなったので、「夢日記」として独立させました。
これからその「夢日記」について少し書いていこうと思っています。
            

今回の挿絵は目覚まし時計を描きました。

#321 忘れ得ぬ夢の記憶(1)「冤罪」後記

2007年03月21日 | 夢日記
#312~320の9回にわたって漫画形式で描いた『冤罪』は夢の内容を極力そのまま表したものです。ただし、拷問など残酷な場面は極力省きました。
セリフや景色もほとんど夢に見たものをそのまま使っています。ですから、現実にある物とは違う物がたくさんあります。

こんな内容の夢を見たのは、テレビ報道で冤罪事件のことを見て精神的ショックがあったからでしょう。
たとえ肉体的な暴力でなくても、「踏み字」など精神的な暴力もやはり「拷問」に当たると思います。
しかも例の「選挙違反事件」は冤罪どころか、事件そのものも警察のでっち上げだったというのですからとても恐ろしいことです。
ほかにも多くの死刑確定囚が獄中から無実を訴えているそうです。
昔の特高(特別高等警察)のようなものが現代の警察組織の中に残っているのでしょう。

この夢から覚めたとき、恐怖と悲しみでふるえが止まりませんでした。
恐ろしい夢を見ることはよくあります。そういう夢は「夢日記」には記しません。早く忘れたいからです。
けれども、この夢は忘れてはいけないような気がして「夢日記」に記しました。
二人の友だちが命がけで助けに来てくれたことが不幸中の幸いでした。そのことがわたしに描く力を与えてくれました。
夢は虚実が入り交じっています。相手を嘲り罵倒する言葉や暴力をわたしが実際に受けたことがありますし、友だちに命を助けられたことも実際にありました。命の恩人である友だちにこの漫画を捧げたいと思います。

「冤罪」は初回から描くのがつらかったです。ずっと泣きながら描いていました。こんなことは初めてです。
わたしはコメディーの漫画しか描いたことがありませんでした。深刻な内容の物は苦手だからです。

途中で絵柄が何度も変わってしまったのは、描いている最中のわたしの心情の変化を表しているのでしょう。

とにかく1週間必死に描き続けました。丁寧に描いた絵はありません。ほとんどが殴り書きです。
漫画作品としては体裁が整っておりませんが、これで最善を尽くしたと思っています。
作品として漫画を描く場合には、まず台本を書いて、演出・効果なども計画してから描き始めます。体裁としては整った物ができあがるでしょうけれど、勢いで殴り書きをしたときほどの力が出せるかどうかは別の話です。

とりとめのない文章でごめんなさい。わたしの中でも未だ整理がつかないことなのです。

今回の絵は想像して描いた物です。
想像したものを描くより、夢に見たものを描く方がずっと容易であることに気が付きました。