このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#548 「ベルルのお絵かき・フリーク」2周年記念

2007年10月30日 | 花・植物
10月12日にベルルさんのブログ「ベルルのお絵かき・フリーク」が2周年を迎えました。
遅くなりましたが記念絵を描きました。プレゼントです。

そういえば、去年の記念絵もちょうど1年前の今日10月30日に描いたのでした。
ちなみに去年の絵はこういう絵でした。

懐かしいというか、1年があっという間に過ぎ去ったような感じがします。

今回の絵のモデルは観賞用のトウガラシです。

#547 北海道鉄道旅行(1)

2007年10月30日 | 鉄道
ある日、あなたのもとに郵便物が届きました。
差出人には「このは紅葉」という名前がありました。

あなたはそれを見て…(いづれかを選択)
  (1)「このは紅葉」って誰? 知らないな。
  (2)何だろう? さっそく開けてみよう。

>(1)を選んだあなたは…
気味悪がって、その郵便物を捨ててしまいました・・・。~おわり。

>(2)を選んだあなたは…
さっそく開封してみると、手紙と旅行券が入っていました。
「このは紅葉よりあなたへ、
日ごろの感謝を込めて、すてきな北海道旅行をご用意いたしましたので、どうぞ楽しんできてくださいね。」
旅行案内を見てみると、出発地は青森になっています。
あなたの家から青森まではかなり遠いです。

そこであなたは…(選択)
  (1)面倒なのでやめる。
  (2)行ってみたいけど、時間の都合が悪くて…(涙)
  (3)今すぐ出発!

>(1)を選んだあなたは、
ただ捨てるのは惜しいので旅行券を金券ショップに売ろうとしましたが、お店の人に「この券は30年近くも前に有効期限が切れていますよ! 馬鹿にしないで下さい!」と言われて、突っ返されました。
「このは紅葉」というタチの悪い人に危うくだまされるところでした。
~おわり。

>(2)を選んだあなたは、
振り出しに戻り、時間の都合がついたら、再スタートです。

>(3)を選んだあなたは、
郵便物をよくよく見てみたら、青森までの切符も同封されていました。
さっそく旅行鞄を持って出発しました。

青森に着いたころには夕方になっていました。

青森港へ大きな船が向かってきます。
あの船に乗ることになるのでしょうか?
(つづく…)

#545 楽器との出会い(4)

2007年10月28日 | 音楽・楽器
前回(#484)からかなり間が空いてしまいましたが、つづきです。
  前回までのおさらいをしたい方はこちらへどうぞ…
    #475 楽器との出会い(1)
    #476 楽器との出会い(2)
    #484 楽器との出会い(3)

前回までの通り、拾ったボロボロのオルガンを分解修理して音を出せるようになりました。
そして、優雅な音楽生活が始まる…わけはありませんでした。
学校図書室の楽譜を複写してきたのですが、簡単そうと思った「インベンション第1番」は当然ながらそう簡単には弾けません。
…と言いましょうか、当時のわたしには楽譜は理解不能で、どこがドレミなのか、鍵盤の位置さえもよくわからない状態からの出発でした。

学校の授業でならう笛などの楽器もぜんぜん駄目でしたのに、いきなり簡単にオルガンが弾けるわけが無く、まずは楽譜に「ドレミ…」のカナを振って、一音一音、鍵盤の位置と照らし合わせることから始めました。

「これはかなり骨が折れる! いつになったら弾けるようになるかわからない…。もしかして一生かかる?」
そう思ったわたしは、どうせやるなら一番好きな曲にしようと、「インベンション」をあきらめて別の曲にしました。
しかも、無謀なことにもっと難しい曲で!

それが今回の曲です。

バッハ作曲/前奏曲 ロ短調 BWV869 ピアノ演奏/このは紅葉
↓ここをクリックしてダウンロード
2007-1026録音版(MP3形式ファイル、約3.1MB)
2007-1027録音版(MP3形式ファイル、約2.5MB)
2007-1029録音版(MP3形式ファイル、約2.2MB)

 いつもながらのことですが…使用上の注意です。
  *再生時の音量に注意して下さい。
  *演奏の下手さに注意して下さい。

この曲はわりと上級者向けだと思うのですが、当時のわたしは無鉄砲だったのでしょう。(今も?
普通の人なら基礎から勉強して…などと考えるのでしょうが、わたしはそんなことには気が付きもしませんでした。

それでも、なんとか1年以内には弾けるようになったでしょうか。
かなりめちゃくちゃですが…
そういうわけで、この曲がわたしが最初に弾けるようになった曲と言うことになります。
ピアノを習った人ことのあるならきっと「そんなの非常識だ!」と言うでしょう。
わたしは非常識人なのでしかたありません。

最初から自己流のめちゃくちゃ弾きで始めたので、今もめちゃくちゃ弾きのままで、しかも最近はほとんど練習もしないものですから、さっぱり上達などしないのですが、楽しみの一つとしては意義があるのかなと思っています。

オルガンを拾って修理して猛烈に弾いていたのを、怪訝に思った方もいらっしゃるかも知れません。
どうしてそこまで熱心だったかと、そんなエネルギーはどこから出ていたのかと…。
そう…絵が描けなくなってから、他に熱中する物を探していた時期でもありました。
本を年間300~400冊くらい読んだり、そんなわたしが一番がんばっていた高校生時代でした。

その当時の莫大なエネルギーを「絵」に注ぎ込めなかったのが残念です。
今はそれを取り返そうとがんばっているのですが、その当時の100分の1くらいの力しか出せないようです。
それでも今の100パーセントの力が出せたら満足なのですが、まだまだ今の力もすべて出し切れていないような、そんな宙ぶらりんな気持ちの毎日です。

焦らずにのんびり行くしかないのですが…やっぱり焦るね…
「楽器との出会い」終


これまでの音楽関連のまとめは本館「音楽室」へどうぞ。

#544 雪虫さん

2007年10月27日 | 
予告の通り、雪虫さんの絵を描いてみました。

実物の「雪虫」というのは体長4~5mmくらい?の小さな羽虫です。
白い綿毛が生えていて、群れをなして飛ぶ様子はまるで粉雪が舞っているようです。
雪虫が飛ぶようになるともうじき雪が降ります。

雪の季節の到来を知らせに来てくれる「北国の風物詩」です。

これは以前に描いた雪虫さんの絵。

雪虫さんは北海道にしかいないのかな?

#541 北風昏迷録(11)

2007年10月22日 | そのほか
いつまでも長くこの話を続けていきたくはありません。
早く終わりにしたいのであとは簡潔に書くことにします。

          *          *

良いことは長く続かぬものです。
心の支えを相次いで失いました。

小学校6年生の時にまゆみちゃんが転校しました。
その何年か前に、近くに大型店が進出してきていて、ご商売の方がうまくいかなくなったので、お店をたたんだのです。
まゆみちゃんの家のお店ばかりでなく、個人のお店は次々と消えてゆき、地域の商店街そのものが壊滅してしまいました。
それまでゆっくりだった時代が急速に変わり始めたのです。
電電公社や国鉄が消えていった時代の転換期の始まりだったのかも知れません。

かよちゃんは中学1年生の時は隣のクラスで心強かったのですが、1年生が終わるときに、お父さんの転勤で、転校してゆきました。

中学2年の時に、小学生時代にわたしをいじめていた連中と同じ組になり、またもいじめられるようになりました。小学生の頃よりさらに陰湿でした。このときは公になって大騒ぎになり、わたしはさらし者のようになりました。
以降、だれにもいじめられなくなりましたが、無視されてだれにも相手にされなくなったということでもありました。

幸いにも3年生でまたクラス替えがあっていじめの当事者がいなくなったのですが、腫れ物に触るような扱いで、肩身の狭い思いでした。

それでも、わたしには絵を描くという楽しみがありました。
それが唯一の生きるよすがでした。
しかし、それもある日突然失うことになります。

中学3年生の時、父親がわたしの描いた絵をすべて出すように命じました。
何をするかと思ったとたん、それをすべて破り捨てたのです!
わたしは震えながら、ただそれを見ていることしかできませんでした。
そして、わたしに絵を描くことを禁じたのです。

理由はよくわかりませんでしたし、今でもわかってはおりません。
「絵ばかり描いているから学校の成績が悪い」ということだったのか、あるいは「わたしが絵を描いていること」自体が気に入らなかったのかも知れません。

父は絵や音楽というものが嫌いで、心の豊かさを認めない人です。
お金や物質的な価値しか認めません。
母が植えて大切にしていたお花を、父がすべて勝手に掘り起こしてトマトを植えるという暴挙は日常のことです。
見て楽しむお花には何の価値もなく、実が成るトマトなら良いという価値観です。
常に何事も絶対命令で問答無用です。わたしは物理的にも精神的に逆らえる状態にありませんでした。

しかも、さらに無茶苦茶なのは、当時妹が絵画教室に通っていたという矛盾です。
高価で良い道具を買いそろえてもらったり、画家の先生に才能を認められたなどという妹の話を聞くということの、悲しさは筆舌に尽くしがたいことです。
(妹の絵は今でもすべて大切に保管されているのに、わたしの絵は廃棄されて残っておりません。飽きっぽい妹は結局、絵を1年も続けられませんでしたが。)

それから、わたしは絵を描けなくなりました。
時々は描いてみたこともあります。けれども苦しいばかりで少しも楽しくありません。物理的には描けても、精神的に描けなくなったのです。
絵を失って以降のわたしの人生は、絶望状態から脱出するための闘いでした。

それから約20年後、あるきっかけから絵を再開することにしたのは去年のことですが、今でも決して無条件に楽しく描いているわけではありません。
楽しさ1割、苦しさ9割かもしれません。
それでも、絵を描きたいという抑えがたい気持ちがあり、描かなければなお一層苦しいから描き続けています。
わたしにとって絵を描くと言うことは失われた自分を取り戻すための旅であり、苦しみを脱し安息の地にたどり着くための苦行なのです。

          *          *

わたしが望むのは、ただ子どもの頃のように楽しく絵を描きたいと言うことだけです。
これまでこのブログで自分の絵についてあれこれ評してきましたが、これは絵の作品の出来や技術云々のことではなくて、わたし自身の心の状態について評していたのです。
技術的なことは枝葉に過ぎず、心のありようが絵の根本要素です。

当ブログを長くご愛読くださいますみなさんには、わたしの不安定な言動を不可解に感じている方も多数いらっしゃったことでしょう。その疑問が解決されて、より深くわたしの絵を理解していただけたなら幸いです。
わたし自身も、心の重荷が少しでも軽減できることを期待して、過去の恥をさらすことにしました。
長い話を最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
おわり

#540 北風昏迷録(10)

2007年10月18日 | そのほか
あれから、かよちゃんは髪を伸ばすようになって、急に大人っぽくなってゆきました。
背も高く、年上のお姉さんのようでした。
まゆみちゃんの背は普通だったかな。
わたしはとても小さくて、一つ下の学年の中に入ってもまだ小さいくらいでした。
3人並んで歩いていても同じ学年には見られなかったかも知れません。

いつだったか、こんなふうな話をしたことがあります。
まゆみ「この3人の中で、かよちゃんはお姉さんみたいだよね」
かよ「それなら、まゆみは妹だな」
紅葉「じゃあ、わたしは?」
かよ&まゆみ「う~ん、マスコットかな?」

マスコットって…
つづく…

#539 北風昏迷録(9)

2007年10月16日 | そのほか
あの後2、3日ほど休みました。
当時はただでさえ病気がちでよく学校を休みました。
その上いじめられていたのですから当然学校には行きたくありませんでした。
それでも何とか通っていたのは、「どうしても学校に行かなくてはならない」という義務感と、まゆみちゃんがわざわざ(少し遠回りして)迎えに来てくれたからでしょう。

かよ「紅葉がいないって?」
まゆみ「うん。いつもわたしのそばから離れないのに、いないということは、またどこかに連れ出されたんだわ!」

「このあいだは、よくもほうきでたたきやがったな! 罰としてパンツの刑にする!」
「おい、パンツ見せろよ!」

「こいつ、夏でも一年中、毛糸のパンツと腹巻きをしてるんだぜ」
「気持ち悪いよな」

「紅葉ちゃん、大丈夫?」
かよちゃんと、まゆみちゃんが助けに来てくれました。





かよ「え?! 紅葉?」

まゆみ「かわいそうだから、ゆるしてあげてって、紅葉ちゃんが…」
かよ「かわいそう? どうして、こいつらをかばうんだ? かわいそうなのは紅葉の方だろ?」

まゆみ「それに、島崎さんには乱暴なことをしてほしくないんだって…」
かよ「・・・」

かよ「わかったよ、もう殴らない。ケンカもしないよ…」
紅葉「・・・」

かよ「だけどな、また紅葉をいじめたら、今度は紅葉が止めたって、あたしがゆるさないからな!」

「ちくしょう! 逃げろ!」
「憶えてろよ!」

こうして、わたしはかよちゃんとお友達になりました。
(実際には、親しくなるまで少し時間がかかったのですが…ここではもはや些事にすぎません。)
これ以後、小学校ではいじめられなくなりました。

後年聞いた話では、まゆみちゃんがわたしを守るために、強いかよちゃんとわたしとを仲良くさせようと、がんばってくれたということです。
つづく…

#538 北風昏迷録(8)

2007年10月14日 | そのほか
「男がスカートはくなんて変じゃねえか?」
「女装趣味のヘンタイだよな」
「同じクラスにヘンタイがいるなんてイヤだな」


「誰がヘンタイだって!? あたしは男じゃないぞ!」
「なにムキになってるのよ! 誰もおまえのことだとは一言も言ってないぜ!」
「そんなにムキになるなんて、やっぱりおまえは男だったんだな」
「女装趣味のヘンタイオンナオトコ!」
「なんだと!」

「ヘンタイ!」
「ヘンタイ!」
男子グループが大声ではやし立てると、ほかの男子たちも加わって大勢で島崎さんを取り囲み、いっせいに侮蔑の言葉をぶつけました。
「あたしだって…」

ほかの女子が割って入りますが、言葉の暴力はやみません。
島崎さんがこらえきれずに泣き出してしまいました。
「やった! 泣いたぞ!」
「俺たちの勝ちだ!」

「紅葉ちゃんどうしたの?」





「なんだ、こいつ!? 怒ってるのか?」
「紅葉が怒ったのを初めて見た。こいつでも怒ることがあるのか?」
「なんか…やばくないか?」

「紅葉ちゃん!」
わたしは意識が遠くなって倒れ込みました。

「紅葉が死んだ!」
「オレ、知らね!」
「オレも、しーらね!」
男子グループはその場を逃げるように立ち去ったと言うことです。
(「死んだ」というのはわたしが倒れてぐったりしたときに、男子たちが使っていた言葉です。わたしが倒れるのは珍しいことではありませんでした。)

つづく…

#537 北風昏迷録(7)

2007年10月13日 | そのほか
かよ「何して遊んでるのかと思ったら絵を描いてるのか?」
まゆみ「うん」

かよ「えっ!? これ、本当にこいつが描いたの?」
まゆみ「そうだよ。紅葉ちゃんは絵を描くのが好きで、何でも絵に描けるんだよ」
かよ「何でも?」
まゆみ「うん、動物でも、乗り物でも、今まで描けなかったものはないんだよ」
かよ「へー、すごいな…。じゃあさ、アリクイ描いてみろよ。この前テレビで見たんだけどさ…」
まゆみ「紅葉ちゃん、アリクイだって…」
紅葉「・・・」

かよ「お~! すごい、すぐ描けるのか! しかもアリクイが蟻塚を壊してるところだ! お前もあのテレビ見てたのか? それより、なんで何も見ないで描けるんだ?」
紅葉「・・・」
まゆみ「紅葉ちゃんはいつも図鑑とか見てて、それで憶えちゃってるんだって」
かよ「うゎ、憶えておいて描けるのか…、あたしなんか見ながらでも描けないのに…」

「ふ~ん、こいつは絵が得意なのか。勉強も運動も駄目で話もしないし何も出来ない奴なのかと思っていたけど…。いや…、そういう何か得意なことがあるってさ…良いよな」

「・・・・・・」

次の日、学校で。
「おはよ…」

「あ、島崎さん」

「おはよー、さっそく着てきたんだね」
「うん、慣れないからちょっと恥ずかしいけど…。変じゃないよね?」
「スカート買ったの? 似合ってるよ」
「かっこいいね」

「おい、あれ見ろよ…あいつスカートはいてるぞ!」
「あははは、ぜんぜん似合わねー!」
「ぜったい変だよな」
男子グループが大笑いしながらはやし立てます。

「なにさ! 失礼しちゃうわね」
始業のベルが鳴りました…先生が教室に入ってきます。
「島崎さん、後であいつらを懲らしめてやらなくちゃね!」
「ガツンと言ってやってよ!」
「うん…」

「なんかさ…いいこと思いついちゃったぜ」
「なんだ?」
「あいつに仕返しする方法さ。力じゃ勝てないが、この方法なら…」
「…なるほど、次の休み時間が楽しみだな」
つづく…

#536 北風昏迷録(6)

2007年10月12日 | そのほか
「ただいま」

「お帰りなさい。今ね、お客さんが来てるのよ」
「息子さん? 中学生?」
「あら、奥さん、この子は娘でまだ小学生ですよ」
「まあ! ごめんなさいね、わたし、そそっかしいものだから…」
「いいんですよ、間違えられるのはいつものことで、この子も慣れてますから…」



「……」

「ねえ、お母さん、スカート買って欲しいんだけど…」
「え? スカート嫌いじゃなかったの? あんたが欲しいなら買ってあげるけど」
「ほんとう?」
「それじゃあ、今から行ってみるかい?」
「今からって…、これから街に出かけたら遅くなっちゃうよ」
「何言ってるの、あんたのスカートを買うのにいちいちデパートに行っていたら破産してしまうよ。近くにお店があるじゃない、ほら、あんたの同級生の木村さんの」
「げ…!」

わたしは体調の良いとき、ほぼ毎日のようにまゆみちゃんの家で遊んでいました。
らくがき用の紙がたくさんあったので、お絵かきをよくしていました。

「まゆみー、お友達が見えられたわよー」
「はーい、今行くー。紅葉ちゃん、ちょっと行ってくるね」
「うん」
まゆみちゃんの家の一階は洋服屋さんをしていました。

わたしはこっそりのぞいてみました。島崎さんが来ていたので驚いて二階の部屋に戻りました。わたしは島崎さんのことをとても怖がっていました。

しばらくして買い物が終わったらしく、階段を上がってくる足音…そして二人の声…
「あたし、あの子苦手なんだよな…」
「紅葉ちゃんは人見知りするけど、慣れたらぜったい仲良くなれるよ」
(えっ! こっちに上がって来ちゃうの?)

「紅葉ちゃん、島崎さんも遊びに来たよ」
「なんか、固まったまま動かないけど大丈夫なのか? やっぱし、あたしが来ない方が良かったんじゃないのか?」
「大丈夫だよ、きっと。慣れるまで時間がかかるかもしれないけど…」
つづく…

#535 北風昏迷録(5)

2007年10月11日 | そのほか
4年生の1学期に転校生が来ました。
島崎かよさんです。(名字は仮名です)
背がとても高くて、見るからに活発そうな人でした。
よく男の子と間違われたそうですが、女の子です。

運動神経抜群のスポーツ万能で、足も速くてクラスでは誰も追いつける人がいませんでした。

「島崎さんすごい! 男子なんかぜんぜん目じゃないね!」

「くそっ! あいつ転校生のくせに生意気だ!」
「締めてやろうぜ!」

男子のグループがいたずらをしましたが返り討ちにあいました。
島崎さんは力があってケンカも強かったのです。

「くそっ! あいつ強すぎる!」
「腹が立つから、紅葉を蹴って遊ぼうぜ」

「おらおら、声に出して泣いてみろよ」

「あんたたち、やめなさいよ!」

「うるさい! あっちへ行け!」
「邪魔するならお前もいじめるぞ!」

「島崎さん、お願い、紅葉ちゃんがいじめられてるの助けてあげて」
「どうしてあたしが助けなくちゃならないの?」
「え? どうしって…」

「他の人だって、みんな見て知らんぷりで、誰も止めないじゃないか」

「だいたい、あたしはモノをはっきり言わないような奴は大嫌いなんだ。あんなのいじめられて当たり前さ!」

「お願いだから、やめて!」
わたしが教室内でいじめられるのはすでに日常的光景と化していて、かばってくれるのは、ただ一人まゆみちゃんだけでした。
つづく…

#534 北風昏迷録(4)

2007年10月10日 | そのほか
当時唯一の光は、まゆみちゃんという友だちができたことでした。
家が近かったので学校の行き帰りが一緒になったのがきっかけで仲良くなりました。
とても優しくて、わたしがどんなに無口でも明るく話しかけてくれました。
学校の誰とも口をききませんでしたが、まゆみちゃんとだけならおしゃべりできるようになりました。

わたしはいじめから自分の身を守るために、いつもまゆみちゃんと一緒にくっついていました。
けれども、完全にいじめから逃れることはできませんでした。

上靴はいつもどこかに放り出されていましたし、隙を見せては人目のつかないところにむりやり連れて行かれて蹴られたり殴られたりしました。

それに学年が上がってくると男子・女子の力関係が変わってきます。
まゆみちゃんもだんだんとわたしをかばいきれなくなってきました。
まゆみちゃんは、先生や親に言った方が良いと言いましたが、わたしが口止めをしていました。事実を知れば母が悲しむからです。

3年生から4年生に上がるときに、クラス替えがありましたが、幸いにもまゆみちゃんと同じクラスになりました。
ただ、わたしをいじめていたグループもまた同じクラスに入り、地獄の日々は終わらなかったのです。
ある出会いが訪れるまでは…
つづく…