<このは紅葉>は不覚にも<デッサン教>の罠にはまってしまった!
昨日描いた「#356共通ウィズユーカード」は、<デッサン教>から放たれた<ダーク・フォース>の誘惑に駆られて描いた大失敗でありました。
<デッサン教>の教義は「実物に忠実に描く」ということでありますが、わたしはそれに反対して「自分の感覚に忠実に」ということを目指しております。
日頃から、あれほど口やかましく自らに対して注意を喚起していたはずなのに、ちょっとした油断が元で簡単に暗黒面の誘惑に負けてしまうわたしは軟弱者です。
前回#356の記述を見てみますと…
>文字に凝ってみようと思った
実物を忠実に再現してみよう、そんなことを思うのが<デッサン教>の信者です。
>実物はきれいな緑色のグラデーション
実物がどんな色をしているかと言うことより、自分がどう感じているかと言うことの方が大事です。それが紙の上に再現されているかどうかは全く問題外で、楽しく描けたかどうか、つまり心の活動を大切にしたいです。
>苦労した割にはあまりきれいに描けなかったです。
>これはさすがに「らくがき」とは呼べません。肩が凝りました。
「らくがき」でないと言うことはわかっていたようですが、<デッサン教>の罠にはまっていたことまでは気が付いていませんでした。
一方、前々回「#355貝がらの夕暮れ」はとても気持ちよく描けました。
これは「デッサン」ではなくて、完全なる「らくがき」です。
とてもリラックスした状態で、実物とそっくりに描こうとは思わないで心に感じたことを大切にして、自然と心が手を動かして描きました。
「らくがき」は決して上手とは呼べなくても、感じの良い絵になります。
しかも、らくがきだと描くのがとても楽しくて、何時間描いていても飽きませんし疲れません。描いた後も清々しい気持ちになります。
わたしにとって、「デッサン教」は苦痛です。とても疲れます。
危うく入信するところでした。気をつけなくてはいけません。
注意
おそらく絵を描く人の99%以上の人は<デッサン教>の信者だと思われますが、その人達のことを否定する意図はありません。人それぞれ考えが違うのは当然のことです。
わたし自身は<デッサン教>が嫌いなので入信したくないと言っているだけです。
敵対するつもりはありません。
<デッサン教団>にとってはわたしはクズみたいなものだと思いますので、どうぞ放っておいてくださいませ。
幸い、いつもご覧くださいます方々は「デッサン教」とは無関係のようですので問題ないとは思いますが念のため…。
昨日描いた「#356共通ウィズユーカード」は、<デッサン教>から放たれた<ダーク・フォース>の誘惑に駆られて描いた大失敗でありました。
<デッサン教>の教義は「実物に忠実に描く」ということでありますが、わたしはそれに反対して「自分の感覚に忠実に」ということを目指しております。
日頃から、あれほど口やかましく自らに対して注意を喚起していたはずなのに、ちょっとした油断が元で簡単に暗黒面の誘惑に負けてしまうわたしは軟弱者です。
前回#356の記述を見てみますと…
>文字に凝ってみようと思った
実物を忠実に再現してみよう、そんなことを思うのが<デッサン教>の信者です。
>実物はきれいな緑色のグラデーション
実物がどんな色をしているかと言うことより、自分がどう感じているかと言うことの方が大事です。それが紙の上に再現されているかどうかは全く問題外で、楽しく描けたかどうか、つまり心の活動を大切にしたいです。
>苦労した割にはあまりきれいに描けなかったです。
>これはさすがに「らくがき」とは呼べません。肩が凝りました。
「らくがき」でないと言うことはわかっていたようですが、<デッサン教>の罠にはまっていたことまでは気が付いていませんでした。
一方、前々回「#355貝がらの夕暮れ」はとても気持ちよく描けました。
これは「デッサン」ではなくて、完全なる「らくがき」です。
とてもリラックスした状態で、実物とそっくりに描こうとは思わないで心に感じたことを大切にして、自然と心が手を動かして描きました。
「らくがき」は決して上手とは呼べなくても、感じの良い絵になります。
しかも、らくがきだと描くのがとても楽しくて、何時間描いていても飽きませんし疲れません。描いた後も清々しい気持ちになります。
わたしにとって、「デッサン教」は苦痛です。とても疲れます。
危うく入信するところでした。気をつけなくてはいけません。
注意
おそらく絵を描く人の99%以上の人は<デッサン教>の信者だと思われますが、その人達のことを否定する意図はありません。人それぞれ考えが違うのは当然のことです。
わたし自身は<デッサン教>が嫌いなので入信したくないと言っているだけです。
敵対するつもりはありません。
<デッサン教団>にとってはわたしはクズみたいなものだと思いますので、どうぞ放っておいてくださいませ。
幸い、いつもご覧くださいます方々は「デッサン教」とは無関係のようですので問題ないとは思いますが念のため…。
札幌市営交通発行の乗車カード。
地下鉄・市電・各社民営バス(市内)で使えます。
ベルルさんのブログで、Suica、PASMOというカードの話題がありましたので、わたしも札幌のカードの中で一番好きなデザインの物を描いてみました。かわいいいので好きです。
デザインはころころ変わるので、いろいろな絵があります。
コレクションしている人もいるのかな?
(絵に描いたカードは平成16年発行の物です)
図案が単純なので文字に凝ってみようと思ったのが欲張りでした。
文字を全部筆で描いたらそれだけで非常に時間がかかってしまいました。疲れました。
しかも実物はきれいな緑色のグラデーション。
去年、きれいな緑色を出すのにさんざん苦労したのを忘れていました。
さらに、グラデーションが苦手なことも…ムラだらけ。
そういうわけで、苦労した割にはあまりきれいに描けなかったです。
これはさすがに「らくがき」とは呼べません。肩が凝りました。寝ます。
鉛筆らくがきです。
描いているうちに日が暮れてしまって焦りました。
最後の方は暗くなってほとんど見えなくなってしまいました。
かなりゆったりのんびり描いていたので、いつの間にか時間が過ぎていました。
2時間半くらいは描いていたかな?
鉛筆らくがきはいつもだいたい1時間くらいで描いているので、こんなに時間が経っていたなんて驚きました。
電灯の光よりも日の光で描く方が好きです。
時間とともに影の具合が変わっていくので面白いですが難しくもあります。
描いているうちに日が暮れてしまって焦りました。
最後の方は暗くなってほとんど見えなくなってしまいました。
かなりゆったりのんびり描いていたので、いつの間にか時間が過ぎていました。
2時間半くらいは描いていたかな?
鉛筆らくがきはいつもだいたい1時間くらいで描いているので、こんなに時間が経っていたなんて驚きました。
電灯の光よりも日の光で描く方が好きです。
時間とともに影の具合が変わっていくので面白いですが難しくもあります。
季節柄と言うことで、桜の絵を描いてみました。
意外にも、桜の絵を描いたのは生まれて初めてです。
…って、意外でもないかな…。絵描き歴自体が短いしね。
今朝は雪が降りました。
内地では桜の季節が終わったところが多いと思いますが、北海道ではまだこれからです。
札幌で桜が咲くのは、例年通り5月の連休が終わってからかな?
意外にも、桜の絵を描いたのは生まれて初めてです。
…って、意外でもないかな…。絵描き歴自体が短いしね。
今朝は雪が降りました。
内地では桜の季節が終わったところが多いと思いますが、北海道ではまだこれからです。
札幌で桜が咲くのは、例年通り5月の連休が終わってからかな?
色鉛筆らくがき…
白黒化すると、やっぱり普通の鉛筆絵になってしまうのですね。
色鉛筆で描いているときも普通の鉛筆と同じ感覚で描いているので、当然と言えば当然なのかも?
色鉛筆は使い始めたばかりだから、これから徐々に新しい発見があると思います。
色鉛筆らくがき…
(以下駄文)
絵を始めようと思ったとき、ほとんどの人は「誰にでも描ける○○画入門」などといった本を求めるでしょう。それが最も安全な道と思われます。
本の通りに勉強すれば誰でも安全・簡単に絵が上達するわけです。
ところが、世の中には<このは紅葉>というひねくれ者もいて、「絵は自由に描けばよいのだし、そのために本で勉強するなど百害あって一利なし」と豪語したものであります。
未開の曠野(こうや)を自力で踏破しようという冒険に挑んだのは勇ましいことですが、とても危険で無謀な行為でした。
意気盛んな時はどんな困難も乗り越えられる気持ちになるのですが、常に元気でいられるわけもなく、調子が悪いときは言いようのない不安に襲われることもしばしばあります。
「本で絵の基礎を勉強する」というような裏付けも支えもなく、無知で無鉄砲だけが取り柄ですから、ただひたすら自分を信じるしかありません。
自分を信じる力が弱まると、「自分のしていることは愚かなことなのではないか」「素直に本で勉強した方が良いのではないか」という考えに流されそうになります。
これまで絵について意見を書いたことが何度もありましたが、実はそのとき自信を喪失していて、自分自身を鼓舞するために書いたものなのです。
はい、今がまさに曠野の真ん中で、進むべきか戻るべきか悩んでいたのでございます。
いつも悩みながらも、結局一度も「戻る」を選ばなかったので、たぶんこれからも戻ることはないと思います。
それなら何も悩む必要は無いような気もしますが、あるいは、先に進むためには時々立ち止まって悩むことも必要なのかもしれません。
(以下駄文)
絵を始めようと思ったとき、ほとんどの人は「誰にでも描ける○○画入門」などといった本を求めるでしょう。それが最も安全な道と思われます。
本の通りに勉強すれば誰でも安全・簡単に絵が上達するわけです。
ところが、世の中には<このは紅葉>というひねくれ者もいて、「絵は自由に描けばよいのだし、そのために本で勉強するなど百害あって一利なし」と豪語したものであります。
未開の曠野(こうや)を自力で踏破しようという冒険に挑んだのは勇ましいことですが、とても危険で無謀な行為でした。
意気盛んな時はどんな困難も乗り越えられる気持ちになるのですが、常に元気でいられるわけもなく、調子が悪いときは言いようのない不安に襲われることもしばしばあります。
「本で絵の基礎を勉強する」というような裏付けも支えもなく、無知で無鉄砲だけが取り柄ですから、ただひたすら自分を信じるしかありません。
自分を信じる力が弱まると、「自分のしていることは愚かなことなのではないか」「素直に本で勉強した方が良いのではないか」という考えに流されそうになります。
これまで絵について意見を書いたことが何度もありましたが、実はそのとき自信を喪失していて、自分自身を鼓舞するために書いたものなのです。
はい、今がまさに曠野の真ん中で、進むべきか戻るべきか悩んでいたのでございます。
いつも悩みながらも、結局一度も「戻る」を選ばなかったので、たぶんこれからも戻ることはないと思います。
それなら何も悩む必要は無いような気もしますが、あるいは、先に進むためには時々立ち止まって悩むことも必要なのかもしれません。
白黒写真を見て、3色の色鉛筆で描きました。
(以下駄文)
白黒写真を見ていると色が見えてくるのはわたしだけでしょうか?
現実の目には白黒に見えているのに、心の目に色が見えてきます。
そのようにして描いたのが今回の絵です。
白黒写真に限らず、ふつうに物を見ていても、実物とは違う色が見えてくることがあります。
前回「#348貝殻」の絵はそうした実物とは違う色を感じて描いたものです。
以前、わたしの絵を「奇をてらっている」と評した方がいらっしゃいましたが、自分が感じたとおりに素直に描くとそうなってしまうのです。理解されないのは仕方ありません。
絵は「見たとおりに描く」ものだと思っています。
けれども、世間一般に言う「見たとおりに描く」というのは「実物に忠実に」という意味で言うのに対し、わたしは「自分の感覚に忠実に」という意味で言っているので食い違いが生じます。
デッサンの教室に行ったなら、先生に「ここが間違っている」「目の錯覚に惑わされないように」「遠近法を学びなさい」と指摘されるのかも知れません。デッサン教室は実物そっくりに描く勉強をするところなので当然のことでしょう。
けれど、わたしはその考えとは全く逆で、「目の錯覚というのは自分の感覚」なのですからそれを大切にして、目の錯覚の通りに描くべきだと思っています。
「建物や電信柱はまっすぐ立っているはずだ」という知識を持っているからまっすぐ描くというのではなく、まっすぐに見えるからまっすぐに描くのですし、曲がって見えたとしたら、たとえ常識に反していても見た通りに曲がって描くべきです。
このブログの始めの方からご覧下さっている方はよくご存じだと思いますが、わたしの絵は以前は普通だったのに、だんだんと常識はずれの方向に向かいつつあります。
わざと外れようと思っているわけではなく、自分の思ったとおりに描こうとすると自然とそうなってしまうのです。
少しずつ自由な気持ちで絵が描けるようになってきて楽しくなってきたのですが、心配事があります。
楽しく描けたらそれで良いと言っても、描いた以上はやっぱり誰かに見てもらいたいし、理解してくれる人が誰もいないと淋しいものです。
今はコメントしていただける方がいらっしゃって喜ばしいことなのですが、もし、絵が変な方向に進んでしまって誰もついて来られなくなったらどうしようという心配です。
杞憂かも知れませんが、自分の絵がどうなっていくか皆目見当もつかない不安があります。
自分の絵にもっと自信を持たなきゃいけないのかもしれませんが、全然自信が無いのです。
色鉛筆2色で…
立体眼鏡をかけても立体的には見えません…たぶん。
試しに白黒にしてみたら、普通の鉛筆で描いたようになりました。
このほうが一般受けするのかな?
自分で感じたことを素直に表現しようとすると、世間の人からは理解されない方向に進んで行ってしまうようです。
立体眼鏡をかけても立体的には見えません…たぶん。
試しに白黒にしてみたら、普通の鉛筆で描いたようになりました。
このほうが一般受けするのかな?
自分で感じたことを素直に表現しようとすると、世間の人からは理解されない方向に進んで行ってしまうようです。
わたしは描いていて飽きないのですが、ご覧になる方は飽きたかも…
…というより、わたしのつまらない絵をブログに発表する意義を見失っております。
こんな絵は人に見せるだけの価値がないものね。
疲れているからかな…
…というより、わたしのつまらない絵をブログに発表する意義を見失っております。
こんな絵は人に見せるだけの価値がないものね。
疲れているからかな…