鉛筆らくがきです…
いつもの貝殻を見ないで思い出して描いてみました。
貝殻を最後に見たのが前回ペンで描いた9日前のことですが、これまでにたくさん描いてきたので、一応の雰囲気は思い出せます。
形は実物と全然違いますが、見て描いても実物どおりには描けるわけではないので許容誤差の範囲でしょう…たぶん…
わざわざ「記憶だけで描くらくがき」などと銘打ってますが、よく考えてみたら、わたしのらくがきはほとんどそうでした。最近は写生らくがきも多いですけれど、子どもの頃はすべて記憶と想像だけで描くらくがきでした。
いつも何かをじっと見ている子どもでした。
蟻の巣など何時間見ても飽きないほど。
汽車に乗れば車窓の風景を見ていて飽きることがありません。子どもが乗り物に長時間乗って飽きて騒ぎ出すなど、わたしには信じられないことでした。
図鑑も好きで、動物図鑑などを穴の開くほど見ましたけれど、わたしの空想の世界では多くの野生動物が生き生きと動き回っていました。
何でも黙ってみているのが好きでした。
絵を描くためとか何か目的があって見るのではなく、ただぼーっと見ているのが好きだったんです。
らくがきももちろん好きで、何時間していても飽きないほどでしたが、物を見ることと、物を描くことは同時には出来ませんでした。いわゆる写生が出来ませんでした。
小学校の写生の授業でも、先生は「よく見ながら描きましょう」などと言いますが、わたしは何も描かずにひたすら見て記憶し、見終わったらひたすら描く方式で通しました。
最近は貝殻や落花生などご覧いただいている通り、写生して描くことも出来るようになりました。しかし、記憶だけで描く方は衰えているようです。これは進歩なのでしょうか退化なのでしょうか?
「夢日記」はほとんど夢に見た記憶だけで描いてますが、一部資料に頼る部分もあります。
たとえば、『ガラパゴスの怪』に出てきたこれ。

夢の中で見た物なのに、これが何なのか知りませんでした。
調べてみて「エンジンテレグラフ」と呼ばれる物であると初めて知りました。
きっと映画か何かで見た映像が記憶のどこかに残っていたのでしょうね。
風景も、特定の場所を描く以外は、想像だけで描いています。
そういえば、子どもの頃に遊んだ中には風景を描く「らくがき遊び」もありました。
次回は風景のらくがき遊びをご紹介しましょうか。
いや興味ない?

いつもの貝殻を見ないで思い出して描いてみました。

貝殻を最後に見たのが前回ペンで描いた9日前のことですが、これまでにたくさん描いてきたので、一応の雰囲気は思い出せます。
形は実物と全然違いますが、見て描いても実物どおりには描けるわけではないので許容誤差の範囲でしょう…たぶん…

わざわざ「記憶だけで描くらくがき」などと銘打ってますが、よく考えてみたら、わたしのらくがきはほとんどそうでした。最近は写生らくがきも多いですけれど、子どもの頃はすべて記憶と想像だけで描くらくがきでした。

いつも何かをじっと見ている子どもでした。
蟻の巣など何時間見ても飽きないほど。
汽車に乗れば車窓の風景を見ていて飽きることがありません。子どもが乗り物に長時間乗って飽きて騒ぎ出すなど、わたしには信じられないことでした。
図鑑も好きで、動物図鑑などを穴の開くほど見ましたけれど、わたしの空想の世界では多くの野生動物が生き生きと動き回っていました。
何でも黙ってみているのが好きでした。
絵を描くためとか何か目的があって見るのではなく、ただぼーっと見ているのが好きだったんです。
らくがきももちろん好きで、何時間していても飽きないほどでしたが、物を見ることと、物を描くことは同時には出来ませんでした。いわゆる写生が出来ませんでした。
小学校の写生の授業でも、先生は「よく見ながら描きましょう」などと言いますが、わたしは何も描かずにひたすら見て記憶し、見終わったらひたすら描く方式で通しました。
最近は貝殻や落花生などご覧いただいている通り、写生して描くことも出来るようになりました。しかし、記憶だけで描く方は衰えているようです。これは進歩なのでしょうか退化なのでしょうか?

「夢日記」はほとんど夢に見た記憶だけで描いてますが、一部資料に頼る部分もあります。
たとえば、『ガラパゴスの怪』に出てきたこれ。

夢の中で見た物なのに、これが何なのか知りませんでした。
調べてみて「エンジンテレグラフ」と呼ばれる物であると初めて知りました。
きっと映画か何かで見た映像が記憶のどこかに残っていたのでしょうね。
風景も、特定の場所を描く以外は、想像だけで描いています。
そういえば、子どもの頃に遊んだ中には風景を描く「らくがき遊び」もありました。
次回は風景のらくがき遊びをご紹介しましょうか。

いや興味ない?
