昭和○○年3月中旬…
中学校の卒業式の次の日が、公立高校の合格発表でした。
発表の朝、バスで高校前に行き、貼り出された合格者名簿を見ました。
すぐに自分の名前を見つけましたが、特に何の感情も浮かびませんでした。
わたし以外に人影はなく、静寂だけがありました。
当時のわたしは将来に対して全く期待もなく、心を閉ざしたまま時の過ぎるのをじっと待っていただけでした。
受験勉強もしませんでした。
定員割れをしていましたし、特に強く進学を希望したわけでもなく、なんとなく川に流されている感じでした。
川に流されていると言っても、おぼれているわけではなく、むしろ静かに川底に沈んでいくことを望んでいるのに、沈むことなくぷかぷかと浮きながら、ただ下流へ流されてゆくだけ…
無感覚で、水の冷たさすらも感じられない…
当時の日記には
「高校へ行くのに1時間かかった。
自分の名前は1秒で見つけた。
しかし、帰るためにまた1時間をかけなければならなかった」
と書いてあるのみ。
けれども、この高校に進学できたことは幸いでした。
少なくとも、小学校・中学校と続いた暗黒の時代は終わったのです。
(つづく)
中学校の卒業式の次の日が、公立高校の合格発表でした。
発表の朝、バスで高校前に行き、貼り出された合格者名簿を見ました。
すぐに自分の名前を見つけましたが、特に何の感情も浮かびませんでした。
わたし以外に人影はなく、静寂だけがありました。
当時のわたしは将来に対して全く期待もなく、心を閉ざしたまま時の過ぎるのをじっと待っていただけでした。
受験勉強もしませんでした。
定員割れをしていましたし、特に強く進学を希望したわけでもなく、なんとなく川に流されている感じでした。
川に流されていると言っても、おぼれているわけではなく、むしろ静かに川底に沈んでいくことを望んでいるのに、沈むことなくぷかぷかと浮きながら、ただ下流へ流されてゆくだけ…
無感覚で、水の冷たさすらも感じられない…
当時の日記には
「高校へ行くのに1時間かかった。
自分の名前は1秒で見つけた。
しかし、帰るためにまた1時間をかけなければならなかった」
と書いてあるのみ。
けれども、この高校に進学できたことは幸いでした。
少なくとも、小学校・中学校と続いた暗黒の時代は終わったのです。
(つづく)