平成27年12月14日 撮影
前回の記事 大内山を目指して2 皇陵の参道案内石碑に出くわしました
石仏と 注意書き 石仏の台には 龍安寺 と書かれています
とにかく 上へ上へと 進みました
ここが 大内山の山頂 です 見晴しはよくない 京都市内が一望できると 期待していたのですが
次は ここから 衣笠山を目指します つづく
三嶋亭 の名が通常使われているようです
さる御公家侍に仕えておりました初代三嶌兼吉は、その妻“てい”と共に横浜で牛鍋を学び、明治六年京に戻り、現在の地、寺町三条で「三嶋亭」を創業いたしました。それ以来、130余年その味を守り続け、明治、大正、昭和、平成、現在に至り、五代目となります。HPより
京都府第2代知事“槙村正直”氏の書。この額は明治初期の頃、第2代京都府知事”槙村正直”氏(明治8年7月~明治14年1月就任)が来亭された時に、書いていただきました。槙村知事は果断な実行力で文明開化政策をすすめられました。その当時に牛肉を食することも、その政策に見合ったもののようでした。この額はいつも店頭に飾ってあります。
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