石鳥居 大正10年8月 建立
石鳥居 明治26年7月 建立 見られない字が書いてあります
錦天満宮(錦の天神さん)
御祭神・菅原道真公
御利益・智恵、学問、商才、招福、災難 厄除け
当天満宮は11世紀初頭、菅原道真公(菅公)の父親、菅原是善の旧宅「菅原院」に創建されました。菅公の薨去後、嵯峨天皇の皇子源融公の旧邸、六条河原院に場所を移し歓喜寺の鎮守社として天満大自在天神をお祀りしたのが始まりといわれています。そこから約300年の時を経て、後伏見天皇より「天満宮」の神号の直筆の文書を授与され、その際、河原院跡を京都八幡善導寺に寄進、塩竃宮を鎮守とする「歓喜光寺」と改名されました。後に、当天満宮を菅公聖跡25拝の第2番に位置付けられたのはそのためです。そして「歓喜光寺」の創建から274年後、桃山時代天正年間に行われた豊臣秀吉の都市計画によって「金蓮寺」の敷地に移転、以後400年余「錦天満宮」として同地に鎮座しております。そして明治5年には神仏分離令によって「錦天満宮」が独立、現在に至っております。歓喜光寺は東山五条に移ったが、昭和47年山科大宅に移転した。
明治以前は代々八坂神社の祇園大政所御旅所の宮司をしていた大和氏がこの錦天満宮の神主をしています。明治5年槙村知事が新しい道路を開いたのが新京極通りです。境内の北側に末社がならび、、白太夫社は神宮禰宜従五位下渡会春彦を中央に朱塗りの日の出稲荷社があります。
名水 錦の水
狛犬 青銅製か
扁額
手水舎
なで牛
塩竃社は従一位河原の大臣源融公を祀り
下渡会春彦を中央に朱塗りの日の出稲荷社があります
白太夫社は神宮禰宜従五位
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