明治9年、明治天皇は華族制度を強固なものにするため、華族各家の系譜を調査、家系を分類し『華族類別録』を編纂させた。同分類の家が相互扶助することを目的としている。翌年、宇多源氏に分類された21家が、始祖雅信をしのび相互の親睦を誓ってこの碑を建てた。
明治9年、明治天皇は華族制度を強固なものにするため、華族各家の系譜を調査、家系を分類し『華族類別録』を編纂させた。同分類の家が相互扶助することを目的としている。翌年、宇多源氏に分類された21家が、始祖雅信をしのび相互の親睦を誓ってこの碑を建てた。
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御陵の近くまでやってきました
宇多天皇陵
宇多ノ谷とよばれるくぼ地にある。天皇は光孝天皇の第7皇子、班子女王を母とし、仁和3年(887)藤原基経の推挙によって即位された。藤原摂関政治の中にあって政治の刷新につとめ、後世「寛平の治」と讃えられた。醍醐天皇に譲位後、仁和寺に入寺し、承平元年(931)7月19日、65歳で亡くなる。
これから 道を引き返し 衣笠山を目指します つづく・・