京都御苑の西にあります
鳥居は弘化2年(1846年)建立 幕末の元治の兵火を逃れたのでしょうか
大正2年5月建立です
石碑 菅家邸址 京都教育會 建立
菅原院天満宮神社
当神社は、従4位、下治部卿菅原古人朝臣。次は従3位、清公卿。次は参議是善卿の三世、子々相傳へて棲み給ひし邸宅の址にて。やがて是善卿の御子道真公の誕生し給ひし霊地なり。古人朝臣は桓武天皇に仕へて待讀となり。清公卿は嵯峨。淳和、仁明の三帝に歴仕し是善卿は文徳、清和の二帝に奉仕して俱に松讀の榮職におはせしかば此邸宅をも受継ぎ住み給ひしより世には菅原院と呼びたりとぞ。
拾芥抄を案ずるに菅原院は勘解由小路(下立賣通)烏丸の西一町(室町迄)菅贈太政大臣の御所、或は云く参議是清卿の家なりと。当時歓喜光寺と号し、北野祭の日神氏此所に来りて枇杷を取りて神に供すと。
又京城の古図には烏丸、西室町、下立賣、南椹木町の間を菅原院と記せり。蓋し往古は境域の広大なりしを知る可きなり。又袋草子国宝北野縁起(藤原信実朝臣筆)菅氏録によれば、菅原院は是清卿の旧邸地にして菅公は此の處に於いて御誕生あらせられし爾来菅公亦襲ひて邸宅とし給ひついで菅家のために、此地に歓喜光寺を創建せられしが後故ありて六絛道場に移せし由見えたり。然ればそのかみ此地に社殿を存し菅原道真公を本座とし相殿に御父是清卿を奉祀して古より断ゆること無く今に至れり実に是れ菅公御発祥の霊地にして聖蹟二五拝の第一して今も産湯の井及び天満宮御遺愛の石燈籠一基を存せり。菅原院天満宮神社 社務所
狛犬です
手水舎
慶応元年(1865)と刻されています
狛犬です
本殿です
天満宮御遺愛燈籠
平癒石
絵馬の数々です
菅公 産湯の井 です
古地図 内裏
名水 飲用可能か
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蔵の屋根にまで届く梯子
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