のりものおことわり と書いてありました
こんなところに 井戸水 くみ上げ 手押しポンプがありました・・・
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ポンプ 前回の記事 ➡ ポンプ中06 龍ノ井 水の出る井戸手押しポンプもある
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石碑 北村季吟先生 遺蹟 昭和31年11月建立
新玉津島神社
この神社は、文治2年(1186)後鳥羽天皇の勅命により、藤原定家の父で平安末期から鎌倉初期の歌人として名高い藤原俊成が、五條大路(現在の松原通)烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に、和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神「衣通郎姫」を勧請したことに由来する。それに先立つ寿永2年(1183)、後白河法皇の院宣により、藤原俊成はこの邸宅を和歌所として「千載和歌集」を編纂し始めた。ちょうどその年、木曽義仲が京に攻め入り、平家一門は都落ちするが、門下の一人である平忠度は、危険を顧みずこの屋敷に引き返し、「一首なりとも選んでほしい」と自分の秀歌の巻物を献じた逸話は有名で、俊成は、その中から次の一首を選び、千載和歌集に載せたという。
さざなみや 志賀の都は あれにしを
むかしながらの 山さくらかな
江戸時代には、「源氏物語湖月抄」などの古典注釈の第一人者で、松尾芭蕉の師である北村季吟が、約7年間、この神社の宮司として住み万葉集の注釈書「万葉拾穂抄」の編纂に励んだ。これらの由縁から、今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れている。
京都市
足利尊氏は社殿を修造し、境内に和歌所を復興して別当職を置き、朝廷もまた歌道伝授のさいには当社へ勅使を差し遣わされるならわしがあった。応仁の乱に焼亡し、のちに歌道家元冷泉家によって再興された。
社号標 明治9年3月 建立
石鳥居扁額 石鳥居は昭和3年 建立
参道を石鳥居をくぐるとすぐに拝殿・本殿が目の前にあります
手水舎
古井戸
末社 秋葉神社 天満宮
旧 社号標か
詳しい 由緒書き
拝殿と本殿
昭和の御大典記念 昭和3年春 建立
動物に似たような石
昔の石鳥居の基礎部分かな
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